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【特集】

差別という暴力

高 史明
東京大学大学院情報学環 特任講師/神奈川大学 非常勤講師

高 史明(たか ふみあき)

Profile─高 史明
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(心理学)。専門は社会心理学(偏見・ステレオタイプ・差別)。著書は『レイシズムを解剖する:在日コリアンへの偏見とインターネット』(勁草書房)など。

「フェアネス」という重大な問題

年上の友人から聞いた中学校3年生のときの思い出話である。クラスメイトには容姿が美しく成績も優秀な少女がいた。私の友人とはそれほど親しく話したことはなかったが,幼稚園からの顔なじみであった。

担任はキザな社会科教師であったが,2学期が終わりに迫ったある日,一つの騒ぎが持ち上がったという。朝のホームルームを前にして,クラスの中心的存在だった生徒たちが教壇にあがり,担任が彼女を「えこひいき」していると訴え,授業のボイコットを呼びかけたのである。

彼女はその日授業を受けることなく早退し,ボイコットを扇動した生徒たちは校長室に呼ばれていった。その日いかなる話し合いが持たれたのか友人の知るところではないが,やがて彼らは気まずい空気を抱えたまま卒業を迎え,その後クラスの同窓会が開かれることもなかった。

50代も半ばを迎えた友人だが,遠い昔のその事件のことを思い出すと今でも,胸を締めつけられる思いになるという。

ここまで極端なものでなかったとしても,「えこひいき」にまつわる思い出は誰もが持っているのではないかと思う。「えこひいき」するという噂があって不人気だった教師の記憶であったり,あるいは担任がどうやら自分のことを「えこひいき」しているようだと気づいて感じた居心地の悪さであったり,人によってその内容は異なるとしても,教師という権力者が我々をフェアに扱うかは,幼い頃の重要な関心ごとであっただろう。

それでは,フェアに扱われることへのこのようなこだわりは,単なる幼さ,未熟さの表れなのであろうか?

もちろんそうではない。読者の皆様─教員として,あるいは学生として心理学を研究する方々を想定しているが─にとっても,フェアネスの欠如は決して無視できない,それどころか激しく心をかき乱す,重大問題であるはずだ。

たとえば今年のセンター試験の監督を運よく免れた同僚。委員会の仕事を人におしつけてばかりいる同僚。授業の担当コマ数が少ない同僚や,受講人数が少なく採点シーズンに楽ができる同僚。そういった連中を相手に感じる不公平感は,大学教員にとっておなじみのものである。まだテニュアを獲得していない若手の間には自分より研究業績が少ないテニュア教員への怨嗟が渦巻いているし,学生であれば,自分ほどアルバイトをしなくても生活できる学生や恵まれた環境の研究室に在籍する学生との間に不公平感を感じたことがあるかもしれない。

思い当たるふしがあったとしても,フェアネスの欠如に心を乱されるのは自分が小物だからだなどと卑下する必要はない。行動経済学を草創期より牽引し2015年にはアメリカ経済学会の会長にもなったリチャード・セイラーは,『行動経済学の逆襲』のなかで一章を割き,新しく建てられた校舎の研究室がフェアに割り当てられるかどうかを巡って名門シカゴ大学ビジネススクールの研究者たちが数カ月に渡って繰り広げた大騒動の顛末を描いている(Thaler, 2015/遠藤訳,2016)。フェアネスの欠如は,職場における主要なストレス源の一つなのだ(Greenberg, 2004)。

社会におけるフェアネスの欠如

我々の心がこのようにフェアネスを切望してやまないものだということを念頭におきつつ,ある集団に属する人々が,我々が生きているのと同じ社会において,様々な場面で,様々な相手から,繰り返しフェアでない扱いを受けつづけているということを考えると,どこか落ち着かない気持ちにならないだろうか?

差別というのは,このようなフェアネスに関わる問題とみなすことができる。差別とは,もっぱら社会的集団のメンバーシップにもとづいて,そこに属する人々と他の人々の扱いに差をつけることを指す。メンバーシップにより異なる扱いをすることが是正すべき問題となるのは,フェアネスという規範に抵触したときだ。

一例を挙げよう。性別による格差を表すジェンダーギャップ指数では,日本は145ヵ国のうち101位と,後ろから数えた方が早い場所に位置する。大きな減点要素となっているのは,政治分野での女性の進出がほとんどなされていないこと,経済分野では管理職に女性が著しく少ないことなどで,この他に同一職種でも存在する賃金格差なども寄与している(World Economic Forum, 2016)。

こういった話をするとよく返ってくるのは(たいていは男性からだが),「日本は全体として豊かだから,たとえ男女格差が大きいとしても日本の女性は十分豊かだ」というものだ。だが,これはそもそもウェルス(富)の話ではなくフェアネスの話である。たとえ豊かだったとしても,その中でアンフェアな扱いがあることへの問いを投げかけているのである。ちょうど,600万円の給与をもらえるとしても,自分と同じような仕事しかしていない同僚が1000万円の給与を受け取っているときには喜びを感じることができないのと同じような問題である。

男女の経済格差は,結婚や出産などの重要なライフイベントによっても,もたらされる。川口(2008)のレビューによれば,男性では一般に結婚や出産に伴い賃金が上昇するかもしくは変化しないのに対して,女性では一般に出産により賃金が低下する。これは,結婚を機に退職しても構わないと思う女性が比較的多いであろう低技能労働者に限った話ではない。我々は日本の外科医を対象に同種の検討を行ったが,男性では結婚していることで約110万円,子どもがいることで一人当たり約36万円ずつ年収が多かったのに対して,女性では子ども一人当たり約73万円ずつ年収が少なかったことが示された(Okoshi et al., 2016)。

こうした男女格差は,何も「女性を低い地位に押しとどめ支配したい」という男性の「差別しようとする悪い心」が生み出し維持しているものとは限らない。むしろ男女の経済的格差は,川口(2008)が指摘するように,各エージェントが「合理的」に─ここでは,より大きな利得が見込まれる行動を取るという,経済学的な,限定的な意味での合理性である─振る舞う限り抜け出せない,ゲーム理論で言うところの「均衡解」に陥っているものとみなすことができる。

たとえば,女性の結婚・出産後離職率が高い社会では,企業は男性を優遇し昇進させるのが「合理的」であるし,企業がそのように振る舞うのだとすれば,労働者の側も女性は家事労働,男性は稼得労働により多くの資源を割き分業するのが「合理的」である。労働者が性役割分業を行うのであれば,企業の側はその条件を最大限活かして,長時間労働や夜間・休日の接待など家事を行う配偶者の存在を前提としたビジネス戦略で業績を上げようとするのが「合理的」である。そして将来的に性役割分業を行うと見込まれるのであれば,女性にとって労働生産性を高めるための人的資本への投資を控えるのも「合理的」である(川口, 2008)。

このような「均衡解」が社会全体で達成されているときに,個人や企業などの個別のエージェントが他と異なる行動を取ることは,自身に不利益をもたらすものである。各エージェントは「合理的」に振る舞っているのだが,その結果,ある特定の集団に属する人々は,自分個人の選択の自由を奪われ,あるいは労働に対する適切な評価を得られないという状態が維持されてしまうのである。この場合,企業などの雇用主は合理性という規範には抵触しないが,フェアネスという規範には抵触している。このような状況における問題を考えるために,差別という分析フレームが用いられるのである。

さて,先に述べたように,フェアネスの欠如は職場における主要なストレス源である(Greenberg, 2004)し,差別というのはフェアネスの欠如の問題である。であるならば,職場において差別を感じずにすんでいる女性は,ストレスによる好ましくない影響から免れやすいのではないだろうか?

こうした観点から我々が行った研究に,Takaら(2016)がある。この研究では,日本のある私立大学の教員を対象に質問紙調査を実施した。この調査では,バーンアウトの消耗次元を測定する尺度に加えて,所属組織が男女平等の実現のために積極的だと感じているか,研究社会が男女不平等だと感じているか,といった労働環境についての認知も測定し,それらの間の関連性を検討した。その結果,職場が女性の活躍のために積極的だと感じているほど,あるいは研究社会が男女不平等だと感じていないほど,女性教員のバーンアウトは弱かった。一方で,こうした認知は,男性教員では有意な効果を示さなかった(図1)。したがって,労働環境における男女間のフェアネスを実現することが女性のバーンアウトを抑制し,女性を研究の世界に繋ぎとめる効果がある可能性が示されたのである。

この研究には横断的調査であるがゆえの制約など様々な限界はあるが,今後さらに深く研究していく価値がある知見だろう。

フェアネスの追求を装った差別

さて,我々にとってフェアネスが重大な関心事であること,そして差別というのはフェアネスの欠如の問題であって,そのことは職場におけるバーンアウトとも関連しているかもしれないことを論じてきた。

しかし,フェアネスを巡る問題を一層難しくするのは,フェアネスという規範は我々人間にとって否定しがたいものであり,それゆえ差別しようとする人々もこのフェアネスの概念を援用しようとするという点にある。現代的レイシズム(modern racism; McConahay, 1986),あるいは象徴的レイシズム(symbolic racism; Kinder & Sears, 1981)と呼ばれる人種・民族偏見がそれである。

図1 職場環境の認知とバーンアウト
図1 職場環境の認知とバーンアウト
横軸は“所属部署のトップの男女共同参画社会に対するリーダーシップがある”などの項目で測られる,女性の活用に関する職場の環境の認知。縦軸はバーンアウトの,仕事に対して感じる精神的消耗次元(1-5点)。Takaら(2016) p484, Fig.1(b)より改変して使用。
  

これらの概念は,アメリカでの黒人に対する人種偏見の研究から明らかにされたものである。「黒人は劣っている」というような露骨な人種偏見の表出は,20世紀半ばに人種間の平等という規範が広まるにつれて,社会的に許容されないようになっていった。それに代わって,表面的にはより隠微な偏見が中心的な役割を果たすになったというのである。この人種偏見は,(1)黒人に対する差別は既に存在しない,(2)人種間の格差が現存するのは,黒人が努力を怠るためである,(3)よって黒人が差別に対して抗議するのは不当であり,(4)こうした抗議を行うことで黒人は不当な特権をせしめている,という4つの,ひとつながりの信念にもとづくものである(レビューとして,Sears & Henry, 2005)。つまり,差別を撤廃しようという訴えをアンフェアなものとして退けようとする心理こそが,現代の人種偏見の主要な構成要素なのだ。

NortonとSommers(2011)は,より印象的な形でそのことを示している。彼らは,白人・黒人それぞれの回答者が評価した,白人・黒人それぞれが対象の差別を感じる程度について,1950年代からの時間的変化を検討した。その結果,白人回答者では黒人に対する差別の評定が低下するのと同時に白人に対する差別の評定が上昇し,2000年代には後者の方が高い値を示すようになっていた。NortonとSommersはこれを,白人が人種間の差別を「ゼロサム・ゲーム」として捉えていることによると分析している。

同じような,マイノリティの権利が保障されるようになることに対して,それまで特権的な地位にいたマジョリティが自分たちの権利が不当に脅かされていると感じることを基盤とする偏見は,他の様々なマイノリティに対しても見出されている。日本においても,昨今インターネット上で流行する「在日特権」の言説にみられるように,黒人に対する人種偏見と相似した在日韓国・朝鮮人への偏見が存在することは,拙著『レイシズムを解剖する』において丹念に論じたとおりである(高,2015)。

マジョリティであるというだけでマイノリティよりも豊かな暮らしができて当然だと考える人々の「アンフェア」への怒りは,昨年末の米大統領選の帰結など,現代社会の力学を分析する上で欠かせない枠組みとなっている。これらの(それ自体がフェアとは言えない)「アンフェア」への怒りに対して,社会科学者は共感する必要も「寄り添う」必要もないが,理解する必要はあるだろう。

まとめ

以上,本稿では,差別という,特定の人々がフェアネスから疎外される暴力について簡潔に論じた。お気づきかと思われるが,この領域は社会心理学だけでなく様々な分野との学際研究を生み出しうる豊かな研究領域である。多くの心理学者たちが参入することを願ってやまない。

文献

  • Greenberg, J.(2004)Stress fairness to fare no stress: Managing workplace stress by promoting organizational justice.  Organizational Dynamics, 33 , 352-365.
  • 川口章(2008)『ジェンダー経済格差:なぜ格差が生まれるのか,克服の手がかりはどこにあるのか』勁草書房
  • Kinder, D. R. & Sears, D. O.(1981)Prejudice and politics: Symbolic racism versus racial threats to the good life.  Journal of Personality and Social Psychology, 40 , 414-431. http://doi.org/10.1037//0022-3514.40.3.414
  • McConahay, J. B.(1986)Modern racism, ambivalence, and the modern racism scale. In J. F. Dovidio & S. L. Gaertner(Eds.) Prejudice, discrimination, and racism (pp.91-125). Orlando, Academic Press.
  • Norton, M. & Sommers, S.(2011)Whites see racism as a zero-sum game that they are now losing.  Perspectives on Psychological Science, 6 , 215-218. Retrieved from http://pps.sagepub.com/content/6/3/215.short
  • Okoshi, K., Nomura, K., Taka, F., Fukami, K., Tomizawa, Y., Kinoshita, K. & Tominaga, R.(2016)Suturing the gender gap: Income, marriage, and parenthood among Japanese surgeons.  Surgery, 159 , 1249-1259. http://doi.org/10.1016/j.surg.2015.12.020
  • Sears, D. O. & Henry, P. J.(2005)Over thirty years later: A contemporary look at symbolic racism. In M. P. Zanna(Ed.) Advances in experimental social psychology (Vol. 37, pp. 95-150). San Diego, CA: ElsevierAcademic Press.
  • 高史明(2015)『レイシズムを解剖する:在日コリアンへの偏見とインターネット』勁草書房
  • Taka, F., Nomura, K., Horie, S., Takemoto, K., Takeuchi, M., Takenoshita, S., … Smith, D. R.(2016)Organizational climate with gender equity and burnout among university academics in Japan.  Industrial Health, 54 , 480-487.
  • Thaler, R. H.(2015) Misbehaving: The making of behavioral economics . New York, NY: W. W. Norton & Company.[リチャード・セイラー/遠藤真美(訳)(2016)『行動経済学の逆襲』早川書房]
  • World Economic Forum.(2016)Global Gender Gap Report 2015. Retrieved July 4, 2016, from http://reports.weforum.org/global-gender-gap-report-2015/rankings/

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