巻頭言
心理学のフロンティア─心理学は生き残れるか
西川泰夫(にしかわ やすお)
筆者は,かつてこのタイトルを主,あるいは副としてそのつど個別の論旨で10数編の心理学論考を公刊した。各編ごとに帰結をもつが,文末に〈未完〉と記したものも多い。だが,その〈続き〉に当たる論考は,中断したまま現在に至っている。現在に至るまで筆者の学問への関心事,研究テーマが多岐にわたり自身それなりの確信を得るのに時間を要するためである。さらに,核心となる論点は,そもそも心理学とはいかなる学問か,である。しかし,内部にある者の仕事は具体的な実践活動と成果(論文数)をあげることであって,そうすることの意味づけや価値・評価ではない。それには外部の視点,メタ認識が要る。この自覚的で独自な営みによって研究者が暗黙に共有する考え方,検証の手続きや方法論,理論やモデルなどの意味とその評価などが可能になる。この前提をパラダイムというが不変固定したものでなく,新たな事態に応じてパラダイム・シフトは必然である。
ところで,筆者の根本を問う姿勢の源は,研究者を志し大学受験を決意した頃であった。しかし,当の心理学について何一つ知らなかった。子供の頃からの漠然とした科学者へのあこがれと算数やラジオ工作に親和感があっただけであった。したがって,心理学と科学の関わり,いわんや本格的な数学や物理学や電子工学,生理学などとの関係性など知る由もない。
この無知を解決するため,一つは人類文明史の始めから現在に至る哲学者の思索,心の科学哲学史に通じる必要がある。また,近代科学革命をもたらした物理学や生理学,科学に共通の基盤である数学の習得は基礎リテラシーとして必須である。この科学革命の影響のもと哲学から自立した新心理学,つまり現在の心理学,科学的・実験心理学が培った,心や行動,無意識をめぐる多彩なパラダイムの歴史的変遷,心理学史の学びが要る。また現状,コンピュータを中核とする高度科学技術情報化社会での新たな局面の認識が要る。とくに人工知能(AI)研究,脳神経科学,量子力学,複雑系やカオスなどの非線形系科学などの進展をあげる。この状況で,今あるような心理学がそのまま将来に生き残ることはありえない。新たな局面への洞察のもとで創造的に新・新心理学を構築する取り組みが欠かせない。〈未完〉
Profile─西川泰夫
慶應義塾大学文学部卒業。同大学院社会学研究科修士課程・博士課程修了。文学博士。上智大学教授,北海道大学大学院教授,放送大学教授・客員教授を歴任。日本心理学会終身会員,元評議員・専門別議員,認定心理士。日本認知科学学会元編集委員長,日本基礎心理学会終身会員,元運営委員,日本理論心理学会理事,北海道心理学会名誉会員など。専門は心理学史,認知科学,数理心理学。著書は『心をめぐるパラダイム』(左右社),『新版 認知行動科学』(放送大学教育振興会),『心理学史』(共編著,日本放送協会),『認知科学』(編著,至文堂),『心の科学のフロンティア』(培風館)など。
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