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【特集】
集団を区別する ─違いは本質にこそあると信じる素朴理論
塚本早織(つかもと さおり)
Profile─塚本早織
2015年,名古屋大学大学院環境学研究科博士課程(後期課程)修了。博士(心理学)。名古屋大学大学院環境学研究科助教,日本学術振興会特別研究員PDなどを経て,2017年より現職。専門は社会心理学。著書は『偏見や差別はなぜ起こる?』(分担執筆,ちとせプレス)など。
人種や性別,国籍,障害の有無,性的指向などに関する社会的カテゴリーについて,「最新の科学技術を使うと,ゲノムレベルで分類することが可能になった」と聞くと,あなたはどのように感じるだろうか。
一つ目のパタンは,その情報を素直に信じて態度に表すという反応である。ウィリアムズとエバーハートの研究では,これと似たような内容の科学的記事を作成し,アメリカの大学生の反応を調べた(Williams & Eberhardt, 2008)。すると,「人種は遺伝子の違いによって説明できる」という内容が書かれた偽の科学記事を読んだ学生は,「人種は遺伝子では説明できない」という記事や,人種や遺伝子に全く関係のない科学記事を読んだ学生に比べて,異人種ターゲットと友人になることに消極的な態度を示すようになった。人種の違いが遺伝子にあるならば,分かり合えないと感じたのだろう。二つ目のパタンは,拒絶や怒りの反応である。血統や遺伝的形質によって社会的集団に優劣をつけることは,差別や排斥をもたらす優生思想による政策を連想させるからである。特定の集団に優劣をつけたいという動機のもと,生物学や遺伝学といったもっともらしい説明を構成することで差別を許容する社会構造が正当化された歴史から,集団を生物学的に分類することに対して拒絶反応を示す人も多い。三つ目のパタンは,人種は生物学的な分類ではないとして,生物学的な根拠を信じないという反応である。社会的カテゴリーはあくまで社会的に構成された認知的な枠組みであることを理解している人はこうした反応をみせるだろう。
科学記事に対する三つの反応パタンは,大きく異なるようで,実は似ている。共通しているのは,遺伝子,DNA,血筋など,人を形作る「何か」にはミステリアスなパワーがあるかのように感じられ,その影響力を過度に信じたり,気味悪がったり,否定したりするなどと,敏感に反応してしまうという点である。人のあり様の背景に生物学的で生得的な「何か」が影響していると信じる傾向は心理的本質主義(psychological essentialism)と呼ばれる。一般の人だけではなく,専門家であっても,生物学的で生得的なものの影響力を過信する認知傾向が存在し,自己や他者,集団に対する認識や反応を規定することが分かっている。本稿では集団の認知に適用される心理的本質主義的信念が,集団を区別するときの根拠として用いられる現象を紹介する。また,「人間」の本質を持つ者と持たざる者として人を認識する,人間化・非人間化の認知過程についても紹介し,人が集団を区別する際に用いる素人理論とその影響力について考察する。
心理的本質主義
ある人が「その人」であるのは,「その人」が生まれながらに持っている本質のせいだという考え方を心理的本質主義と呼ぶ。特に,社会的カテゴリーの認知において,この心理的本質主義の考え方は適用されやすい。例えば,「女性は遺伝的に家事に向いている」とか,「あの人は外国育ちだけれど,日本人の血を引いているから奥ゆかしい」などといった言及がみられるなら,その発言者は「女性」や「日本人」といった社会的カテゴリーの認知に心理的本質主義を適用しているということになる。
心理的本質主義にはいくつかの具体的な特徴がある。その一つは,表面化していなくても「本質」は存在すると考えることである。例えば外面をどんなに取りつくろっても,貧乏人がお金持ちにみえることはないし,お金持ちが貧乏人に見えることはない,というように,その人の社会階層を決定づける本質が外見ではわからない隠れた部分にあると信じるのである。羊の皮をかぶったオオカミは「オオカミ」でしかないという認知といえる。
二つ目の特徴は,「本質」を人工的というより自然に備わった資質であると捉えやすい点である。例えば,世界陸上の決勝戦を走る短距離ランナーを見て,「足が速いDNAを持っているからだ」と感じるのと「良いトレーニングを受けたからだ」と感じる場合があるが,短距離ランナーというカテゴリーに心理的本質主義を適用していると,前者の捉え方をしやすい。
三つ目の特徴としては,心理的本質主義は集団と集団の隔たりをより明確にするという点である。ある集団の人たちは本質Aを持っていて,別の集団の人たちは本質Bを持っていると考えることで,集団間には「意味」が生じ,明確な違いが存在していると感じられるようになる。同時に,共通の本質を持つ人たちとして,同じ集団の成員の類似性も高く認知される。
四つ目の特徴は,本質を生得的なものと捉えるという点である。ハリー・ポッターは自分が魔法使いの血を引くことを11歳になって初めて知り,後にその能力を発揮した。ハリーの魔法使いとしての能力は,育った環境に関係なく生得的なものであったというわけだ。
ここまで,心理的本質主義の特徴について述べたが,本質の実体は具体的に定義できなくてもよいとされている。「本質」は自然で,生得的で,分類可能で,表面化していない「何か」であれば,実は何であってもよいのである(Medin & Ortony, 1989)。日常場面では,本質の「仮の姿」としてDNAや血などの人の資質が比喩的に用いられる。
集団を区別する動機と状況
では,具体的にどのような集団が本質的に異なると認知されやすいのだろうか。例えば黒人と白人,女性と男性のように,見た目の違いは「本質」が原因に違いないと考える場合がある。一方で,見た目には違いがわからないが目に見えないところに本質的な違いがあるだろうと考える場合もある。どちらも本質という主観的な基準を用いて分類を正当化しているという点が共通しているが,後者の場合,表面化していない違いをあえて見出そうとする点において集団を区別する動機にかかわると考えられる。
例えば,ある人の血液型がA型であるかB型であるかなどということは,見た目ではわからない上に,実際に血液型によって性格が違うという科学的根拠もない。それでもなお,「あの人は几帳面だからA型に違いない」とか「あのカップルはB型とO型だから長続きしている」などというように,観察可能な人の行動を血液型が原因であるかのように説明することがある。血液型ステレオタイプが日本社会で共有される背景には,見た目で判別できなくても人の身体の一部である血液にはその人のありようを決定づける本質的な役割があるという素人理論が働いていると考えられる。体内に流れる「血」という生物学的な根拠に基づいて4種類に人を区別することで多くのことが説明づけられるかのように感じてしまうのである。
血液型以外に,例えば日本人と中国人といった国籍の違いは,いつでも目に見えるわけではない。ましてや,日本人が「中国人のふり」をしていたらどうだろうか。塚本と唐沢は,日本人の実験協力者に「中国人」と自己紹介させて,日本人参加者と交流させる実験を行った(Tsukamoto & Karasawa, 2015a)。実験では,心理的本質主義の信念が強い人ほど,実験でペアになった「中国人」との認知タイプの違いを,個人差ではなく日本人かそうでないかを区別する特徴であるかのように解釈しやすいことを明らかにした(図1)。心理的本質主義の信念を適用して民族集団を捉えやすい人は,認知タイプの違いという些細なきっかけが与えられると「民族の本質的な違いがやはり認知にも表れたのだ」と,本質に還元した解釈をしてしまうのである。二者間に異なる傾向があるとわかると,本来は集団の違いから生じる傾向だと解釈されるべきでない違いでも,心理的本質主義による集団の理解を補強する証拠として利用されるのである。
人間化・非人間化
ここまで,人が集団を区別する際に適用される心理的本質主義の信念についていくつかの例を挙げて取り上げたが,個人が属する最も包括的な社会的カテゴリーは「人間」カテゴリーだろう。動物や機械と比べて「人間」は特別な資質を持っていると感じることがある。しかし,それとは別に,同じ人間同士の異なる社会的集団について,ある集団には他の集団よりも人間らしい本質が備わっていると「人間の本質」を用いた区別を行うことがある(Leyens et al., 2001)。このような人間の本質を基準とした集団の区別は,相手集団への強烈な差別や偏見をもたらす(Harris & Fiske, 2011)。以下では,個人や集団に人間特有の本質的素質が備わっていると考える人間化(humanization)と,それらが欠けていると考える非人間化(dehumanization)の認知を取り上げ,人間の本質を基準とした集団や個人の認知的区別を紹介する。
英国のビクトリア女王は,動物園のオランウータンを見て,「あまりに不快なほど人間みたいでゾッとする」と発言したと言われている(Lemonick & Doffman, 2006)。人間は,他の動物よりも高等な生き物であると信じたいという思いは,女王だけでなく多くの人の思いであろう。ハスラムは,「人間」カテゴリーが他の動物と区別される際に強調される人間の本質的な特徴をHuman Uniqueness(HU)と呼んでいる(Haslam, 2006)。理性や自制心といった特徴は人間にはあって他の動物にはないものとしてHUに含まれる(図2を参照)。HUは動物との対比だけではなく,社会的な集団を比較する際にも用いられる。内集団を知的で道徳的に優れているとHUの側面によって人間化することには,自己の価値を高める効果があることが指摘されている(Waytz, Schroeder, & Epley, 2014)。しかし,このことは相対的に,外集団の人間らしさを否定し,非人間化することに繋がる。例えば,難民やホームレス,ポルノグラフィーの対象となる女性や子どもなどは,道徳性や知能が劣るといったステレオタイプにより非人間化して認知されることがある。
他方,近年注目されているのが,Human Nature(HN)と呼ばれる側面であり,これは人間をロボットや機械などの人工物から区別する際に強調される側面である。人間には他者を思いやる温かい心や行動の自発性という「人間らしさ」があり,HNによって捉えられるこういった人間の特徴こそが人間が生得的に持ち合わせている本質であるとされる(図2を参照)。塚本と唐沢の実験では,「親身になる」「片付けをする」などの特徴によって示された人物は人間味があり,「感情の起伏がない」「事務的」などの特徴によって示された人物は人間味がないと判断され,前者は人間化,後者は非人間化されることを確かめた(Tsukamoto & Karasawa, 2015b)。
非人間化の対象となるカテゴリーとして,事件の加害者が挙げられる。先述した研究では,非人間化された人物が傷害事件の加害者であった場合に,反省や更生の可能性がどのくらいあるかを推測させた。その結果,非人間化された加害者は人間化された加害者に比べて,更生や反省といった「人間らしい」変化が期待できないと判断された。このような判断の背景には,加害者を「人間未満」と区別することで,たとえ反省や更生を成し遂げなかったとしても,「人間らしい」他の人びとによって法制度や社会秩序は維持されるという期待が働いていた可能性がある。
ある種の人たちに人間の本質が無いと非人間化することは,差別や偏見を助長する危険な認知である。しかし,論理や常識によって理解することが困難な他者の行動をみて,「人間の本質が欠けているから」ともっともらしい説明を付与する非人間化の認知には,適応的な機能があるのかもしれない。
まとめ
本稿では,たとえ表層的な違いがみられなかったとしても,目に見えない「本質」を根拠にして個人を集団に分類するという人の認知傾向を述べた。人間を相手に「人間の本質が欠けている」と感じる非人間化の現象をみても明らかだが,人が知覚する本質には科学的根拠を必要としない。「本質」は表層的にも内面的にも実在する必要がないという点において,本質を根拠に用いる素人理論は非科学的といえるだろう。しかし,心理的本質主義は,社会的カテゴリーに対する印象や既存の社会的優劣を正当化するためのもっともらしい説明を付与する点において,集団の認知に大きな影響力を持つ。集団が見えない本質によって「コントロール」されているかのように感じる際の不快感や違和感,およびその影響力を明らかにすることで,社会的分断を生じさせる認知的仕組みやその解決方法を模索することができるだろう。
文献
- Harris, L. T. & Fiske, S. T. (2011). Dehumanized perception: A psychological means to facilitate atrocities, torture, and genocide. Journal of Psychology, 219 , 175-181.
- Haslam, N. (2006). Dehumanization: An integrative review. Personality and Social Psychology Review, 10 , 252-264.
- Lemonick, M. D. & Dorfman, A. (2006). What makes us different? Time Magazine. Retrieved from http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,1541283,00.html
- Leyens, J. P., Rodriguez ‐ Perez, A., Rodriguez Torres, R., Gaunt, R., Paladino, M. P., Vaes, J., & Demoulin, S. (2001). Psychological essentialism and the differential attribution of uniquely human emotions to ingroups and outgroups. European Journal of Social Psychology, 31 , 395-411.
- Medin, D. L. & Ortony, A. (1989). Psychological essentialism. In S. Vosniadou & A. Ortony (Eds.), Similarity and analogical reasoning. pp.179-195. Cambridge University Press.
- Tsukamoto, S., & Karasawa, M. (2015a). From interpersonal to inter-ethnic differentiation: The role of psychological essentialism. Journal of Human Environmental Studies, 13 , 13-20.
- Tsukamoto, S. & Karasawa, M. (2015b). Dehumanization in the Judicial System: The Effect of Animalization and Mechanization of Defendants on Blame Attribution. Proceeding of the 10th Asian Association of Social Psychology Biennial Conference , 256-267.
- Waytz, A., Schroeder, J., & Epley, N. (2013). The lesser minds problem. In Humanness and dehumanization . pp.57-75. Psychology Press.
- Williams, M. J. & Eberhardt, J. L. (2008). Biological conceptions of race and the motivation to cross racial boundaries. Journal of Personality and Social Psychology, 94 , 1033-1047.
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