心理学の歴史

みてみて実感! 心理学史 -第13回-

サトウタツヤ
立命館大学文学部(心理学専攻)教授。

**周年の記念はいろいろありえますが,やはり100年は1つの節目。また,100年の時を超えてなされる独日翻訳は一種の文化事業だといえるでしょう。

1907年。賢い馬ハンスの賢さの分析

100年の時を経て翻訳された本があります。これを契機に「温故知新」的な出版が増えることを期待します。1907年といえば明治40年ですから,明治時代に出版された日本の心理学者の本や論文の復刻も望みたいところです。

賢い馬,利口な馬,ハンス。心理学を勉強した人であれば誰でも一度は耳にした名前だと思います。ある本によれば,心理学で有名になるには優れた研究をするか被験体になることだそうです(研究者の名前は忘れてもハンスの名前は知っているという意味です)。

では,そのハンスは何をしたのでしょうか。簡単にいえば計算ができた,ということです。犬であれば,「0+1は?」と聞かれてワン!と正答できるでしょうが,馬はどうなのでしょうか。

1900年ごろのドイツ・ベルリンの新聞をにぎわせた記事がありました。馬(ハンス)が計算したり文字を読んだり音程がわかるという記事です。たとえば足し算を見たハンスは,その答えの回数分だけ蹄(ひづめ)を地面に打ち付けたのです。最初は疑っていた学識経験者たちも,自分がその場に臨んだときに,何のトリックもないと確信すると,懐疑が尊敬の念に変わったのでした。

最後の切り札というわけでもないのですが,音響心理学者として有名な心理学者のシュトゥンプ(Stumpf, C.)にさらなる分析が依頼されました。本当に馬が計算できるのか,ほかの条件によるのか,を調べてほしいということです。彼は学生のプフングスト(Pfungst, O.)に調査を命じました。プフングストは非常に繊細な条件設定を行い,馬が計算できる「ように見える現象」のカラクリを解明しました。カラクリといっても誰かがわざとズルをしていたという意味ではありません。

プフングストは系統的な調査を行い,質問者自身が解答を知らない場合にはハンスの正答率が10%ほどであるのに対して,質問者が解答を知っている場合には90%にものぼることを突き止めました。そして,質問者が解答を知っている場合には,自分でも気づかない微細な行動を行っていたのです。それをハンスは見分けていたようなのです。たとえば飼い主のオステンは,ハンスの蹄打ちの回数が正答に達すると,わずかばかり(本人も周りの人も気づかないくらいわずか)顔を上げていたのです。

賢い馬ハンスの教訓は何か。ボークス(Boakes, R.A., 1984, 1990)によれば,見かけ上は複雑にみえる行動であっても(計算の答えを出す),その基礎は単純であり得るし,それを見抜くには緻密な観察(条件を微細に変える観察)を行う必要があるということと,人間の行動は本人が気づかなくても変わり得る,ということだということです。ただし,ハンスの名誉のためにいえば,人間が気づかないくらいわずかなサインを読み取る能力があるという意味で,ハンスは「賢い」ということも可能かもしれません。

なお,この報告書は当時シカゴ大学にいたワトソン(Watson, J. B.)によって好意的に取り扱われ,1911年には報告書が英訳されたのでした(わずか4年!)。

文献

BBoakes, R. A. (1984). From Darwin to behaviourism : Psy-chology and the minds of animals. Cambridge [Cambridge-shire] : Cambridge University Press.
(ボークス, R. A. 宇津木保・宇津木成介(訳)(1990). 動物心理学史 誠信書房)
Pfungst, O. (1907). Das Pferd der Herrn von Osten(Der Kluge Hans) : Ein Beitrag zur experimentellen Tier=und Menschen = Psychologie. Leipzig.
(プフングスト, O. 秦 和子(訳)(2007). ウマはなぜ「計算」できたのか 現代人文社)

心理学ワールド第38号掲載
(2007年7月15日刊行)