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私の出前授業
交渉がまとまらないのはなぜ?
福野 光輝(ふくの みつてる)
Profile─福野 光輝
東北大学大学院文学研究科博士課程後期3年の課程単位取得退学。博士(文学)。東北大学,北海学園大学,山形大学を経て現職。専門は社会心理学。著書に『紛争・暴力・公正の心理学』(分担執筆, 北大路書房)など。
この出前授業は,高校生のみなさんをいきなり2人1組にして,実際に交渉してもらうことから始まります。高校生にとっては,微妙で非現実的な設定ですが,新規オープンした居酒屋の店長役と,その店長にアルバイトとして引き抜きをもちかけられた大学生役に分かれ,「時給」と「1日の勤務時間」の2つの争点について交渉してもらいます。居酒屋の店長は人手不足解消のため,時給は低めに,勤務時間は長めにと思っており,大学生は留学資金を得つつ勉強時間も確保したいので,時給は高めに,勤務時間は短めにと考えています。とはいえ,ここが重要なのですが,設定上,店長は,時給を多少譲っても勤務時間は譲りたくない,大学生は,時給は譲れないが勤務時間は多少譲ってもよいという体で交渉してもらいます。つまり,どちらの争点がより重要かという優先順位でいえば,店長役は勤務時間,大学生役は時給であり,2つの争点に対する双方の優先順位は異なっています。実際に話し合ってもらう際には,このような利害関心を得点表にして,それぞれに渡します(表1)。この得点表には,2つの争点と,それぞれの争点に含まれる5つの選択肢,各選択肢で合意したときに自分が得られる得点が書かれています。また,この場合,店長にとって時給より勤務時間の優先順位が高いということは,時給では最大6点なのに対し,勤務時間では最大9点獲得できることで示されます。相手の利害関心,つまり相手の得点に関する情報は与えません。交渉中に自分の得点表を相手に見せるのはいけませんが,何を話してもかまいません。
こんなこてこての役割演技を今どきの若者がやってくれるのかと心配になるのですが,意外とノリよくやってくれます。10分ほど話し合わせた後に,ペアごとにどこで合意したかを報告してもらいます。このデモのねらいは,利害が対立しているからといって,間(あいだ)をとることが必ずしも最善ではないことを実感してもらうことです。実際,どちらの争点でも真ん中の選択肢(900円,5時間)に落ち着くペアが多くみられます(図1)。もっとも,より双方の得点が高くなる結果([950円,6時間],[1000円,7時間])も,昔と比べると(?)出やすくなったように思います。「ウィンウィン」という言葉が日常的にも聞かれるようになり,柔軟な見方のできる若者が増えているからかもしれません。
デモ後は,交渉において間をとるしかない場合と,ウィンウィンになりうる場合では,何がちがうのかを説明することにもっぱら力を注ぎます。反面,このあたりから高校生のみなさんの表情が乏しくなっていくようにも感じるのですが,気のせいと思うようにして力説していきます。交渉には分配的交渉と統合的交渉があります。分配的交渉は,争点が1つしかない,もしくは2つ以上あっても,それら争点の優先順位が双方で完全に一致している状況です。仮に,上の交渉デモにおいて,双方とも勤務時間より時給を重視していたとしたら,図2のような得点構造になります。つまり,パイの大きさはどこも同じ18点で,それをどう分けるかだけが問題になります。これは,私たちが交渉と聞いてすぐに思い浮かべるイメージの1つではないでしょうか。一方,統合的交渉は,交渉デモの得点構造がそうだったように,争点が2つ以上あり,争点の優先順位が双方において異なっている状況です(図1)。こうなると,どこで合意するかによってパイの大きさ自体も変動します。同じ半分に分けるにしても,できるだけ大きなパイを上手に選び,それを半分にした方がお互いの満足度も高まります。そういうわけで,交渉においてウィンウィンの余地があるかどうかを見極めるには,争点が2つ以上あり,その優先順位がずれていないかどうかに注意を向けることが重要になります。交渉と聞くとついゼロサムの状況と思い込んで,それに縛られたまま話し合いに臨んでしまいがちですが,実は世の中の交渉事には思った以上にウィンウィンの余地が隠れているのです。
出前授業の最後では,実際にはウィンウィンの状況なのにゼロサムと思い込んでしまうことを,どうやって減らしたらよいかについてふれます。何のひねりもありませんが,まずはそういう思い込みがあること自体を知ることではないかと思います。また,相手の主張の背後にある利害関心に目を向けようとすることも,この思い込みを避けるのに役立ちます。例えば,ある姉妹が1つのオレンジを取り合っています。お互いにそのオレンジがほしいと言って譲りません。オレンジは1つしかない,つまり争点は1つなのだから,もはや半分に分けるしかないように思えます。しかし実は,姉はジュースを絞るために実が必要で,妹はマーマレードをつくるために皮だけがほしかったとしたらどうでしょうか。この場合,オレンジを半分に切って分け合うより,姉には実を全部,妹には皮を全部あげた方がお互いの満足度も高くなるでしょう。言葉にすれば,2人とも「そのオレンジをちょうだい」と同じセリフになるわけですが,オレンジの何がほしいかについては必ずしも同じというわけではありません。さらにこの例は,もともと争点が1つしかないような交渉でも,新しくもう1つ争点をつけ加えることができればウィンウィンの余地が生まれうることを示しています。
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