心理学とは

みてみて実感! 心理学史 -第3回-

サトウタツヤ
立命館大学文学部心理学科助教授。

知能検査には功罪両面ありますが,ビネ自身の取り組みの真剣さには感動を覚えずにはおれません。知能検査に携わる人は是非ともビネの論文を一度でいいから読んでほしいと思います。

知能検査100年 ビネ

前回はヴント(Wundt, W.)を取り上げましたが,彼と同時代の研究者たちもヴントに負けていませんでした。心理学という確固たる学範(ディシプリン)が確立されていない中で,それぞれ格闘していたのです。フランスのビネ(Binet, A.)もその1人です。

ビネは1857年ニースに生まれました。1883~89年の間はサルペトリエール病院でシャルコー(Charcot, J. M.)の指導を受けながら研究を行っていました。1891年にソルボンヌ大学心理学実験室に勤務し始め,1894年には主任となり,心理学の専門雑誌『心理学年報』を創刊しました。ビネにとって不幸だったのは,博士号の学位審査権をもてず,結果的に弟子を育成できなかったことでしょう。ここがヴントなどと大きく違うところです。しかし,医学生のシモン(Simon, T.)の協力を得ながら知能検査の開発に取り組み,1905年,第5回国際心理学会にて発表することになります。ビネ以前にも知能検査に取り組んだ人たちはいましたが,実用性がありませんでした。

ビネたちが成功した理由の1つは,小学校入学時の知的水準の判断という具体的な課題を設定したことでしょう。「アタマのよさ」のような漠然としたことではなく,小学校で大人数教育に適切かどうか,ということを判断することにしたのです。また,彼らは年齢の差による知的発達に注目しました。現在では驚くべきことですが,小さい子どもの知的発達はあまり注目されておらず,むしろ性格の差のようにとらえられていたのです。ビネが年齢による知的水準の違いに気づいたのは2人の娘に恵まれ,その発達についてていねいな観察をしていたからだと考えられています。図はビネの家族です。また,彼らはそれ以前の知能検査が感覚の鋭敏さなど細かい要素を重視していたのに対し,全体的な知的なレベルをとらえるように工夫しました。これらの取り組みによって,ビネらの検査は高い評価を得,1908年,1911年と改訂版を次々に発表しました。しかし,ビネはその1911年に死去してしまいます。

ビネの死後,知能検査はとくにアメリカで大きな改変がなされます。結果を知能指数で表すようにしたり,あるいは,集団式で行う知能検査も開発されました。しかし,これらのことはいずれもビネの本意とは異なっているようです。ビネは検査をして数値を出すことをめざしたのではなく,検査を通じて子どもと接することによって子どもの状態を直接把握することをめざしていたのです。文献にあげた本には彼らの論文が収録されていますのでご一読ください。

文献

文献 ビネA.・シモン T. 中野善造・大沢正子(訳) 1982 知能の発達と評価―知能検査の誕生― 福村出版

心理学ワールド第28号掲載
(2005年1月15日刊行)