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Over Seas

ウェリントンでゆっくりと過ごす

大久保街亜
専修大学人間科学部 教授

大久保街亜(おおくぼ まちあ)

Profile─大久保街亜
1971年生まれ。2002年,東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(心理学)。日本学術振興会特別研究員,同海外特別研究員を経て現職。専門は認知心理学。著書に『伝えるための心理統計:効果量・信頼区間・検定力』(共著,勁草書房),『認知心理学:知のアーキテクチャを探る』(共著,有斐閣)など。

「研究職の魅力のひとつは,さまざまな土地に赴き,多様な人々と出会えることだ」。在外研究で知り合った現地の同僚たちから,こんなことをよく言われました。続けて,彼・彼女らは,それぞれの在外研究の楽しかった思い出話を聞かせてくれました。

2024年度に私もこの魅力を実感しました。コロナ禍での学科長業務に追われ,心身ともに疲れ切っていた私にとって,今回の在外研究はゆっくりと本を読み,新しい刺激を受ける機会でした。そこで1年間をニュージーランドの首都ウェリントンで過ごすことにしたのです。海と山に囲まれた静かな街で,人口は約40万人とコンパクト。空気と水が素晴らしい(ただ,食事はイマイチでした)。不景気の影響で物価も比較的落ち着いており,長期滞在には好条件でした。

幸運なことに長年の友人で私の専門分野である左右差の国際誌「ラテラリティ」で主任編集委員を長く務めたジーナ・グリムショーが,ビクトリア大学ウェリントン校に在籍していました。彼女にお願いして,滞在することができたのです。ジーナは感情研究の第一人者でもあり,その研究室には同分野で活躍する研究者が集まっていました。私自身も表情の左右差を研究してきましたが,感情そのものを体系的に学んだことはなく,感情領域の共同研究も少なかったため,無手勝流という自覚がありました。滞在中に専門家たちと議論を重ね,自分の研究の位置づけを改めて確認できたのは大きな収穫でした。

当時のニュージーランドは景気が悪く,滞在先の大学でも日本語学科や研究所の閉鎖と,厳しい状況でした。国全体でも研究予算の大幅削減,公務員の一斉解雇といった暗いニュースが続いていました。滞在中には広告が失業者向けの案内で埋め尽くされた時期もありました。それでも人々は楽観的で,例えば修士論文発表会のケータリングが予算削減で中止になると,自然に「それなら皆で手料理を持ち寄ろう!」という提案が出て,結果的に豪華な料理が机いっぱいに並ぶことになりました。困難を逆手にとって楽しむ明るさに,感心させられたものです。

こうした気質を反映してか,学科の雰囲気も温かく,月に一度の「持ち回りホームパーティー」が恒例になっていました。私も招かれては料理を一品持参しました。気軽な差し入れのつもりで持っていくと,他の方々は半日かけて仕込んだ肉料理や大ぶりのキッシュを用意しており,その本気度に圧倒されました。日本ではすっかり廃れた「自宅でもてなす文化」が,生活の楽しみとして息づいていました。

このホームパーティーには,教員だけでなく,近所の人や友人など多彩な顔ぶれが集まりました。とはいえ心理学者の周辺には心理学者が多く,そこから他大学の心理学者と知り合う機会が増えました。その縁で,ニュージーランドにあるほとんどの大学(全部で8校しかありませんが)を訪問して講演することができました。外部講師を招く予算が削られていたので,「自ら訪ねてくる研究者」はどこでも歓迎されたのです。

今回の滞在では,実験や調査でデータを取るより,人と話す時間が圧倒的に多くなりました(とはいえデータも少しは取りました)。議論や雑談を通して新しい研究アイデアが湧き,さらに共同研究や大学院生同士の往来(リサーチ・プレイスメント)の提案を受けました。生産的な関係を築けたことは大きな成果です。ある程度歳をとった研究者には,データを取るより関係作りの方が得るものが多いかもしれません。

また,偶然にも同志社大学の中谷内一也先生が同じ時期にウェリントンに滞在されており,折々お招きいただいて交流できたことも大きな楽しみでした。学術的な議論はもちろん,日本語での何気ない雑談が心を和ませてくれました。

こうして,研究職ならではの「新しい土地での出会い」を楽しめた一年となったのです。

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