アメリカの研究生活で学んだこと
柴田和久(しばた かずひさ)
Profile─柴田和久
2003年,東京農工大学卒業。2008年,奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科博士課程修了。博士(理学)。専門は知覚心理学,神経科学。論文はOverlearning hyperstabilizes a skill by rapidly making neurochemical processing inhibitory-dominant(共著,Nature Neuroscience)など。
僕は2009年4月から2016年3月まで,アメリカの東海岸で研究を行っていました。この間はずっと渡邊武郎先生と佐々木由香先生が運営するラボにおり,最初の3年と少しはボストン大学心理学部に,その後の4年弱はお二人の異動に帯同し,ブラウン大学認知言語心理科学部に在籍しました。多くのエキサイティングな研究プロジェクトに関わらせていただいたとともに,アメリカでの7年間で得たさまざまな経験は,研究者人生においてかけがえのない財産になっています。
渡邊先生と佐々木先生は,知覚心理学の分野で世界的に著名な研究者です。特に二千年代に入ってから現在にかけてのヒトの視覚能力向上の仕組みを明らかにした一連の研究は,当該分野内外からの大きな驚きをもって受け入れられるとともに,感覚可塑性の研究にめざましい発展をもたらしました。上記研究のみならず,視知覚や意思決定に関するユニークな知見をこれまで多数発表しており,僕の知り得る限り,視覚研究の分野で現在もっとも生産性の高い研究者に数えられます。
渡邊・佐々木ラボの研究スタイルにおける最大の特徴は,そのコンセプトの切れ味にあります。「何が重要な問題か」から出発し,「その分野の研究者の考えを変えるコンセプトを見出す」ことに優れています。また,豊富な経験をもとに,そのコンセプトの妥当性を調べるための最短の道筋を見出すことにも長けています。そのため,渡邊・佐々木ラボから発表される論文は,該当分野においてタイムリーかつ新しい流れを切り拓くものが多いです。
僕にとって渡邊・佐々木両先生は学問上の師であり,お二人から学んだ多くのことは,研究生活において重要な指針になっています。僕にとってもっとも大切な学びは,コンセプトドリブンで研究を展開していくことの重要性でした。渡邊・佐々木ラボのメンバーは,研究時間の多くを実験に費やしますが,単に新しいというだけで実験を始めるのはよい方法ではない,という指導がなされます。実験設定を少し変えれば,新しい実験を際限なく考案することができますが,新しい実験から得られた結果が重要なコンセプトを導くとは限りません。時間と経費と労力を費やした新しい実験の結果が,既存のコンセプトをサポートするのみに留まったら,これほど残念なことはありません。数撃ちゃ当たるを目指しがむしゃらに実験に勤しむより,重要なコンセプトから出発したほうが生産性は遥かに高まるということを,渡邊・佐々木ラボで実践的に学ぶことができたのは,本当に幸運でした。
渡邊先生によると,このようなスタイルは,特に研究拠点を米国に移したのちに身につけたとのことでした。コンセプトドリブンの考え方は,もしかするとアメリカと日本における教育の差異を映し出しているのかもしれません。現在では日本の教育もずいぶん変わっているのかもしれませんが,僕が受けてきた教育内容に照らすと,コンセプトドリブンの考え方はとても新鮮なものでした。
心理学に限って言えば,心理学部と神経科学部がセットになっているところに,アメリカの大学の特徴があると思います。どの学生も両方の学部の授業を取ることができ,数学・心理学・神経科学・工学・プログラミングなど,さまざまな分野にまたがる実践的な知識を身につけることができるような仕組みになっています。僕のもともとの専攻は工学なので,実は日本の心理学教育の現状をまだよく知らないのですが,アメリカに比べると少し自由度が限られているかなという印象を持っています。近年,心理学と他の分野の境界が薄れてきていることもあり,この分野においてインパクトのある研究をするためには,複数のバックグラウンドを持つことが不可欠になりつつあります。日本においても,さまざまな分野をシステマチックに学べる仕組みを作ることができるとよいなと思います。
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