【第25回】
立命館大学総合心理学部教授/学部長 サトウタツヤ
アジアの次はアフリカだと思いましたが、東西の交差点であるトルコを経由して中近東からアフリカへと向かうことにしました。トルコにおける近代心理学の導入は1915年ですが、それ以前に思想としての心理学の歴史があるようです。
トルコ─①
日本のような島国であっても国境を巡ってはいざこざが絶えずゴチャゴチャしているものですが,西洋と東洋の接点にある現在のトルコにあたる地域については,いつどこでどのような国がどのような範囲で国を作っていたのかはあまりに複雑です。
オスマン帝国はトルコ人によって1299年に建国され1453年にヴィザンティン帝国を滅亡させてコンスタンティノープルをイスタンブールと改称して首都にしました。16世紀になると領土拡大が止まり19世紀には衰退が明らかとなりドイツ等と同盟国として参戦した第一次世界大戦に破れると1922年には共和制に移行しました。
さて,19世紀のオスマン帝国は西洋的な近代化を図っており,その内容の中に心理学に関することも含まれていました。1868年には,オスマン帝国大学(Dar-ul Funun-i Osmani;現在のイスタンブール大学)が設立されました。ここで,翌年のラマダン(断食月)の夜に,アジズ・エフェンディ(Aziz Efendi)によって心理学に関する最初の公開講義が行われました[1]。心理学は哲学や政治学の一部に位置づけられていました。
西洋的な意味で「心理学」という言葉が使われた最初の心理学の本は,ホカ・タフシン(Hoca Tahsin)による『心理学,または魂の状態の科学』(Psikoloji, yahut Ilm-i Ahval-i Ruh)でした(1872)[1]。彼は天文学を始めとする西洋科学をトルコに導入しようとし,心理学に関する著作も執筆したのです。
続いて,ユスフ・ケマル(Yusuf Kemal)の『人間の本質に関する決定的な説明』(Gayet-ul Beyan fi Haki-kat-ul Insan)が出版されました(1876)[1]。
バハ・テヴフィク(Baha Tevfik)は無神論者であり無政府主義者としても知られています。彼はヘッケルやニーチェの著者に親しみ西洋の多くの著作の翻訳も行いました。トルコで最初の心理学の教科書を出版したり(推定1911年),1913年には『哲学雑誌』を創刊したりして,哲学の興隆に力を尽くし心理学の導入にも役割を果たしました。
オスマン帝国が滅亡へと向かう期間には,同盟国のドイツから学問について支援がなされました。たとえば心理学者のゲオルク・アンシュッツ(Georg Anschütz)です[2]。彼はリップスやヴントのもとで学んだ経験を買われてか,1915年にイスタンブール大学の教授に就任,教育学と実験心理学を担当しました。ところが第一次世界大戦でイスタンブールはイギリスに占領されてしまい彼は2年半の滞在でトルコを後にしました。当時の哲学科の学生も少なかったため,彼の影響力はほとんどなかったとされています。
なお,こぼれ話的なエピソードとして,パーソナリティ心理学者として著名なアメリカのゴードン・オールポート(Gordon Allport)がトルコに滞在していました。大学時代に(心理学ではなく)哲学と経済学を専攻していた彼は,学士号を取得(1919)して博士課程に入る前の数年間,トルコのロバートカレッジ(Robert College)に滞在して哲学と経済学を教えていたといいます。
文献
- 1.Gulerce, A. (2006) History of psychology in Turkey as a sign of diverse modernization and global psychologization. A. Brock (Ed.), Internationalizing the history of psychology (pp.75–93). NewYork University Press.
- 2.Property of the Adolf-Wurth-Center for the History of Psychology at the University of Wurzburg (2013–2019) Finding aid for Georg Ernst Anschütz. https://www.uni-wuerzburg.de/fileadmin/42050000/Findbuecher/FA_Georg_Anschuetz_22-6-22.pdf
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