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一般化可能な知を拓く─現実への航路を求めて

植田 航平
九州大学大学院人間環境学府行動システム専攻心理学コース博士後期課程

植田 航平(うえだ こうへい)

Profile─植田 航平
2021年,島根大学人間科学部卒業。2024年,九州大学大学院人間環境学府修士課程修了,修士(心理学)。専門はメタ科学,認知心理学。筆頭論文に「これからの「再現性問題」の話をしよう」『電子情報通信学会誌』106(4), 321–325. 2023など。

中学生の頃から航空管制官になることを夢見て来た私は,心理学の知見でヒューマンエラーを減らし,航空事故を防ぐことを長らく目標に掲げてきた。人間の基礎的な情報処理メカニズムを知れば,きっと現場に貢献できる,そう思ってきた。

修論[1]では,ヴィジランス(対象への注意を長時間維持すること。別名:持続的注意)における課題目標馴化説[2]の再検証を行った。この領域の端緒は,第二次世界大戦におけるレーダー監視員のエラーにある[3,4]。航空と密接に関わるこのテーマは,自分にピッタリだと感じていた。実験には,画面上に1~9の数字を呈示し,3以外が呈示された時にキーを押す伝統的な持続的注意課題[5]を用いた。

一般化可能性:現代心理学の難題

しかし,この研究には大きな限界がある。ここで,研究の一般化可能性,つまりその知見を他の文脈や場面にも拡張できるかについて考えたい。この時に重要な指針となるのが,研究の背後にある研究仕様空間と,未測定要因の問題を考慮することである[6-8]。心理学の実験や調査には,どんな研究であっても,研究者によるさまざまな選択の余地がある。私の修論であれば,数字ではなく文字や図形を呈示することもできただろう。このような選択の余地は研究のあらゆる箇所に存在し,これを研究仕様空間と言う。意識的かどうかを問わず,研究者はこの空間の中から何らかの方法を一つ,自由に選択して実験や調査を行っている。しかし,その選択の妥当性を保証することは非常に難しい。

次に,未測定要因に焦点を当てたい。つまり,研究仕様空間内の選択の可能性,およびその組み合せのすべてを網羅し,測定することは実質的に不可能という問題である。私の修論からは離れるが,認知実験における呈示刺激の種類,呈示時間や回数などを多様に変化させることで,全く同じ目的の下で実施された実験であっても,異なる結果が得られたという研究がある[9,10]。また,にわかには信じがたいが,参加者の実験当日の朝ご飯が研究結果を左右するという知見も存在する[11,12]。研究者が制御しようのない朝ご飯のような要因も含め,それらはどこに存在し,どの程度結果に影響しうるのか,そのすべてを網羅して研究に反映することは恐らく不可能だろう[13]。膨大な研究仕様空間と未測定要因に伴う一般化可能性問題は,複雑系である人間行動や心理,社会現象を研究対象とするがゆえの難題である。

その知は現実世界に資するか

私は,心理学の知見をもって,現実世界をより安全にすることを目指してきた。しかし,現実は言うまでもなく複雑で,朝ご飯どころか,人間同士のインタラクション(例:パイロットと管制官の無線交信),その日の体調,または機器の不具合などの影響もあるかもしれない。画面に数字を淡々と呈示する今回の実験とはあまりにかけ離れていて,まさに未測定要因が無数に存在している。恐らく,伝統的な心理学の実験・調査手法では,何が結果(つまり安全)に影響するかを十分に捉えることはできない。

疑問と苦悩に直面させる一般化可能性問題に対して,明確な航路はまだ見えない。しかし,複雑な対象を研究するためには,相応の技術や方法論の整備が必要ではないかという直感を持っている(より深い議論もすでに存在する[14-16])。既存の枠組みや学問の境目などに囚われず,一般化可能な次代の人間科学を切り拓きたい。

文献

  • 1.植田航平(2024)九州大学大学院修士論文,未公刊.
  • 2.Ariga,A.,&Lleras,A.(2011)Cognition,118,439–443.
  • 3.Mackworth,N.H.(1948)QJEP,1,6–21.
  • 4.Helton,W.S.,&Russell,P.N.(2011)Exp Brain Res,212,429–437.
  • 5.Robertson,I.H.et al.(1997)Neuropsychologia,35,747–758.
  • 6.Yarkoni,T.(2022)BBS,45,e1.
  • 7.平石界・中村大輝(2022a)科学哲学,54,27–50.
  • 8.平石界・中村大輝(2022b)PsyArXiv. https://doi.org/10.31234/osf.io/r72vt
  • 9.Baribault,B.et al.(2018)PNAS,115,2607–2612.
  • 10.益田佳卓(2023)九州大学大学院修士論文. https://hdl.handle.net/2324/6776839
  • 11.Strang,S.et al.(2017)PNAS,114,6510–6514.
  • 12.Raison,C.L.,&Raichlen,D.A.(2018)PNAS,115,E1331.
  • 13.上述の一般化可能性の問題は,「基礎と応用は役割分担だから基礎研究自体が役に立つ必要はないのでは」といった問いとは本質的に異なる。なぜなら,応用との境目以前に,基礎研究の文脈内であっても,心理学の知見はその研究が行われた狭隘な文脈にしか敷衍できないことを示唆する議論だからである。
  • 14.Hasson,U.et al.(2020)Neuron,105,416–434.
  • 15. Ibanez,A.(2022)TiCS,26,1031–1034.
  • 16.池田功毅他(2023)深層学習と新しい心理学.金子書房. https://www.note.kanekoshobo.co.jp/n/n7641e643a1d8
  • *謝辞:本稿は,DLPsychologyプロジェクト,ReproducibiliTea Tokyo研究会,および九州大学山田祐樹研究室での日々の議論やご助言によるサポートのお陰で形にすることができました。記して御礼申し上げます。

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