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【小特集】

生物学と心理学の学びにおける共通点─理学部と教育学部での経験から

河西 哲子
北海道大学大学院教育学研究院 教授

河西 哲子(かさい てつこ)

Profile─河西 哲子
北海道大学理学部および教育学部を卒業。産業技術総合研究所特別研究員などを経て現職。博士(教育学)。専門は視覚的注意の認知神経科学,認知心理生理学。著書に『注意の生涯発達心理学』(共編,ナカニシヤ出版),『私たちはなぜスマホを手放せないのか』(監訳,福村出版)など。

はじめに

約8年前,『心理学ワールド』75号で脳波研究の簡単な紹介をさせていただきました[1]。今日,解析技術の進歩で脳波はさまざまな領域で研究されています。私は脳波を使って,知覚や注意といった基礎心理学的テーマを研究しています[2,3]。それらは学習や高次の認知機能の土台であり,特別支援教育やその周辺領域に貢献することが期待されます。

今回,もともと理学部生物学科だった私がなぜそのような研究を行うに至ったか,心理学との共通点を探りながら振り返りたいと思います。


理学部での実験実習

学んだ生物学科では当時,3年次はほぼ毎日夕方の4,5時間目,曜日ごとに系統分類学,発生学,遺伝子学,生理学など異なる実習が行われ,毎度レポートの提出が課されました。授業通りの時間に帰れることは稀でした。ときに山へ,川へ,海へと採集に出かけたのに加えて,3週間にわたる北海道大学付属の厚岸臨海実験所で行われた合宿実習では,朝から晩まで観察や実験に追われたのを覚えています。心理学の専攻でも系統だった心理学実験やレポート,保育所や支援施設の「現場」に触れることなど,初学者における体系的で,身体を通した学びの重視は共通ではないでしょうか。

実習の内容にも心理学に通ずることがありました。たとえば,一山の大小異なる色・形の貝が与えられ,分類せよと命じられました。頭をひねりながら何種類かに分けて教官に見せに行ったところ,すべて同じく小樽に生息するムラサキイガイ(いわゆるムール貝)とのこと。環境だけでそんなに変わるものかととても驚いたのを覚えています。個体の特性と環境の関係は心理学でも主要テーマの一つと言えるでしょう。

数々の実習の中でもっとも面白かったのが,行動に関するものでした。水中に生息するエラコという細長い動物がいます(名前を思い出せずかつての同級生に教えてもらいました)。たくさんの個体が管からふさふさとした鰓を出しており,それらは手をたたいて音を出すとヒュウっと引っ込みました。重要な点は出した音の大きさに応じて引っ込む個体数が変わることです。刺激感度に個人差があることは実験心理学にも重要な観点です。

また,カエルの脳にガラス電極を刺して,電極のそばにたまたま居合わせた神経細胞がどんな視覚刺激に選択的に反応するかを調べるやや本格的な生理学の実習がありました。室内の電気をオンオフしたり,暗闇の中でペンライトをカエルの目の前のいろいろな場所で異なる方向に動かしたりしました。神経細胞の反応がようやっと見られて,反応特異性を探り当てたときには歓喜しました。こういった手法による神経生理学の知見は,知覚心理学や認知心理学でも基礎となっているものです。


理学部での卒業研究

卒業研究はザリガニの逃避反射でした。ローテクな実験で,一定の強度でザリガニの尾を刺激するために,プラスチックの押し入れケースに一定の高さの水を張り,水面の高さから,糸を付けた釣り具用の重りを落としました。ぱしゃっと音を立てて回転し,スーッと後退すれば逃避反射です。しかし最初,逃避反射ではなく,ハサミを高く上げた威嚇行動が観察されました。

おかしいなと何回か続けていくうちに尾の部分が徐々に傷んできたので,慌てて重りを軽くしたら逃避反射が起きました。最小の重りでは起きなかったので,行動を生じさせる刺激強度にちょうど良い範囲があることを学びました。その後5分おきに刺激して反射が起きなくなるまでの回数によって「慣れ」を測定し,刺激強度はもとより,個体の大きさ,体液中の神経調節物質の濃度,外傷(ハサミを失った後)で変わることを確認しました。背骨や脳がなくても,感覚刺激の受容と行動は,個体の特性や状態のさまざまな要因によって異なるのです。


理学部から教育学部へ

こういった数々の興味深い経験の機会を得ながらも,十分な滅菌作業をしたつもりで移植手術を行ったメダカが命を落としたり,鶏の卵を使った発生過程の観察では,自分の卵の標識のため全面にカラフルな模様を描いて孵化しなかったりと失敗を重ね,自分には向いていないと判断しました。それでも運よく卒業後は2年ほどマウスやハムスター対象の研究職に就くことができたものの,かねて興味があった臨床心理学を学ぼうと教育学部3年次に学士入学することとなりました。人を対象とする研究がしたかったのです。

しかしいざ教育学部に入学してみると,そのときは期待していた臨床心理学の講義にはあまり興味がもてず,代わりに精神生理学の講義に心を奪われました。白黒のチェック柄の反転などを見ているとき,人の頭皮上からプラスやマナイス方向に振れる一連の電位変動が,チェック柄の大きさや位置などによって系統だった変化を示します。カエルで観察したような脳の神経反応が,人を対象として,しかも傷つけることなく観察できる。なんて素晴らしいんだろうと夢中になって,今に至っています。その点では,専門を変えたというより,自然に生物学的心理学に導かれてきたと言った方が良いかもしれません。


教育学部の心理学

さて教育学部では,心理学の基礎からの学びでした。実験心理学や人の知覚や思考を情報処理過程とする見方ははじめてで,とても新鮮でした。特殊教育(今で言う特別支援教育)の研究室に所属したのですが,その領域では当時から,日常生活や学習における困難に対して,基本的な認知機能や生理学的機構から理解することが重視されていました。あまり意識していませんでしたが,生物学科での体当たりの経験は,それらの理解の土台として有益だったのではないかと推測しています。

また,心理学実験における一連の先行研究からの問題の導出や,綿密な作業仮説の論理的な組み立て,レポートにきわめて正確な形式が求められることも新鮮でした。生物学科ではひたすらに観察や作業を行ってレポートは簡潔なものだったのとは一線を画します。しかし,観察と実験が体に叩き込まれていたことは,今思うとメリットだったかもしれません。作業仮説の構築やデータからの推論といった実験心理学の基礎が,自分の中にスイスイと入ってくる感覚がありました。ただこの頃の学びには,ようやっと人の研究ができることの喜びの影響が大きかった気もします。ヒト以外の動物で行われる研究と人とのつながりが分かるようになったのはまだだいぶ後のことでした。

その後大学院に進学し,次に2年ほど産業技術総合研究所で,より専門的な認知心理学研究を学ぶ機会を経てから,教育学部で基礎心理学を担当する立場となりました。今日,公認心理師カリキュラムに反映されるように,実践に加えて科学的な心理学の学びが求められているのではないかと思います。その一翼として,環境と個体の相互作用過程の仕組みの解明にむけての心理学教育と研究に貢献できればと考えています。


おわりに

心理学の多面性により他領域からの転向には利点があるかもしれません。しかし時間がかかる難点もあります。一方で早い段階から領域横断的な学習ができる機会が増えているように思います。たとえば,北海道大学大学院には部局をまたがる教育プログラム「脳科学専攻」があり,専門を転向しなくても,幅広く心理学や脳科学を学ぶ機会が用意されています。異なる領域の学生たちが出会うことによって,互いに新たな視点が得られることも期待されます。

また全学科目では「脳波で探る心理過程」と題した講義を開いています。大学に入って1,2年目を中心に文理を超えた多数の受講があり,心理学や脳科学への関心の高さがうかがえます。しかし実習を経ることなくそれらの神髄に触れるのは難しいかもしれません。講義では日常的な関心と専門的な関心の橋渡しをねらって,毎回の事前学習資料を『心理学ワールド』の記事から選ぶようにしています。いつも興味深いトピックに驚かされ,一緒に学ばせていただいています。多様な心理学を学ぶ機会に恵まれた世代から,どのような心理学研究が生まれてくるのか楽しみです。

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