応用倫理の領域から
今井 昭仁(いまい あきひと)
Profile─今井 昭仁
London School of Economics and Political Science修了。MSc in Philosophy and Public Policy。著書に『理論とケースで学ぶ 企業倫理入門』(分担執筆,白桃書房)。
大学によるダイバーシティ推進のさまざまな取り組みが報じられている。そのために重視されてきたのが選考である。新任教員の採用から学生の選抜など選考手続きに関わっている方も多いのではないだろうか。そこで,ここでは選考の観点から『心理学ワールド』の関連記事を振り返り,その後に応用倫理領域での議論を紹介する。なお,本稿の内容は現在や過去の所属組織の意見を表すものではない。
まず,97号「男女格差とダイバーシティ社会への移行」(坂田桐子氏,2022年)では,好意的性差別主義が紹介されている。これは女性への配慮が伝統的性役割と一致する場合のみであり,不一致な場合に敵対的態度がとられるものをいう。好意的性差別を受けた女性の活躍が妨げられる可能性が示唆されているが,差別する側もされる側も自覚しにくい点に注意が必要である。
次に,90号「集団を区別する─違いは本質にこそあると信じる素朴理論」(塚本早織氏,2020年)では,人の特徴を生得的な何かに求める傾向である心理的本質主義が取り上げられている。心理的本質主義の信念が強い場合,認知タイプの差を個人差よりも民族的な差に求める傾向があること,また,ある集団に人間の本質が欠けていると判断された場合,当該集団への差別に繋がりうることが指摘されている。ここでは,個人ではなく集団の特徴として認知することがある種の適応である可能性が示唆されており,問題の根深さを物語っている。
それでは,差別に関与しないようにする術はないのだろうか。52号「偏見の自己制御」(大江朋子氏,2011年)は,偏見の抑制を中心に紹介している。しかし,偏見を抑制し続けることは難しく,リバウンドする傾向があるという。抑制方略の多くもリバウンドを免れないことが示されている。
自身の好意的性差別主義や心理的本質主義に自覚的であるとは限らず,また偏見を抑制し続けることも容易でなければ,ダイバーシティの推進どころか,無意識に差別に関与していることもあるかもしれない。
ここで無意識のうちに他者を差別した時の責任について考えてみよう。有責と言えるのは一般に,その人がコントロールできる環境にある時である。しかし,差別が蔓延している文化圏にいる時,バイアスに気付き,コントロールできるだろうか。不可能な行動を強制できない以上,そこに責任を負わせるのは不合理かもしれない。こうした観点から,有責性に対する疑念が唱えられることがある[1]。
他方,『心理学ワールド』でも紹介されてきたように,差別に関連しうる心理的特徴は時代とともに知られるようになっている。このような観点から,以前は不十分な情報から生じた帰結について免責されたことでも現代では有責となりうること,また現代に生きる人々が均等に責任を負うのではなく,雇用などの意思決定に多大な影響を及ぼす立場ではより大きな責任を負うことが強く主張されている[2]。この主張は,選考に際して知るべき心理的特徴や,その責任の重さについて,真剣に受け止めるべき問題を提起している。
女性研究者の採用拡大などダイバーシティ推進のさまざまな施策が行われているが,選考にあたっての準備は十分だろうか。本稿が選考時に求められる知識水準や責任を考え直す機会,そして新たな研究の端緒となれば幸いである。
- 1.Saul, J. (2013) Implicit bias, stereotype threat, and women in philosophy. K. Hutchison & F. Jenkins (Eds.), Women in philosophy: what needs to change? (pp.39–60). Oxford University Press.
- 2.Washington, N., & Kelly, D. (2016) Who’s responsible for this? M. Brownstein & J. Saul (Eds.), Implicit bias and philosophy, volume 2: Moral responsibility, structural injustice, and ethics (pp.10–36). Oxford University Press.
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