心理学の歴史

みてみて実感! 心理学史 -第15回-

サトウタツヤ
立命館大学文学部教授。

今,臨床心理学の歴史について1冊の本をまとめようとしている最中。臨床心理学とは何なのかという問いも難しいし,どこまでを前史として,どこからを起点とするのか,非常に悩ましいところです。

欧米諸国における臨床心理学の始まりとしての1896年。

臨床心理学の歴史を考えるために,2007年9月の日本心理学会第71回大会(於東洋大学)において,欧米の臨床心理学先進諸国をフィールドとする諸先生に集まっていただきワークショップを開きました。すると,アメリカ,ドイツ,フランス,イギリスの国ごとにそれぞれ臨床心理学の始まりについてどう考えるのかが違っているようでした。

アメリカの心理学界では,ウィトマー(Witmer, L.)がペンシルバニア大学に世界初の「psychological clinic(心理学的クリニック)」を創設した1896年が大事な年だとされます。これはこの連載の第4回(本誌29号)でも取り上げた出来事です。

ドイツではクレペリン(Kraepelin, E .)が「精神医学における心理学的実験」("Der psychologische Versuch in der Psychiatrie")を発表した1896年が臨床心理学の起点だとされています。

このように,各国においてそれぞれ臨床心理学の始まりはそれぞれの方法で構成されており,自分の国から始まったのだというお国自慢的な主張が見え隠れしています。

それにしても,2つの国で1896年という年が一致しているのは興味深いことです。ウィトマーとクレペリンが示し合わせて行動を起こしたわけではありません。そうではなく,このころは臨床心理学をめぐって非常に活発な活動があった時期だということなのです。

たとえばtraumaという語を身体的外傷ではなく,心的外傷という意味で使い始めたのもこのころです。『オックスフォード英語辞典』(OED)では,ジェームズ(James, W.)が心的外傷という意味でtraumaを使用した1894年の用例が採用されています。フロイト(Freud, S.)とブロイアー(Breuer, J.)の共著『ヒステリー研究』(1895)にもこうした用例があります。

ところで,フロイトとブロイアーは(別々にではありますが)同じ場所で研鑽を行っていました。それはフランスのサルペトリエール精神病院です。この病院では神経科医のシャルコー(Charcot, J. M.)が催眠術を用いたヒステリー治療を提唱し実践していました。そのサルペトリエールでシャルコーの片腕として活躍していたのがジャネ(Janet, P.)です。このジャネという人物は,エレンベルガー(Ellenberger, H. F.)によって再発見されるまでは忘れ去られた存在でしたが,精神医学と心理学にまたがり,無意識や多重人格の研究などに従事した重要人物として再評価されつつあります。その著書『心理学的自動症』("L'automatisme psychologique"; 1889)において,乖離を心的外傷(trauma)的な記憶と関連づけて考察しているといいます。

臨床心理学の歴史の始まりを決めるのはなかなか簡単なことではないようです。

心理学ワールド第40号掲載
(2008年1月15日刊行)