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【小特集】
イカの視線の先にあるもの
杉本 親要(すぎもと ちかとし)
Profile─杉本 親要
タコの街,兵庫県明石市生まれ。琉球大学大学院理工学研究科海洋環境学専攻修了。博士(理学)。専門は動物行動学。2021年より現職。著書に『いきものくらべるしゃしんえほん タコとイカはどうちがう?』(監修,ポプラ社)。
イカの視線
力を抜いて全身を包み込む心地よい温度と圧力に身をゆだねると,ふわりと重力から解放され周囲の環境に溶け込むような感覚を覚えます。色とりどりのサンゴの間を,さまざまな形や模様をした魚たちが泳ぎ回る光景に見とれていると,私もその一部であるかのような感じがしてうれしくなります。次の瞬間,無数の小魚の群れが私に向かって突進してきました。ぶつかる直前で上下左右に分かれながら瞬間的に私を包み込むも,あっという間に泳ぎ去ります。その衝撃が落ち着いたのもつかの間,「目の前にいるどの生き物も私に興味はなく,ましてや障害物でしかないのだ」という直観とともに疎外感や虚無感のような感情が湧き起こります。ふと誰かに見られているような気がして周囲を見渡します。よく目をこらすとそこには1尾のイカが浮いています。しかもピタリと視線を合わせて私を見ているようです(図1)。私が泳ぎ寄ると離れ,止まるとその場にとどまり一定の距離を保ちます。その間も私たちはずっと見つめ合ったままです。このやり取りをしばらく続けていると,先ほどまでの曇った感情が少し晴れたような気がしました。
イカの形と動き
以上の光景は私の実体験に基づく描写です。これまでの私の研究経験をふまえると,イカ(タコも)はとにかく見ることが大好きな生き物です。ヒトと視線を合わせられる動物は水陸合わせても多くはありません。イカは他の生き物と何が違うのでしょうか。イカやタコを含む頭足類は,ヒトと同等の視力で,構造も似通った大きなカメラ眼を持ちます[1]。また,小型哺乳類と並ぶ神経細胞数からなる脳も有します[1]。さらに,神経制御により素早くさまざまに体色を変えられる色素胞システムを,全身の皮下に備えます[1]。これらは,外界の視覚情報を正確に捉え,複雑に処理し,全身を通して外界へ発信することのできる高度な情報処理機構として働きます。頭足類は貝類を祖先とする軟体動物に属しますが,骨がないだけでなく進化の過程で貝殻まで脱ぎ捨てました。軟体動物の柔らかさを弱さとして守るのではなく,柔軟さという強みとして活かす,攻めの姿勢で生きることを選んだのです。そのため進化の過程で獲得した優れた情報処理機構を,武器や防具としてさまざまに活用しながら生きています。
頭足類は情報処理機構を駆使することで,ヒトを含む一部の発達した動物でしか見られないような複雑な行動を示します。例えばタコは,窓越しに隣の水槽の同種個体(課題を解くための訓練済み)が課題を解いている様子を見るだけで,訓練なしで同じ課題を初見で解くことのできる観察学習が可能です[2]。またイカは,近未来に栄養価の高い餌が高確率で得られると予想される場合,目の前にある栄養価の低い餌を食べずに我慢できる自己統制力を有します[3]。タコとイカは,共通祖先が約3億年前に分岐したと考えられており,身体の特徴の違いに応じ,おのおのが有する情報処理機構の使い方も異なるようです。長い腕を発達させ物をつかむことが得意なタコは,物体や空間の把握に長けており,長い身体とヒレを発達させ泳ぐことが得意なイカは,複数個体と関係を結び集団を作ることに長けています。
イカとの対話
頭足類が示すさまざまな魅力ある行動の中で私が最も心惹かれるものは,情報発信にあたる色素胞システムを用いた体色変化です。頭足類が示す体色変化の機能は,擬態とコミュニケーションの大きく2つに分けられます。擬態については,これまでに多くの研究者が解明に取り組んできた歴史があり,海底などの背景へ溶け込む仕組みやその際表出される体色の種類(ボディーパターン)などについて詳しく調べられています[1]。一方,コミュニケーションについては,複数個体が示す体色変化の因果関係を分析することの難しさなどから,ほとんど研究は進んでいません。そのため私は,頭足類のコミュニケーションについてイカ類を主な対象として明らかにすることを研究目標にしています。
イカ類の多くは群れを作りますので,コミュニケーションの場としての群れ行動にまず着目しました[4]。海中でのイカの群れは,魚類が示す塊状の隊形だけでなく,鳥の渡りの群れのように構成員が帯状に横並びする隊形なども示します。それらの群れの中では,他の構成員と離れて泳いだり異なる方向を向いたりといった行動の個体差も観察されます。これらはまるで見張り役のように見えることから,役割分担の結果と考えられます。また,群れ内における構成員同士の関係性の詳細を調べるため,研究室内の水槽で泳ぐ群れの全構成員を,蛍光色素の標識を用いて個体識別しました。近くで一緒に遊泳することの多いペアは良好な関係を有すると仮定し,考え得る全てのペアについて個体間距離を分析しました。その結果,構成員のうち数個体は多くの個体と関係を持つ一方,他の多くの構成員は1個体とのみ関係を持つことが分かりました。それらが複雑につながり合うネットワークによって群れが維持されているようです。特に前者は,餌や敵に対する攻撃や防衛といった群れ機能にも深く関わる可能性があることも分かってきました。
続いてコミュニケーションに用いる体色変化の基盤としての色素胞システムについて調べました。色素胞は中央に色素顆粒を含む袋状の細胞が収縮や拡張することで,黒,赤,黄といった細胞ごとに異なる色を表出します[1]。 また皮下では色ごとに異なる層を成して重なるとともに,最下層には光を屈折・反射する細胞が並ぶため,より多様なボディーパターンが表出できます[1]。
イカ類の全身における色素胞の並び方を調べると,各層に並ぶ色素胞の密度,層の厚さや重なり方が体の部位によって大きく異なることが分かり,部位ごとに異なるボディーパターンを表出する仕組みが明らかになってきています。このことは,イカのコミュニケーションの多様化や複雑化に貢献すると考えられます。現在は,どのようなボディーパターンにより実際にコミュニケーションが成立しているのかについて調べを進めています。
イカのまなざし
ここまでお読みいただき,イカをはじめとする頭足類の魅力を少しお伝えできたかと思います。われわれヒトに匹敵するくらいすごいと感じたかもしれません。しかし,私が伝えたいことは,ヒトと比較してどうかということではありません。これらの特徴は全て,これまでの進化過程において,環境に適応するためのより良い選択の結果として獲得されてきたものに過ぎません。全ての生物は,それぞれの進化過程で得た能力をおのおのの生存に十分に活かしているだけであり,そこに優劣は存在しません。しかしわれわれヒトは,比較し優劣を明確にすることにとらわれるあまり,争いごとをなかなかやめられずにいます。第二次大戦で特別攻撃隊とシベリア抑留という極限環境を生き抜いた波多野一郎氏は,イカのまなざしから究極の平和について思考しました。彼が著した『イカの哲学』は,中沢新一氏の解説とともにわれわれに多くの課題を提示しています[5]。
さて,イカはまだ近くで浮きながら私たちを見てくれているようです。私たちは視線をそらすことなく対等なまなざしで,しっかりとその澄んだ瞳を見つめ返すことができているでしょうか。どうやらイカのまなざしに教えられることはまだまだたくさんありそうです。
文献
- 1.Hanlon, R. T., & Messenger, J. B. (2018) Cephalopod behaviour. Cambridge University Press.
- 2.Fiorito, G., & Scotto, P. (1992) Science, 256, 545-547.
- 3. Schnell, A. K. et al. (2021) Proc R Soc B, 288, 20203161.
- 4.杉本親要 (2019) 動物心理学研究, 69, 147–159.
- 5.中沢新一・波多野一郎 (2008) イカの哲学. 集英社
- *COI:本稿に関連して開示すべき利益相反はありません。
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