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こころの測り方

交通行動の実験心理学

静岡理工科大学情報学部 准教授

紀ノ定 保礼(きのさだ やすのり)

Profile─紀ノ定 保礼
専門は認知心理学,認知人間工学。博士(人間科学)。2022年より現職。著書に『改訂2版 RユーザのためのRStudio[実践]入門』『数値シミュレーションで読み解く統計のしくみ』(ともに共著,技術評論社)など。

私たちが生活する社会には,さまざまなリスクが存在します(例:病気,災害)。それらのなかで,多くの人に日常的に関係し,かつ人為的なコントロール可能性が相対的に高いリスクの一つが,交通事故です。

交通事故のリスクを高めうる認知や行動などの研究は,日常的環境における人間を理解することだけでなく,安全教育や工学的技術の社会実装などにも関係する重要なものです。本稿では交通環境における「心のはたらき」を測定・研究するさまざまな試みを紹介します。

これらの研究は,交通事故の低減というイシューから出発しているので,なるべく現実的環境に近い実験環境を設定し,知見を実践に反映させやすくする,実世界アプローチ(real–world approach)[1]が重視されます。なおこの問題は,生態学的妥当性(ecological validity)として理解されることも多いですが,この用語は提唱された当初とは異なった用途で用いられているという批判もあることから[2],本稿では実世界アプローチと表すことにします。

私が交通行動の研究に着手し始めた駆け出しの頃,他大学の所属でありながら,日本を代表する交通心理学者である蓮花一己先生(帝塚山大学名誉教授)の実験・調査にたびたび同行させていただく機会に恵まれました。その際に何度も教わったことは,「現場に近いところでデータを取ることが大事」ということです。その言葉の通り,蓮花先生は全国各地で実走実験を行い,ドライバーの体や車両自体に装着・搭載したセンサーによりリアルタイムに運転関連のデータを測定してこられました。このスタイルは,実世界アプローチの最たる例といえるでしょう。

このスタイルに学び,私自身も何度か自動車教習所内のコースをお借りして実験を行いました。例として,接近車両が自身の位置に到達するまでの時間の予測を測定した実験[3]を紹介します。この実験では,接近車両がコース上に設置された光電センサーを通過すると,数十メートル先に待機する実験参加者が装着する液晶シャッターゴーグルが瞬時に遮蔽状態に変化し,視覚情報が制限されました。実験参加者はノイズキャンセリングヘッドホンを装着して,聴覚的手がかりも利用できない状態で,車両が接近する様子をイメージし,自身の目前に到達したと判断した時点で把持したボタンを押下しました。接近車両がセンサーを通過した時点とボタン押下時点はいずれも同じタイマーに入力され,反応が電子的に記録されました。この測定パラダイムは,実験室実験でも行われるTTA(time–to–arrival)を測定する方法と同じです。このように,さまざまな装置を活用することで,日常的な交通環境に近い状況で実験を行うことが可能となります。

一方で容易に想像できるように,このような実世界アプローチでは,実験的統制が困難な場合が多々あります。あるとき,某所の教習コースで大規模な実走実験を行うべく,スタッフとして調査に同行したことがありました。実験前日は入念に機器のチェックやリハーサルを行い,はやる心を落ち着かせながら眠りにつきました。そして翌朝,ホテルのカーテンを開けると,そこには一面の銀世界が。このように,天候によりやむなく実験を中止せざるを得ないこともあります。仮に実験が遂行できても,統制が困難な要因(例:日射角度,気温)が実験参加者の行動に影響するかもしれません。

そこで,実世界アプローチを志向しながら実験的統制を高める方法として,コンピュータグラフィックス(CG)によって交通環境を精緻に描画し,その環境内を実験参加者に行動してもらう,シミュレータを用いた実験が注目されてきました[4]。もちろんシミュレータ実験は,必ずしも実世界アプローチのなかで理想的な方法とは限りません。実験参加者の安全性が保証されることで,現実環境以上にリスキーな行動が敢行される可能性がありますし,そもそも一口にシミュレータといっても映像の写実性は千差万別です。

ホールマンら[1]は,実世界アプローチという意味で生態学的妥当性の重要性が説かれることが多いが,それは容易に評価できないため,むしろ各研究がどのような「文脈の」行動を測定しているかを明確にし,さまざまな文脈の知見を蓄積することこそ重要と述べています。

例えば友人の樋口洋子氏は,伝統的な視覚探索実験により,オプティックフロー[5]が“湧き出して”いるように感じられる点(focus of expansion)が視覚的注意を捕捉することを繰り返し確認したうえで[6],実験課題の背景をシミュレータで作成した交通環境(市街地)の動画に置換しても,同様の現象が生じることを報告しました[7]。実験参加者が遂行する作業は両実験で同一でしたが,後者では交通環境という文脈を付加したことになります。

さらに,市街地は数多ある交通環境という「文脈」の一つであり,高速道路など他の「文脈」も存在します。さまざまな文脈における知見を蓄積することで,特定の文脈で検出される現象なのか,多くの文脈で共通して観測される現象なのかが明らかになり,理論や実践的介入の構築に対して有益な議論が可能になるとホールマンら[1]は主張しています。

最後に,シミュレータを用いて,心理物理学的な手法を見事に交通行動の研究に適用したロブジョワとカヴァロの研究[8]を紹介します。接近速度や距離などの物理的パラメータのみを操作して,その他の要因を厳密に統制した環境を繰り返し呈示できることは,シミュレータを用いた実験の大きな強みであり,心理物理学的手法と相性がよいものです。

この実験では,壁一面を覆うほど大きなスクリーンに,車両が接近してくるCG映像を呈示し,その目前を実験参加者が実際に歩行することで,道路を横断可能なタイミングの判断という「心のはたらき」の測定を試みました。実際の道路で同様の実験を行おうとする場合は[3],横断中に事故が発生しては困るため,横断行動の代わりにボタン押しなどで横断の意思やタイミングを表明してもらうことが多いです。しかしシミュレータ実験であれば,実験参加者が安全に横断することが可能なため,自身の移動速度などを考慮に入れた意思決定が可能となります。

ロブジョワとカヴァロ[8]は2台の車両が接近する映像を呈示し,その間を横断可能だと判断したら実際に歩行してもらうように,若年・高齢の実験参加者に求めました。車両間の時間ギャップ(1台目の車両がある地点を通過したあと,何秒後に2台目の車両が同じ地点に到達するか)を操作することで,時間ギャップと横断可否判断の心理測定関数が推定できます。

ロブジョワとカヴァロは,心理測定関数から主観的等価点を計算しました。主観的等価点とは,この実験の場合には,横断する確率が50%になると推定された時間ギャップを指します。例えば主観的等価点が3秒であれば,「時間ギャップが3秒よりも長ければ,どちらかというと横断が遂行されやすくなる」ことを意味します。分析の結果,若年者は接近車両の速度によらず主観的等価点がほとんど同じでした。それに対して高齢者では,接近車両の速度が上昇するほど,時間ギャップの主観的等価点が“短く”なりました。すなわち高齢者は,より車両の接近速度が“高く危険”な状況ほど,より“短い”時間ギャップでも横断しやすくなっていました。この一見すると直感に反する結果は,「時間ギャップが同じなら,接近速度が高いほど車両同士の距離が離れている」という点に注目すると説明可能です。すなわち高齢者は若年者に比べ,距離の情報を重んじて横断可否判断を行っていることになります。

カヴァロらのグループは,このように交通行動のメカニズムを解明するだけでなく,シミュレータを用いて高齢者が安全に道路を横断できるようにするためのトレーニングプログラムも考案しており[9],学術的にも実践的にも重要な仕事を数多く行っています。残念ながらカヴァロはすでに研究所を定年退職してしまいましたが,現役の間に,彼女が多くの発見・実践を行ったフランスのIFSTTAR研究所を訪問し,上記の実験を行った広大なシミュレータ環境を見学させていただいたり,運転支援システムが交差点通過行動へ及ぼす影響に関する実験[10]に関心を持っていただき議論を交わしてくださったりしたことは,一生の財産です。

これからも巨人たちから学んだことを受け継ぎ,少しでも社会の安全に貢献できればと考えております。

文献

  • 1.Holleman,G.A.et al.(2020)Front Psychol,11,721.
  • 2.Kihlstrom,J.F.(2021)Perspect Psychol Sci,16,466–471.
  • 3.Kinosada,Y.,&Usui,S.(2016)Jpn Psychol Res,58,206–217.
  • 4.Loomis,J.M.et al.(1999)Behav Res Methods Instrum Comput,31,557–564. 
  • 5.Higuchi,Y.(n.d.)Optic flows. http://yokohiguchi.net/stimuli/
  • 6.Higuchi,Y.et al.(2020)J Exp Psychol Learn Mem Cogn,46,2295–2313.
  • 7.Higuchi,Y.et al.(2020)Hum Factors,62,578–588.
  • 8.Lobjois,R.,&Cavallo,V.(2009)Accid Anal Prev,41,259–267.
  • 9.Cavallo,V.et al.(2019)Transp Res Part F Traffic Psychol Behav,61,217–228.
  • 10.Kinosada,Y.et al.(2021)Hum Factors,63, 880–895.

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