- HOME
- 刊行物のご案内
- 心理学ワールド
- 104号 空間認知の科学 最前線
- 都市空間の認知研究を「眺める」
【特集】
都市空間の認知研究を「眺める」
北 雄介(きた ゆうすけ)
Profile─北 雄介
京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。京都大学学際融合教育研究推進センターデザイン学ユニット特定助教・特定講師,長岡造形大学造形学部建築・環境デザイン学科助教を経て2023年より現職。著書に『街歩きと都市の様相:空間体験の全体性を読み解く』(単著,京都大学学術出版会),『The Social City: Space as Collaborative Media to Enhance the Value of the City』(分担執筆,Springer)など。
はじめに
筆者は建築学が専門であるが,認知科学や言語学の分野に少しはみ出しながら,都市空間の認知の研究を行っている。これまでゆかりのなかった心理学分野からお声がけいただいたことを意気に感じ,折角なら本稿では,都市空間認知という分野の魅力や射程の広さをお伝えしたいと思う。その際,「図」に着目しよう。
ここでいう都市とは,我々の生活の場そのもののことである。心理実験において統制された空間や,部屋のような単位空間ではなく,きわめて具体的で,全体的な空間を指している。そこでは建物,木々,看板,道,車,人,音,におい,風……といった多様なものごとが同居する。また時間や天候,季節の移ろいは都市の表情を大きく変化させる。そして太古から今日まで,多くの人々の手によって都市はゆっくりとしかし確実に,その姿を変え続けている。このような複雑な場における認知を,どのように理解するのか。そこで,図である。都市は本質的に,空間の広がりなのだ。この空間を,図を用いることで紙上に定着させる。我々にとっての空間のあり方を,視覚的に把握し共有できるようになる。
ただし図化の過程では,都市やその認知現象のもつ豊かな情報量の,ほとんどを捨象あるいは縮約することになる。すると,その方法論や態度が問われるだろう。空間認知のいかなる側面に着目し,どのようにデータを取り,どんな図法を用いて表すのか。そこで本稿では,図そのものをじっくり眺めつつも,その作成方法にも言及する。
都市のイメージ構造
最初に紹介するのが,ケヴィン・リンチの『The Image of the City』[1](邦訳『都市のイメージ』[2])。都市空間の認知研究の金字塔であり,ご存知の方も多いだろう。リンチは我々が都市を思い浮かべたり記憶したりする際に「パス」「エッジ」「ノード」「ディストリクト」「ランドマーク」という5つのエレメントを用いていると考え,これらを元に都市のイメージマップを作成した(図1)。無数の街路の中にも他からきわだった重要な道(パス)があり,教会やタワーといった目立つ建物(ランドマーク)は記憶を容易にするとともに,市民の愛着の対象にもなる。かたや,何があるのか,どんな場所なのかよくわからないエリア(図1左下の空白地帯に相当)が,意外と家の周りに存在したりもする。我々の心の中の都市空間は,記憶の濃淡や歪みを伴って存在するのだ。
この図自体は有名であるが,図を得るためにリンチの採った研究方法も面白い。街の居住者を集め,記憶に基づく地図(認知地図)を描いてもらったり,都市景観を収めた写真を地図上に当てはめてもらったり,いつもの通勤ルートを口頭で説明してもらったり,街に出て道案内をしてもらったりと,あらゆる方法を試したのだ。図1はこれらの方法による成果を元に,最終的にリンチらが自らの足で歩いて確定したものだ。都市の空間認知という複雑な現象は,一元的なやり方では解釈できない。リンチの探究の過程は,彼に続く都市研究者たちにとっての道しるべとなっている。
認知のシークエンス
リンチの言う都市のイメージは,日常の経験の積み重ねによって形成される。では我々は,都市をどのように経験するのだろうか。筆者は経験をすべからく,経路的なものだと考える。家を出て,通りを歩き,電車に乗って,旅に出る。経験はこのような時間的・空間的な経路に沿って,数珠つなぎに展開する。そこで,都市を経験するシークエンスが,認知研究の一つの主題となる。
ドナルド・アプルヤードが,同僚であるリンチらとともに行った『The View from the Road』[3]という研究を紹介しよう。高速道路を車で走行する中で,人が何を見,何を感じているのかを,多彩なダイアグラムによって表現した(図2)。トンネルの両脇を通り過ぎる光,ランドマークとなる橋や建物,カーブを曲がるときの景観の変化。アプルヤードらはこれらを,ドライバーへのインタビューなどを元に図化している。自動車は,都市のダイナミックな体験装置なのである。
ところで図2は元々,縦に長い図である。それに合わせて『The View from the Road』という本も,縦長の大型本となっている。紙面には図や写真,文章が自由にレイアウトされ,道路からの景観の移り変わりをパラパラ漫画のように見せる趣向も凝らしている。筆者が知る限り最もカッコイイ研究書であり,是非,手に取って見ていただきたい。
次に手前味噌ではあるが,筆者自身の研究[4]をいくつか紹介する。アプルヤードらの自動車に対し,筆者はより原初的な街歩きという行為に着目する。街を歩けば,いろいろなエリアを横切ることになる。風情のある住宅街,そこから角を曲がればにぎやかな商店街へ,といったように。図3は,各エリアが言葉によってどう表現され,それが歩くにつれてどう移り変わるかを左から右へと示したものだ。隣り合うエリアで共通する言葉もあれば,あるエリアで突然上位にくる言葉もあり,街歩きのリズムを感じさせる。たとえば「AⅡ-4」は茶道の家元の並ぶ京都らしい街並みで,前後のエリアとの間の大きな違いが言葉のリストから見て取れる。
もっとも,都市におけるエリアの境目は決して明示されておらず,人によって捉え方も異なる。図3の元になったデータは,29名の被験者に京都市内の指定ルートを実際に歩いてもらった直後に,ルート全体を各々の仕方でエリアに分割した上で,各エリアに名付けてもらった自由記述だ。だから各エリアの言葉のリストは,被験者間での共有度合いに応じて,パーセンテージによる濃度で表される。都市における認知の多面性と曖昧さを,物語っているとも言えるだろう。
図3は歩き終わった「後」の言葉たちであるが,街を歩く中でも当然,我々は旺盛な認知活動を行っている。面白い現象が多数見つかったが,たとえば図4は,同じ対象にずっと着目して歩いた被験者たちの言葉である。音,お店の名前,脇道の様子,地面につけられた足跡マーク……。歩く中で,一種の確証バイアス[5]が形成されたと見ることができる。元々,その対象に興味があったのか。それとも歩く最中にたまたま一つ気がつくことで,次も次も,と気になるようになっていったのか。さらに,これだけ熱中していた被験者たちも,探すのに飽きると,急に言葉も記さなくなる。都市空間における認知とは,実に気まぐれな現象だと筆者は思う。
認知が地図を揺さぶる/地図が認知を揺さぶる
先の確証バイアスの例にもあるように,何かに着目して歩くことで,都市はいつもとは違った見え方をしてくる。このことを利用して,少し変わった実験をしてみた。静岡・焼津の港町を歩き,感じたことを全てオノマトペによって表現してもらったのだ。それらを地図にプロットし,「オノマトペマップ」ができあがった(図5)。大きな船は「で~ん」と構え,小さな船は「ちゃぷっちゃぷっ」と揺れる。オノマトペ縛りで歩くことで特に,音や風,ものの様子などに意識が集まった。マリー・シェーファーが提唱したサウンドスケープ[6]の研究ツールとしても,オノマトペは優れている。
街角をよく観察すると,なぜそこにあるのか,何なのかもよくわからないモノたちが顔を出している。「よいたあやしいまっぷ」(図6)は,新潟県長岡市与板町に潜むそんなあやしい(妖しい)モノたちを,学生たちが徹底的に探し歩くことで制作された。地図には,あやしいモノたちの背景にある妄想のストーリーが添えられる。それによると,回転椅子にくくりつけられたゴミ箱は街に潜入して捕らえられたスパイであり,銀色に光る倉庫は宇宙船となる。巻物という装丁も,あやしさをいや増している。この地図を持って与板を歩いた人たちからは,「街の全部があやしく見えてきた」という声も上がった。認知によってつくられた地図が,今度は逆に,人の認知の仕方を変えたのだ。
我々に驚きをもたらす地図として最後に,認知研究者というわけではないが,グラフィックデザイナー杉浦康平による「時間地図」(図7)[7]を挙げたい。大きくパンクした妙な形をしているが,これは日本地図だ。中心にある名古屋駅からの公共交通機関による到達時間によって,各都市をプロットしている。新幹線や飛行機でアクセスできる東京や札幌は地図の中心へと引きつけられ,それらよりも直線距離では近いはずの紀伊半島や能登半島の諸都市は,逆に遠方に投げ出される。長岡市に住む筆者も,新幹線で行ける東京よりも隣県の山形の方が感覚的には遠いと感じるから,名古屋を起点とした距離感もある程度はわかるつもりだ。しかしいざ地図として提示されると,予想以上の凹凸形状に衝撃を受ける。所要時間という客観的データから作成されてはいるものの,この地図は我々の空間認知を確かに反映しており,同時に認知を揺さぶるのだ。
おわりに
紹介してきた7つの図は,各々異なった視点で,都市空間の認知という複雑な現象を切り取っている。切り取り図化することによってはじめて,属人的で,容易に移ろいもする我々の認知を,共有することが可能となる。現象の全体は,無数の視点の重ね合わせによって見えてくるだろう。
また図は,研究の推進力にもなる。描かれた図が仮説を生み,次なる研究を誘起する。最初に図のラフスケッチが生まれ,それを描くためにはどのようにデータを取るべきかと,構想することもある。ただ,図という視覚表現に依拠するこのような思考の筋道は,もしかすると建築や都市を専門とする者に特有なのかもしれないと,ここまで書いて思う。私たちは都市を知るだけではなく,デザインしていかなければならないからだ。街に赴き,そこで感じ考えたことを元にして,図面やスケッチを繰り返し描く。そしてそれらの図と対話することを通じて,建築をつくり,街を変えていく。図を介して,認知と研究,そしてデザインとがつながりあっている。都市はそのような,創造的な場なのである。
都市がどのように感じられ,そしてかたちづくられてきたのかを理解しようとすることは,翻って我々の心のあり方を問い直すことにもつながる。一度街に飛び出して,人間と空間との複雑なる関係性の中へと思考を巡らせてみるのはいかがだろうか。
- 1.Lynch, K. (1960) The image of the city. The MIT Press.
- 2.リンチ,K./丹下健三・富田玲子訳(2007)都市のイメージ 新装版.岩波書店
- 3.Appleyard, D. et al. (1965) The view from the road. The MIT Press.
- 4.北雄介(2023)街歩きと都市の様相:空間体験の全体性を読み解く.京都大学学術出版会
- 5.自らの信念や思い込みにより,都合のよい情報だけを集めてしまう傾向のこと。
- 6.シェーファー,R. M./鳥越けい子他訳(2006)世界の調律:サウンドスケープとはなにか.平凡社
- 7.杉浦康平他(2014)時間のヒダ,空間のシワ…[時間地図]の試み:杉浦康平のダイアグラム・コレクション.鹿島出版会
- *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。
PDFをダウンロード
1