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ここでも活きてる心理学

化学物質の安全を安心へつなげたい

一般財団法人 化学物質評価研究機構  安全性評価技術研究所 主管研究員

吉川治彦(きっかわ はるひこ)

Profile─吉川治彦
1989年,学習院大学大学院自然科学研究科化学専攻博士前期課程修了。2001年より現職。理学修士。専門は化学物質の評価・管理,リスクコミュニケーション,リスクの心理。

ある日の講演にて

化学物質は,便利で快適な生活を送る上で欠かせないものです。市場に流通している化学物質は数万種に及ぶとされ,私たちは,意識するしないにかかわらず,産業活動や日常生活において多くの化学物質を利用し,その恩恵に浴しています。その一方で,化学物質を環境中に排出し,生態系や人の健康に悪影響を及ぼしているおそれがあります。化学物質は,これまでの法規制による管理から,有害性や摂取量を考慮したリスク評価(一般にリスクの大きさは,毒性値×摂取量で表される)による自主管理へ変わりつつあります。

リスク評価による化学物質の管理には,様々な価値判断が存在することや,一般の人々のリスク認知の問題があり合意の形成が難しくなる場合が少なくありません。科学的手法によって客観的に行われたリスク評価の結果から人々が感じるリスクには差があります。未知のもの,情報が少ないもの,よく理解できないもの,自分でコントロールできないものに関するリスクは実際よりも大きく感じられ,便利で利益が明らかなものや,自分でコントロールできるものに関するリスクは実際よりも小さく感じられる傾向があります。リスク認知のバイアスは,科学的な判断ではなく一般の人々の直感的なヒューリスティック(経験則)による判断に依存することが多いです。このように化学物質に関する人の認知は,社会心理学の領域であり,私が化学の他に心理も専門(認定心理士)としているのはこのためです。化学物質のリスクコミュニケーションには,正確な情報を伝えることのほかに,専門家でない一般の人々の認知特性にも考慮して実施する必要があると考えられます。

一般の人々が,化学物質のリスク評価の結果を十分に理解し,リスク評価・管理者と対等に議論することは難しい場合があります。このような場合,リスクコミュニケーションの問題点は,リスク評価・管理者に対する信頼の問題に帰結します。情報の受け手が対話に参加することでリスク認知のバイアスを減らし,情報の送り手であるリスク評価・管理者が否定的な内容も情報の受け手へ的確に伝えることで信頼を高め,また双方向のコミュニケーションによって,互いの関係を良好なものとすることが重要であると考えられます。リスク評価・管理に従事する専門家は,リスクに曝されている人々の心理面も含めて理解することが必要です。相手の立場や心の動きを理解しようと努力することがリスクコミュニケーションには大切です。相手の立場を理解することは難しい問題ですが,他者の心の動きを読むという能力は,人間がもつ高度な能力です。リスクコミュニケーションにおいても,相手の立場を理解することができれば,信頼感を得ることに有効であると考えられます。

リスク評価をすれば答えは一つに決まるわけではありません。ゼロリスクがないことや完全に安全を証明することが不可能である以上,リスク評価の結果から推定されるリスクの度合いに応じ,受け入れるリスクの程度を社会的に判断し決定する必要があります。そのために,リスク間のトレードオフや,リスクとコスト間のトレードオフなども含めたリスク評価・管理と,それに続くリスクコミュニケーションを実施することによって,一般の人々の理解を得ることが今後重要になると推察されます。私たちの生活で欠かせない化学物質を利用する人々が今よりもっと安心できるような社会を私は実現したいと思います。

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