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【特集】

心理学の犯罪捜査への応用における倫理的・社会的・法的な問題

藤田 政博
関西大学社会学部心理学専攻 教授

藤田 政博(ふじた まさひろ)

Profile─藤田 政博
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は法と心理学・法社会学。政策研究大学院大学助教授,カリフォルニア大学バークレー校客員研究員などを経て2015 年より現職。著書に『司法への市民参加の可能性』(単著,有斐閣),『Japanese society and lay participation in criminal justice: Social attitudes, trust, and mass media』(単著,Springer)など。

犯罪捜査における心理学の必要性

本稿では心理学を犯罪捜査に応用した場合の倫理的・社会的・法的な問題を扱う。本題に入る前に,前提として,裁判における心理学を活かした犯罪捜査は司法においてどのように考えられており,どのようなニーズが司法の側からあるかについて確認しておきたい。

司法における判断は,具体的事件についての裁定を行うことを目的としている。その際には,事件において何が起きたのかという事実の認定を行う。認定された事実に対して法規範を当てはめる。事実に対して法規範が当てはめられるとその事件についての結論がでる。結論とは,刑事事件では有罪か無罪か,有罪であれば何罪が成立するかといったものである。なお,適用されるべき法規範について議論の余地があれば議論をして決する。

このように,事実に対して規範を当てはめて事件についての結論を出すのが司法制度のうち特に裁判のはたらきである。そして,その判断に不可欠なのが事実の認定である。どのような事実があったのか,それが確定しないと規範を当てはめたときの結論が出せないからである。たとえば殺人事件であれば被害の有無,殺す行為の有無,殺意の有無,そういった事実を確定しないと裁判は終わらない。

裁判官は法律の専門家であり,法的思考と体系的知識,法的議論の運用について永年の訓練を受けた専門家である。事実を規範に当てはめ,その規範について議論が分かれるときにどのように対処するか,その結果をどのように文章として表現するかに非常に長けている。

しかしその一方,事実がどのようなものであったかを知ることについての専門家ではない。というと語弊があるが,殺人事件の現場に遺留された指紋を採る方法やそれが一致しているか知る方法,現場に残された液体の中身を知る方法やあやしい白い粉がどのような物質であるか特定する方法とその運用に関する知識といったものを教育される機会はない。それはその道の専門家が鑑定して報告書を作成し,裁判所に提出する。裁判官は,それを受け取って,法律的判断に必要な事実として考えた場合にどのように評価できるかを考え,法規範に当てはめる。

指紋や物質の鑑定の場合と同様に,法律の専門家は法解釈の専門家であるが人間科学の専門家ではない。そのため,人間の行動や特性について正しい知識を持っているとは限らない。たとえば嘘をついている人がいるときに,その人のさまざまな動作や表情から嘘を見破れるか,人の顔の識別において識別対象が知人かどうかで成績が異なるか,事件の目撃記憶において警察官と一般人で異なるか─といった問題に関して正確に回答できるわけではない。

ただし,裁判官を始めとした法曹三者は,共通した司法修習を受け,その際に,「経験則」と呼ばれている,これまでの裁判の積み重ねの中で行われてきた事実の認定の仕方を学習する。しかし,それはこれまでの裁判での判断で用いられてきた,という先例であるということであってその内容が科学的に吟味されたわけではない。したがって,人間の認知能力の限界を正しく捉えていなかったり,その他人間の特性がきちんと反映されていなかったりする場合もある。

そこで,事件において何が事実であったかを裁判官が認定する上で,実験などの信頼できる観察方法で確かめられた知見によって人間の特性に関する情報を提供するところに,心理学が犯罪捜査や司法の判断に貢献する必要性がある。

ただ,仮にもし法律家が以上のような問題があることに全く気付いていなかったり,「自分はこれまでの人生や裁判で多くの人間を間近で見てきたので人間に関してすでに十分知っていて,人に教えを受ける必要はない」と考えていれば,法的な判断権限という権力を持たない心理学者ができることは限られている。一方で,人間科学的な知識の有用性と意義を認めて尊重し,法制度や判断に積極的に取り入れていこうという姿勢を法律家が採用していれば,心理学と司法は幸福なコラボレーションを行うことができる。

心理学の犯罪捜査への応用における倫理的問題

心理学の知見と研究方法を犯罪捜査に適用することには以上のような状況と必要性があることを前提に,心理学を法的判断や司法に応用する際の倫理的な問題を考えていこう。心理学に対して一般の人が持つイメージは「心が読める」である。このイメージは実態とはかけ離れている。しかし,まったく外れているとも言えないのは,司法に関連する研究領域には虚偽検出(lie detection)[1]という領域があり,どのような場合に嘘が見破れるかの研究が行われていたり,ポリグラフ検査を通じて記憶内容の推定が行われたりすることがあるからである。

ポリグラフ検査とは,複数の生理指標を用いた記憶検査のことである。記憶検査の方法を工夫して,本当に犯人以外のものが知らないはずのことを覚えているかどうかを生理指標を用いて推測することで,犯人か否かを識別することに利用されることがある。具体的には,殺人事件の初期の捜査で,家族などの関係者が犯人「ではない」ことなどを判定するために用いられることがある。使用される代表的な生理指標には,脈波,血圧,呼吸,皮膚電位反応などがある。

発言を嘘かどうか見破ることの問題
ポリグラフを用いたり,あるいは機械を用いずとも本人が言っていることを嘘ということ,あるいは言わないことをもって嘘をついていると見なしたりすることには,倫理的な問題が含まれうる。なぜなら,本人が言いたくないことをむりやり言わせることに等しくなるからである。例えば,違法薬物の使用の嫌疑がかけられた人がいて,本人が自己使用を認めない場合を考えてみよう。刑事訴訟法上典型的な問題とされるのは,この場合に強制採尿が許されるかどうかという問題である。本人が話さないときあるいは否定しているときでも尿から違法薬物が検出されれば使用したことを立証可能である。しかしこれは本人が言いたくないことについて別の手段で言わせているに等しい。そのため,倫理的な問題を生ずる。そしてこれは同時に黙秘権(憲法38条第1項,刑事訴訟法198条第2項,311条第1項)の侵害に当たる可能性があるという意味で法的問題にもなりうる。最高裁判所は,真にやむを得ないときは強制採尿がみとめられるとしている(最決昭和55年10月23日刑集第34巻5号300頁。実施には捜索差押令状が必要で医師が行わなくてはならない)。これと同様に,もし心理学的技法が今後発展し,尿検査ほどの確度をもって嘘を発見できるようになれば,強制採尿と同じ問題が心理学的手法でも生ずる可能性がある。

実施方法についての問題
強制採尿のような方法は,その方法の実施自体について,倫理的な問題が生じうる。それは,同意していない被疑者の尿道にカテーテルを挿入するという方法で行われるからである。ポリグラフ,fMRI(functional Magnetic Resonance Imaging,機能的磁気共鳴画像法),その他の物理的な方法を用いる場合にも,その方法を用いることが倫理的な問題を生じないかについて常に注意する必要がある。もし,身体に対して侵襲的な方法で検査する場合,強制採尿と同様に令状が必要になるだろう。

このような物理的な方法を伴わない場合でも,心理検査などの質問内容によっては倫理的な問題が生じうる。かつて公務員や企業の採用試験時にMMPI(Minnesota Multiphasic Personality Inventory)[2]を用いてその質問内容に違和感を感ずるということで話題になったことがある。MMPIには男性性/女性性尺度が含まれており,これによって性的志向を測定し採用時の選別に使用され裁判になった事例もある。このように差別につながったり,これまでの差別を固定化したりするような使われ方をする場合,倫理的な問題が生じうる。MMPIは裁判になったり市民団体が反対の声をあげたりしたことで有名になったが,それ以外の尺度に全く問題がないかどうかは分からない。筆者はかつて権威主義的パーソナリティの研究でF尺度[3]を使用していたが,この尺度の文言は今日の通常人から見て違和感なく回答できるかどうか疑問なしとはしない。心理検査を使い慣れた者からすると問題がないように見えても,初めて見る対象者には拒絶感を生ずる質問は存在しうる。その場合には実施において許されるかどうか,犯罪捜査としての必要性や倫理的な問題性を考慮して行う必要があると思われる。

心理学の犯罪捜査への応用における社会的問題

心理学を犯罪捜査に応用することは,刑事司法制度に対する国民の信頼に影響を与えることがある。国民の間に心理学や心理学的捜査手法に対する悪い誤解があれば,国民に不信を生み,警察活動への協力や,ひいては司法制度への信頼が損なわれる可能性がある。社会の多くが誤解をしていることはよくあることで,殺人などの凶悪犯罪は増えているという,事実と真逆の誤解がされていることもある。そして,ときに一般の人々の誤解に基づいて法制度が作られることがある。

たとえば少年法の改正の例がある。少年法は比較的頻繁に改正されている。通常は法務省の法制審議会において専門家が会合を開いて改正案について検討する。しかし,場合によっては議員立法という形で,そのような検討がなされずに一気に改正されてしまうことがある。そのようなとき,いわゆる「エビデンス」に基づかず,一般社会における印象論が議員を動かして法改正へと至る場合がある[4]。法制審議会で心理学者や社会学者が関与する機会なく法律が成立する場合,基本的なエビデンスを欠いたまま法律が成立することがある。

もし,一般社会に「心理学は人の心を覗ける」という誤解が残った状態で心理学を応用した捜査手法が普及すれば,警察によって心の中が覗かれるといった誤解を一般に生む可能性がある。その結果,不必要に心理学が敵視されたり捜査手法が規制されたりする可能性が出るだろう。心理学は一般の関心が高い分野である一方,信頼できる研究者によって書かれた一般向けの本よりも,そうでない本の方が売れている分野でもある。そのような本の中には,心理学に関する誤解を拡散している本もある。法律には真実が反映されるのではなく,立法のプロセスにおいて多数をとった人の考え方が反映される。心理学をきちんと修めた人々による,不断の啓蒙活動が必要とされる。

心理学の犯罪捜査への応用における法的問題

被疑者から情報を引き出す場合の法的問題
上記で触れた問題のうち,本人が黙秘を希望している情報について別の方法で実質的に聞き出すことについては,黙秘権の侵害の可能性がある。これが実際に黙秘権の侵害となれば,憲法上の人権の侵害として法的問題となりうる。

また,心理学を応用した犯罪捜査方法を人に適用する場合,その方法が精神的または身体的に侵襲的なものであれば,その程度が大きい場合には単に倫理的な問題にとどまらず,法的問題となる。犯罪捜査という正当業務行為として認められなければ,捜査担当者が傷害罪に問われる可能性も生じるだろう。憲法上・刑法上の問題とは別に,民事で賠償責任を負う可能性も生ずる。

刑事訴訟法上の問題としては,以上の方法を使用する際に,対象者の意思に反して実施する場合には捜索差押令状が必要になるかどうかが問題となる。もし心理検査や質問紙調査や面接が,逮捕・勾留された被疑者に対する取調べの一環として行われる場合には取調受忍義務が被疑者に認められるかどうか,仮に認められる場合にはその義務に含まれるかどうかが問題になるだろう。なお,判例(最判平成11年3月24日)は,逮捕・勾留された被疑者が取調べの場にとどまる義務は認めているものの,意思に反して供述する義務までは認めていない。

以上のような取調べを伴わない場合,令状をもって行う強制捜査として許されるか否か,許される場合にはどのような要件のもとで許されるのかという刑事訴訟法上の問題となる。

聞き取りなどの結果が裁判で使えるかという問題
心理学的捜査手法で得られた情報は,捜査報告書などの書面となって証拠化される。そして,きたるべき裁判で提出されれば,裁判に提出して良いかどうかが裁判官によって判断される。

裁判に提出してよい証拠のことを「証拠能力のある証拠」という。裁判は証拠に基づいて行われる(刑事訴訟法317条)から,どのような証拠に基づいて判断されるかは決定的に重要である。裁判の証拠として使うと裁判を誤るような情報については証拠能力を認めず,一律に裁判の場に出せないようになっている。

ここで問題になるのが,「科学的証拠」である。科学と言えば人類の知的活動のなかでも信頼できるもので,その科学の知見や手法を用いて生み出された証拠であれば問題なく裁判に出しても良いと思われるかもしれない。

しかし,実際に世の中にはオーセンティックな科学だけでなく,疑似科学もまた存在しており,疑似科学に基づく情報が裁判の場に科学的な証拠として提出されることもある。また,本来の意味の科学に基づく知見であっても,学界において議論が進行中で評価の定まっていない知見も多数存在する。

心理学的捜査手法についていうと,質問紙や心理検査あるいは装置を使った検査法が学界での十分な検証を受けていなかったり,一度は認められたものの後続研究で有効性が批判に曝されたりしたような場合,その手法を用いて良いのかどうかが問題になる。裁判官は証拠の番人として,特に裁判員裁判のような一般市民が裁判に参加するときには慎重に証拠能力があるかどうかを判断しなくてはならない。

この問題については,フライ基準(Frye standard,Frye test, general acceptance test: 一般的承認基準)が米国の判例で確立されている。1920年に起こった殺人事件で,被告人のフライ(Frye)は,殺害の事実自体を争った。その事件の専門家証人であったマーストン(Marston)は「心理学上,血圧を測定することで供述が嘘かどうか判定できる」と主張し,フライに対する尋問の際に血圧を測定した。一審の裁判官はマーストンの証言を認めず,フライは第2級殺人罪で有罪となった。その裁判は控訴され,上級審でいかなる場合に科学的証拠に関する証拠能力を認めるかの基準が判示された(Frye v. United States,293 F.1013(D.C.Cir.1923))。

上級審では,「新しい科学の知見に基づく証拠は,それに関する特定の分野の科学者すべてから有効と認知された手法によるものであることが必要である」とされた。その結果,フライ事件では血圧測定による虚偽検出は認められなかった。

日本では,フライ基準のような,科学的な証拠を認めるかどうかについての一般的基準は確立されていない。たとえば犬の臭気選別(最決昭和62年3月3日刑集第41巻2号60頁)など,個別の事案ごとに,裁判に出してよいかが判断されている。確立した一般的基準が存在しないということは,事案ごとに裁判所で争われ,事案ごとに違った判断がなされる可能性があるということである。

したがって,「この方法でデータをとったからかならず裁判で証拠能力が認められる」とはいえないということになり,そのたびに問題となるおそれがある。

以上をふまえて心理学に期待すること

以上のように,心理学を捜査手法に応用する際には,気をつけるべきさまざまな問題が生じうる。ここで述べたのは紙幅の制約もあってごく一部であり,ほかにもさまざまな問題が生ずることが考えられる。しかし,心理学が事実の認定の前提となる情報を提供する有力な手段であることにかわりはなく,それは言語操作を主な方法とし,体系的な観察方法を持たない法律解釈学の不足を補う極めて重要な役割を果たす。たとえば,心理学の知見と方法を用いれば,犯罪の動機や行動パターンをより正確に分析することが可能となる。また,捜査手法を改善する知見を提供することもできる。これにより,従来の「経験則」や直感に頼ることなく,客観的な証拠に基づいた判断が可能となる。 科学的な手法と倫理的・社会的・法的な問題に配慮しつつ,心理学と司法が協働することで,より公正で効果的な犯罪捜査と裁判が実現するだろう。

文献

  • 1.アルダート,V./太幡直也・佐藤拓・菊地史倫訳 (2016)嘘と欺瞞の心理学:対人関係から犯罪捜査まで虚偽検出に関する真実.福村出版
  • 2.Hathaway,S.R.,&McKinley,J. C.(1943)The Minnesota multiphasic personality inventory(Rev.Ed.,2nd printing). University of Minnesota Press.
  • 3.与那嶺松助・東江康治(1965)琉球大学教育学部紀要,8,197–203.
  • 4.鮎川潤(2005)犯罪社会学研究,30,20–32.
  • *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。

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