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ひのえうま迷信はミステリーなのか?

吉川 徹
大阪大学人間科学研究科 教授

吉川 徹(きっかわ とおる)

Profile─吉川 徹
1966年島根県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。大阪大学人間科学研究科准教授などを経て現職。専門は現代日本社会論。著書に『ひのえうま:江戸から令和の迷信と日本社会』(単著,光文社)など。

ひのえうま(丙午)は,日本で最もよく知られている出生年の吉凶についての迷信です。2026年はその年にあたります。少子化状況のなかで,この因習俗信が再び力を発揮して,出生減に拍車をかけると危惧する声も耳にします。

迷信は,事実ではないとわかっていつつも,予期せぬ規模と内容の社会的な実害が生じる現象です。そこには,人知を超えたミステリーに対する人びとの認知の歪みと,狂信的な集団心理があると考えられがちです。

私は社会学的な資料から,この迷信の仕組みの読み解きを行っています。そこからわかるのは,ひのえうまは,心理メカニズムと社会学的な構造特性によって理解可能な現象だということです。

日本史上最大の迷信現象

ひのえうまは十干十二支のひとつで,江戸期以降,この生年の女性について「気が強い」「夫を食い殺す」などのいわれなき俗言(フェイクニュース)が拡散しました。そこから,当該女性たちの婚姻に実際に不利益が生じるようになり,転じてこの年の女児出生が著しく忌避されるようになったのです。

今から60年前の1966(昭和41)年には,単年の出生数は前後の年より約3割も少なくなりました。社会の合理化,近代化が進んだ時代にあって,因習的俗信が「暴発」したことは当時の人びとを驚かせました。今でも日本の人口ピラミッドには,他社会にはみられない深い切り欠きが残っています。

ミステリーを読み解く心理メカニズム

ひのえうまは,心理学命題の宝庫です。奇異現象を,20世紀以降の科学的知見によって解き明かすことは確かに有用です。まず,生まれの迷信を周囲からいわれることで,実際に勝気な性格が形成されるかもしれないという,ピグマリオン効果もしくはスティグマ効果があります。迷信の拡大・拡散については,「特定女性についての俗言→婚姻厄難」という因果が予言の自己成就の実例となっています。「俗言→婚姻厄難→女児出生忌避」は意図せざる結果です。これはさらに,因習俗言が特定学年の大学受験を有利にしたという,きわめて稀有な帰結も伴っています。

昭和初期には,過剰な新聞報道が,全国各地の未婚のひのえうま女性たちの連続自死を誘発するアナウンス効果があったこともよく知られています。

次の昭和のひのえうまでは,メディア報道が言説ブームを引き起こしたのですが,このとき寿命の延びから前回の悲劇を知る年長者が多く存命であり,重要他者として,マスコミュニケーションとパーソナルインフルエンスのコミュニケーションの二段の流れを成立させていました。そして,どの時代にも規範の同調圧力による自粛・自制が,ときに妊婦や胎児の生命さえ奪ったとされます。

背後にある家父長制と合理的選択

社会学としては,この迷信が日本でだけ拡大したことの背景に,家父長制イデオロギーがあったことに注目します。これは男性支配の家族・氏族システムに,女性が婚姻と子孫形成によって従属するという因習的な理念です。折々のひのえうまは,人口の120分の1の特定女性たちについて,勝気な性格を攻撃し,婚姻を妨げ,既婚女性の受胎と出産に力を加え,生まれた後は女児のみを選択的に忌避するものでした。

ここには男性の側,あるいは舅姑などのイエ制度上の上位者からの,女性の従属的婚姻と出産に対する,権威主義的な投射性と攻撃性を指摘できます。加えて,古くは川柳に残り,昨今ではSNS上の書き込みでみられる,年長男性が博学ぶって易暦や故事を押し付けてくるマンスプレイニングの格好の題材でもありました。大正デモクラシー期の未婚女性への迫害は,このときモダンガール,職業婦人として社会進出しはじめた未婚女性を狙ったミソジニーに根差したバックラッシュだったということができます。ひのえうまに生まれた女性たちは,家父長制イデオロギーの力を誇示するためのスケープゴートならぬ,スケープホースにされていたのです。

ところで近年の社会学では,行為主体の合理的選択が因果理解の焦点とされています。紙幅の関係で詳細は拙著[1]に譲りますが,江戸期のひのえうま年の女児の間引き(嬰児密殺)は,どの年にも恒常的に行われていた慣行が,この年に特に数を増したものだったことが明らかになっています。だとすれば,その心理はネガティブなストレスがかかった断念ではなく,ナッジ(きっかけ)もしくはイクスキューズ(理屈づけ)を得た自発的で合理的な行動促進だとみるべきでしょう。

明治期までは祭り替えといって,女児のみ出生を翌年に届け出るごまかしがあったのですが,これも毎年なされていたものがひのえうま年だけ著しく数を増していたことが記録からわかります。

伝統と近代の奇跡のコラボ

昭和のひのえうま前後の時期には,子どもの数を2人程度に抑え,出生間隔を空けるための受胎調節が,乳幼児をもつ若い母親を対象とした社会教育で指導されていました。これがひのえうま到来の報道と呼応し,とくに第二子の出生年をずらす避妊が,この年秘かに実行されました。意外にも,このことが大出生減の主因となったのです。ですから,旧来いわれてきた同調圧力などによる行為の不本意な断念ではなく,若い既婚夫婦が,当時普及していた避妊法をここぞとばかりに試みたという,家族計画に基づく合理的選択だったのです。迷信言説を拡大させたのは,因習的な家父長制イデオロギーでしたが,出生抑制を促したのは,近代公衆衛生と生殖科学の発展だったというわけで,伝統性と近代性の奇跡のコラボによる「暴発」が,大出生減の正体なのです。

どうなる令和のひのえうま

そうはいっても,何が起きるかわからないのが迷信だと思うかもしれません。しかし,令和のひのえうまについては,言説のブームは今のところほとんど起きておらず,出生を抑制する合理的な動機も見当たりません。

当該年になって,あらためて実感しているのは次のことです。第一は,出産にかかわる当事者は若い既婚夫婦であるわけで,赤ちゃんを産まないことが,社会全体を覆う流行現象になるはずなどなく,非当事者の私たちに何かできるとしても,せいぜい,スケープホースへの諫言くらいなのです。第二は,避妊は,購買や投票などの一度だけの能動的行動ではなく,一年間の不作為の継続だということです。そして第三に,その行為がきわめてプライベートなことであり,実行の有無は約一年後に結果(出生)によってしか明らかにならないということです。

ですから,先年のコロナ禍におけるワクチンや活動自粛のように,相乗的な作用でひのえうま迷信ブームが急拡大することはあり得ないのです。

文献

  • 1.吉川徹(2025)ひのえうま:江戸から令和の迷信と日本社会.光文社

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