心理学の歴史

みてみて実感! 心理学史 -第8回-

サトウタツヤ
立命館大学文学部心理学科教授。

今回はたまたま目にした写真から調べものを始めてみたらハマってしまいました。人生が多重に交錯していること,戦争と学問・人生の自由について考えさせられます。

マリー・ボナパルト フロイトのロンドン亡命を援助したギリシア大公妃

フロイト(Freud,S.)はその出自がユダヤ人であることから医学部での出世をあきらめ,精神分析という独自の体系を作り上げました。

ナチスがドイツで政権を得るのは1933(昭和8)年ですが,すでにその前年からナチスのユダヤ人迫害は激化の一途をたどっており,精神分析関係の本は焚書の憂き目にあっていました。ユダヤ系の弟子たちも亡命していきました。心理学の分野でも,著名なゲシュタルト心理学者・ヴェルトハイマー(Wertheimer,M.)やレヴィン(Lewin,K.)など多くの人が亡命を余儀なくされています。

フロイトがいたウィーンにナチスが侵攻したのは1938年3月。すでにガンに冒されていた彼は亡命を渋ったのですが,弟子や多くの人たちの勧めでついに移住を決意します。その弟子たちの中にマリー・ボナパルト(Bonaparte,M.;1882~1962)がいました。

彼女はナポレオン1世の弟の曾孫で,ギリシア王家の次男ジョルジュ・ギリシア大公と結婚。1925年,フロイトに出会い,最初はクライエントとして,のちに弟子として(時には恋人として)フロイトとつきあいを続けます。主な著作として『Chronos,Eros,Thanatos』(『クロノス・エロス・タナトス』佐々木孝次訳,せりか書房)があり,フロイトの著作のフランス語訳も行っています。またエドガー・アラン・ポーについての研究もあります。

写真はイギリス亡命途上,パリに立ち寄ったフロイト一家です。このとき同行できなかったフロイトの妹4名は,1942年にガス室で死を遂げたとのことです。

マリー・ボナパルトは1962年死去。彼女の結婚後の日記30年分は現在も保管されており,彼女の死から99年後に公開されるとのことです。

文献

Bonaparte,M.(1952).Psychanalyse et anthropologie. Biblioth`eque de psychanalyse et de psychologie clinique. Paris:Presses Univer-sitaires de France.

(ボナパルト,M. 林 峻一郎(訳)(1971).精神分析と文化論 弘文堂)

心理学ワールド第33号掲載
(2006年4月15日刊行)