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巻頭言

自他の逆転

日本大学文理学部心理学科 教授
横田正夫(よこた まさお)

「自他の逆転」とは,自己と他者の逆転,という意味ですが,これだけでは何のことか分からないと思います。かれこれ30年ほど前,統合失調症の認知障害についての研究を始めたころ,精神科医の安永浩の『ファントム空間論』に出会いました。この空間論にパターンの逆転という考えが紹介されていました。自己と他者の関係では,通常は,自己が他者に対して優位になっている。すなわち他者は自己でないものとして定義できるが,自己は他者でないものとしては定義できないという関係があり,統合失調症ではこの関係が逆転する。つまり他者によって自己が規定されるような事態が生ずる。こうした論に出会い,統合失調症の認知障害の研究を続け「統一的視点の設定困難」というように私なりに障害の特徴をまとめました。これは断片化した描画が多いことを説明しようとした概念でした。しかし断片化しているとはいえ断片化されたものに対する自己の視点は保たれていますので,そこではまだ自他の逆転が捉えられているわけではありませんでした。

その後,統合失調症の症例を,長期にわたって,描画を使用して追跡する検討を行ったところ,断片化の著しい描画に出会いました。私の行っている描画法は,私が編み出したもので「草むらテスト」と命名しています。これでは「草むらに落とした500円を探している自分を描いてください」と教示し,描画を求めます。私の出会った統合失調症の症例の一人では,500円玉を大きく金色に輝かせて描き,自分に当たるものは,目と指の先のみになっていました。この症例には,神を見る体験があり,500円玉が光り輝いているというところに神の体験が描かれているらしかったのです。この描画では明らかに外界の500円玉が優位であり,自己はそれに圧倒され,身体をひとつのまとまりとして維持できていませんでした。安永の「自他の逆転」のあらわれでした。

最近,この「自他の逆転」が,身近なものになっているようです。というのも映像メディアの中で,他者に圧倒され,自己がなくなってしまうような体験が描かれ,なかには大ヒットした作品もありました。メディアの描く世界が,徐々に,統合失調症の精神病理の世界に接近してきました。そしてその体験世界が感動的なものとして描かれ,観客に提供されています。しかし統合失調症の「自他の逆転」では,それは自己を震撼させ,恐懼させる,想像を絶した体験となるはずのものなのです。

横田正夫

Profile─横田正夫
日本心理学会理事長。日本大学芸術学部映画学科卒業後,同大学大学院文学研究科心理学専攻博士前期課程修了,大学院博士後期課程満期退学。その後,群馬大学医学部精神医学教室に勤務し,統合失調症の認知障害の研究を行う。1991年に日本大学文理学部心理学科に専任講師として就職,2000年から現職。医学博士,博士(心理学)。著書は『精神分裂病患者の空間認知』(日本心理学会モノグラフ委員会),『アニメーションの臨床心理学』(誠信書房),『大ヒットアニメで語る心理学』(新曜社)など。

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