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【特集】

「**を控えてください」が効果的でない理由

大竹 文雄
大阪大学感染症総合教育研究拠点 特任教授

大竹 文雄(おおたけ ふみお)

Profile─大竹 文雄
大阪大学大学院経済学研究科博士後期課程退学。博士(経済学)。専門は労働経済学,行動経済学。2017年より大阪大学栄誉教授,2021年より現職。著書に『行動経済学の使い方』(単著,岩波書店),『あなたを変える行動経済学:よりよい意思決定・行動をめざして』(単著,東京書籍),『実践 医療現場の行動経済学:すれ違いの解消法』(共編著,東洋経済新報社)など多数。

医者嫌いの理由

医者に行くことが嫌いな人は多い。それは,医者から「**を控えてください」と言われることが多いからではないだろうか。医者は,高血圧の患者に,健康のために塩分を控えるべきだ,と考えて,患者の行動変容を促す。しかし,患者は,濃い味付けが好きなのに,それを控えろと言われると損失を感じる。損失を感じると,そのような行動は取りたくなくなる。これは行動経済学で損失回避と呼ばれている現象である。

損失回避とは,同じ額の利得と損失だと,損失からのショックの方が大きいことを言う。1万円を抽選に当たってもらったとしよう。その10分後にもらった1万円を失くしてしまったとする。あなたは,1万円をもらう前と1万円を失くした後では,どちらの幸福度が高いだろうか。おそらく多数派の人は,1万円を失くした後の方が不幸だと感じるのではないか。しかし,あなたが持っている資産額は,1万円をもらう前と失くした後では,どちらも同じである。もし,私たちが持っているお金の額から幸福を感じるのであれば,どちらも同じ幸福度となるはずである。しかし,私たちは絶対的な資産水準ではなく,参照点と呼ばれる比較対象からの変化を重視する。同じ金額の利得と損失だと,損失の方を大きく評価するのだ。そのため,同じ資産水準にあるはずなのに,1万円を失くした後の方が,1万円をもらう前よりも不幸だと感じるのだ。

「塩分を控えてください」は,濃い味付けの料理を食べるという参照点と比べると損失になる。では,同じ内容でも参照点を変えてみるとどうなるだろうか。例えば「汁を残すようにすればラーメンを食べても大丈夫ですよ」という表現である。このような医者の言葉なら指示通りにしてもいい,と思えるのではないか。この場合,ラーメンを食べても良い,という利得が強調されている。この表現の暗黙の参照点は,「塩分を控えるためにラーメンを食べない」というものである。それに比べると,「汁を残せばラーメンを食べられる」というのは利得になる。

論理的には,同じことでも参照点を変えることで,利得を強調することもできれば,損失を強調することもできる。行動変容を進めるためには,利得を強調すべきか,損失を強調すべきか,よく考える必要がある。

第1回目の緊急事態宣言が発出されていた2020年4月22日に新型ウイルス感染症専門家会議から「人との接触を8割減らす,10のポイント」が示された(図1)。筆者はこのメッセージの作成に関わった。1番目のメッセージは,「ビデオ通話でオンライン帰省」である。このポイントが発表された日のNHKの夜7時のニュースは,この言葉で始まった。実は,このメッセージの原案は,「帰省を控えてビデオ通話を利用」というものだった。原案であれば,「帰省を控える」という損失メッセージになっているが,最終案では,「オンライン帰省ならできる」という利得表現になっている。論理的には同じだが,参照点を変えることで,行動変容が生じやすくしている。他のポイントも全てそのように工夫してある。他のメッセージについても「**を控えて」という言葉が用いられていた原案を読者が推測することは難しくないだろう。

図1 人との接触を8割減らす,10のポイント
図1 人との接触を8割減らす,10のポイント

行動経済学とナッジ

本人や社会にとって望ましい行動を促進するような情報提供の工夫や選択肢の提示の仕方のことを,行動経済学ではナッジと呼ぶ。

ここで,行動経済学は,心理学で明らかにされてきた人間の特性を経済学に組み入れた学問分野である。従来の経済学では,人は可能な限り最善の選択をすると考えられてきた。しかし,行動経済学では,人間の心理的な特性から,最善の選択ができないことがあると考えている。しかも,私たちが最善の選択ができない場面というのは偶然ではなく,予測可能な場面で生じていると考えるのが行動経済学である。先ほど説明した損失回避もその予測可能な場面の一つである。現在の状態が参照点と捉えられれば,そこからの変更が損失とみなされることも多い。そうすると,現状を維持することを選択しやすいという現状維持バイアスも発生する。

行動経済学的特性の代表的なものには,損失回避に加えて,現在バイアス,社会的選好,ヒューリスティックスなどがある。現在バイアスは,遠い将来のことについては将来を重視した選択ができるのに,直近のことについては現在のことを重視した選択をしてしまうことをいう。以前に決めていた計画を特に状況が変わったわけでもないのに先延ばしするのは,現在バイアスが原因である。ダイエットや宿題の先延ばしはその例である。

社会的選好は,自分自身の利得だけを考えるのではなく,他者の利得も考慮するというものである。人のためになることをすれば自分もうれしいというものもあれば,恩を受けると返したいということもある。さらには,多数派の人の行動にしたがいたいという社会規範の影響もある。自分の社会的イメージを維持したいというのもその一つである。

ヒューリスティックスとは,人間の計算能力の限界から直感的な意思決定をすることである。最初に目にした数字を参照点に用いてしまうアンカリング効果やレストランのメニューで松竹梅と価格が3つある場合に真ん中の選択肢を選ぶ極端回避性,すぐに利用可能な情報だけを用いて意思決定に使う利用可能性ヒューリスティックなどがある。

以上のような人間の特性で,私たちは最適な選択ができないという事態に直面することがあると行動経済学では考えられている。逆に言えば,行動経済学的な特性をうまく活用すれば,意思決定の歪みをもとに戻せるかもしれない。行動経済学を活用し,情報の提示の仕方や選択肢の設計を工夫することで,よりよい意思決定を促すものがナッジである。

伝統的な経済学で,人の行動に影響を与えようとする場合,補助金や税金,価格の割引や割増,賃金の引き下げや引き上げといった金銭的なインセンティブを用いる。法律学であれば,特定の行動を禁止して,法律を守らない場合は罰則を与えるという形で行動変容を促す。自動車のスピード違反を減らすために,違反者に対し罰金を課すのはその例だ。

行動経済学を活用すれば,本人にとって望ましくない意思決定を促すことも可能である。一旦契約すると,何もしないと契約が更新されるサブスク型の契約は,現状維持バイアスを利用している。しかし,サブスクは,本来は契約を解除した方が,本人にとって利益がある場合でも,契約を続けてしまう可能性を高めている。このタイプの選択肢の提示の仕方は,消費者の利益ではなく,販売側の利益を高めている。ナッジと同様に行動経済学を応用した行動変容ではあるが,本人や社会のためにならない行動変容を促すものは,スラッジと呼ばれている。

悪質なスラッジは,法的な規制の対象になる。しかし,多くのスラッジは悪意でなされているというよりは,情報提供者が無意識に行っている。私たちが受けとる通知文の中には,動作指示が明確でなく,行動を引き起こしにくいタイプのものが多い。ナッジの知識を多くの人が身につけることができれば,ナッジを増やし,スラッジを減らすことにつながる。


ナッジの設計

行動変容が必要な場合,どのようにしてナッジを考えればよいだろうか。最初に行うことは,意思決定プロセスを考えることである。望ましい行動を行う上で,最終的に理想的な行動が生じるまでの意思決定プロセスを詳細に考えるのだ。老後のための貯蓄形成の意思決定プロセスを図2で示した。まずは,老後貯蓄の重要性の認識から始まる。つぎに,老後貯蓄としていくらの金額が必要か,毎月いくら積み立てればよいかを計算する必要がある。そして,実際に金融口座を開設し,金融商品を選んで購入し,定期的に運用状況をチェックすることを続ける必要がある。

図2 老後貯蓄の意思決定プロセスとナッジ
図2 老後貯蓄の意思決定プロセスとナッジ

意思決定プロセスマップが出来上がれば,意思決定のどこで躓いているのかを検討する。躓きの原因は,人によって異なることが多いし,時間的な推移によっても変化する。また,複数のボトルネックがある場合も多い。

老後貯蓄の重要性を認識していないことが重要であれば,重要性を認識させる情報提供が効果的になる。金融商品の決定にボトルネックがあれば,金融商品を選びやすくするようなナッジが効果的になる。

意思決定プロセスマップをもとに,どのボトルネックの可能性が高そうか,ナッジ介入の手段は存在するかといった点を検討する。ナッジの介入ポイントと手段が決まれば,具体的なナッジの検討である。

図3 代表的なナッジ
図3 代表的なナッジ

代表的なナッジは,図3で示したように4つある。ナッジで最も効果が大きいのは,デフォルトの変更である。デフォルトは,明示的な意思表示がない場合に,選択されたとみなされる意思決定の内容である。例えば,脳死での臓器提供の場合,意思表示カードに「移植のための臓器を提供します」にチェックして署名しないと臓器提供の意思があるとみなされない。この場合のデフォルトは,「臓器提供しない」である。ヨーロッパの多くの国では,デフォルトが逆になっている。その結果,臓器提供の意思があるとみなされている人が圧倒的多数になっている。

情報提供型には,損失あるいは利得を強調して行動変容を促すものと,多数派の行動を示して社会規範に従う人間の特性を用いるタイプのものが代表的である。そして,現在バイアスの先延ばしを防ぐためのコミットメント手段を提供するというナッジも効果的である。リアルタイムに情報提供するというのも先延ばしを防ぐ効果がある。


風疹抗体検査の受診促進ナッジ

2019年度から2024年度まで日本政府は,1962年度から1978年度生まれの男性に対し,風疹抗体検査と予防接種の無料クーポンを送付している。これは,対象世代の男性の風疹抗体保有率が約80%と他のグループよりも10%ポイント以上低かったことが理由である。そのため,この世代を中心に風疹の流行が生じていた。また,この世代の抗体保有率を引き上げると日本で集団免疫が達成できるというメリットもあった。私たちの研究グループでは,クーポン送付対象者の抗体検査の受診促進ナッジに関する効果検証を行った[1]

2019年度に厚生労働省が用いていたメッセージは,「あなたと,これから生まれてくる世代の子どもを守るために風しんの抗体検査と予防接種を受けましょう!」だった。このメッセージは,行動指示は明確であったが,医学的知識がないものにとって,抗体検査と予防接種を受けると生まれてくる子どもをなぜ守ることができるのか分からないという問題があった。メッセージを受け取ったとしても,抗体検査の必要性を理解できないというところがボトルネックになっていた。

そこで,医学的知識に関する情報提供をする3つのメッセージを作成した。第1に,「あなたがきっかけで,妊婦さんが風しんウイルスに感染すると,障害をもった赤ちゃんが産まれてくる可能性があります!」という利他的な社会的影響を強調する胎児への影響についての医学情報の提供である。第2に,成人男性が風しんに感染すると,重症化して,脳炎や血小板減少性紫斑病などの合併症が発症する可能性があります!」という利己的な医学情報の提供である。第3に,「あなたの世代の5人に1人は,風しんの抗体を持っていません。これは,他の世代に比べて倍以上の人が風しんに感染する可能性があるということです!」という社会比較メッセージである。

2020年1月にオンライン実験を行いそれぞれのメッセージだけを提示した後,2か月後に抗体検査の受検の有無を追跡調査した。その結果,厚生労働省のメッセージに比べて,利他的なメッセージの効果が最も大きく,その次に利己的なメッセージと社会比較メッセージであった。つまり,対象者の多くは医学的知識にボトルネックがあったのだ。

ただし,ボトルネックはこれだけではなかった。クーポン対象者で抗体検査を受けていない人に,「子どもの頃に,風しんのワクチン接種をうけましたか?」という質問をオンライン調査でしたところ,55%が「受けた」と答えていた。この世代の男性は,子どもの頃に風疹予防接種の定期接種は受けていなかったので,明らかに誤解している。

そこで,私たちは利他的な医学情報とワクチン接種の誤解を解消する情報を入れたリーフレットを開発した(図4)。このリーフレットには,風疹抗体検査の予約日を書き込む欄を設けて,コミットメントしやすくし,先延ばしを抑制する工夫や他の世代との抗体保有率の差を示した社会比較の要素も入れられている。このリーフレットについても効果検証を行い,対象者の受検意欲,行動をともに引き上げたことを確認した。

図4 風疹抗体検査のリーフレット
図4 風疹抗体検査のリーフレット

以上のように,ナッジを社会実装するには,ボトルネックがどこにあるかを明らかにし,それを解消する情報提供を考えること,想定したとおりの効果があったかを検証していくことが重要である。

  • 1.加藤大貴・佐々木周作・大竹文雄(2022)風しんの抗体検査とワクチン接種を促進するためのナッジ・メッセージの探究:全国規模オンライン・フィールド実験による効果検証. RIETI DP, 22-J-010. https://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/22030022.html
  • *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。

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