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輸入された5台すべてが現存する 『ヒップのクロノスコープ』

吉村浩一
法政大学文学部心理学科 教授

吉村浩一(よしむら ひろかず)

Profile─吉村浩一
京都大学大学院教育学研究科教育方法学専攻博士課程満期退学。京都大学教養部助手,金沢大学文学部講師,助教授,明星大学人文学部教授を経て,2003年より現職。専門は知覚・認知心理学。著書は『運動現象のタキソノミー』,『逆さめがねの左右学』(いずれもナカニシヤ出版)

東京大学に残るわが国への最初の輸入品
京都大学に残る2番目に古いもの
東京大学に残る航空研究所が購入したもの
東北大学に残るもの
関西学院大学に残るもの

年配の心理学者に「心理学の古典的実験機器といえば?」と尋ねると,ほとんどの人がこの名をあげるくらい,『ヒップのクロノスコープ』は代表的な機器です。「ヒップ(Hipp)」というのはこの機器の考案者(Matthäus Hipp, 1813-1893)で,「クロノスコープ」とは「時間測定装置」の意味です。この装置が有名なのは,実験心理学の父と言われたヴント(Wilhelm Wundt, 1832-1920)が,この装置をライプチッヒ大学の彼の実験室で反応時間測定に用い,学位を取るために彼のもとにやってきた世界中の研究者たちがこの装置を広めたためです。

ヒップのクロノスコープは,歯車の複雑な組み合わせを電磁石と錘で制御することで,1秒の1000分の1,すなわち1ミリ秒まで測定できる優れものでした。ただし,その精度を維持するには,こまめなメンテナンスとこの装置を使いこなす心理学者の職人技を必要としました。子どものころ,自転車の後輪のスポークに厚紙を当て,バタバタと音を立ててバイク気取りで乗り回していた思い出をお持ちの方もおられると思います。ヒップのクロノスコープはまさにその要領で,1ミリ秒まで測定できる精度で稼働しているかどうかを,ガンギ車と呼ばれる特殊な歯車が跳ね上げる板バネの音の高さをたよりに判断していたそうです。そのようなわけで,使い勝手は必ずしもよいといえない時間測定器でした。

ヒップのクロノスコープは1840年代から作られはじめ,その後さまざまなメーカーが手がけましたが,日本に輸入されたものはすべてE.Zimmermann社製でした。それには,ライプチッヒにいたヴントの影響が大きかったと考えられます。E.Zimmermann社は1887年にライプチッヒで創業し,ヴントの研究室で使われる心理学実験機器を数多く作っていたからです。

わが国への輸入記録が残るヒップのクロノスコープは5台あり,それらすべてを左ページに掲げることができました。というのも,輸入されたすべてが現存しているからです。最も古いのは東京大学に残るもので,1901年に東京帝国大学の心理学教室が導入した記録があります。次に古いのは,京都大学に残るもので,備品台帳(京都帝国大学文科大学物品監守簿

心理学教室之部)への登録年は1906年でした。

これら2台には,古さの証となる共通点があります。上下に並ぶ時計の文字盤のうち,上が1/10秒以下の時間を表示するのに対し,下は10秒までを表示する文字盤ですが,そこにメーカー名が示されています。この点は,ほかの3台と同じですが,製造年の古い上述の2台だけ,メーカー名が「E.ZIMMERMANN LEIPZIG」となっています。この会社はライプチッヒにありましたが,1906年以降,本社機能をベルリンに移したため,それ以降の製品に表記されるメーカー名は「E.ZIMMERMANN LEIPZIG-BERLIN」へと変えられました。

三番目に古いのは,東京大学に残る2台目の機器ですが,これは心理学教室ではなく,東京帝国大学付属の航空研究所が導入したものです。この研究所は1918年に作られ,いくつかある研究部門の一つに航空心理部があり,心理学教室の松本亦太郎教授らが嘱託として兼任していたため,2台目の購入が可能になったと想像できます。導入年は航空心理部ができた1920年頃と考えられます。

残る2台は東北大学と関西学院大学のものですが,導入時期はほぼ同じと推測できます。東北大学に残る機器の受け入れ年が1925年であることは記録に残っていますが,関西学院大学のほうの受け入れ年はわかりません。関西学院大学の心理学教室が1923年に創設されたことと考え合わせると,こちらのほうがわずかに早かったかもしれません。いずれにせよ,この2台はよく似ており,製作年もほぼ同じと考えられます。

ヒップのクロノスコープについては,Thomas Shravenという研究者が,2004年にその名も「The Hipp Chronoscope」というタイトルの長い論文を書いています。その際,わが国に残る個体についても調査が行われ,E.Zimmermann社製のものが4台掲載されています。残る1台の関西学院大学のものが見落とされていたのです。戦前,特に昭和に入るまでは,帝国大学以外で輸入品の導入は難しく,調査が私立大学まで及ばなかったのだと思われます。2013年から日本心理学会資料保存小委員会が行ってきた調査により,関西学院大学に第5のE.Zimmermann社製のヒップのクロノスコープが存在することを公にできました。そうした成果は日本心理学会が運営する「心理学ミュージアム」の「歴史館」に掲載されています。左ページの5台に関しても,さまざまな角度から撮影した精細画像が掲載されていますので,メーカー名の記載なども確かめてみてください。

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