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【特集】

化石人類の壁画─ 具象,幾何学形,混成像

五十嵐 ジャンヌ
東京藝術大学大学院美術研究科博士リサーチセンター 非常勤講師

五十嵐 ジャンヌ(いがらし じゃんぬ)

Profile─五十嵐 ジャンヌ
1991年,東京藝術大学美術学部卒業。1995年,大阪大学大学院文学研究科博士前期課程修了。1996年,パリ古人類学研究所「第四紀:地質学、古人類学、先史学」高等教育免状(DEA)取得。2003年,フランス国立自然史博物館博士号取得(先史学博士)。2008年から現職。専門は先史学,美術史。著書は『世界遺産ラスコー展』(共著,毎日新聞社・TBSテレビ)など。

アフリカで30万年以上前に誕生した私たちの祖先ホモ・サピエンスの一部が,今から4万年以上前の旧石器時代にヨーロッパにやってきた。彼らが4万年から1万4500年前の間に洞窟や岩陰で制作した壁画は,西ヨーロッパを中心に300 ヵ所以上発見されている(五十嵐,2016)。フランスのラスコーやショーヴェ,スペインのアルタミラなどの洞窟には,ウシ,ウマ,マンモスなどの動物が生き生きと表現されている。動物の他にも,記号と呼ばれる幾何学的な図形,そして稀ではあるが,この世に存在していない生き物なども描かれている。

動物のような具象的なかたちに興味を抱くのは,それが何を示しているのかに気づくことが大前提にある。人類は具象的なかたちにいつ頃から意味を見出し,それを作るようになったのか,ホモ・サピエンスよりも古い化石人類の遺物から辿ってみたい。次に,化石人類が刻んだ幾何学的な図形と洞窟壁画の記号の違い,そしてなぜ実在しないものを想像して描いたのかについても考察していきたい。

ラスコー洞窟(フランス,ドルドーニュ県)の「牡ウシの広間」
図1 ラスコー洞窟(フランス,ドルドーニュ県)の「牡ウシの広間」。25 メートルにわたる彩色された壁画群。 およそ2 万年前。Cliché N. Aujoulat:Centre National de Préhistoire:MCC

具象的なかたち

ラスコー洞窟の「牡ウシの広間」では,ウシは実物よりも大きく,ウマやシカは小さく描かれている(図1)。動物の輪郭の線というものは実際には存在しないが,壁面に描かれた線を見ることで動物のかたちであると人類は理解することができた。二次元に近い岩面に具象的なかたちを描いた証拠があるのは,ホモ・サピエンスの登場以降である。ここでは古い時代に遡り,化石人類が残した三次元の立体物を二つ挙げ,具象的なかたちを介してコミュニケーションを行っていたかどうかを見ていきたい。

まず,南アフリカのマカパンスガット洞窟で発見されたわずか6センチの丸い赤褐色の石がある(Dart, 1974)。今から300万年前のアウストラロピテクスが数キロ離れた場所から洞窟に持ち込んだものである。この石には,水の作用で自然にえぐられた二つのくぼみが並んでいる。人為的ではない遺物に関して言及するにあたって具象的なかたちに見えるかどうかには主観が入り込む余地があるが,くぼみは目に見え,その石全体のかたちは人類の頭に見える。この遺物の出土状況から,石を見つけ,拾い,持ち帰ったと推測すれば,その一因として仲間や家族に見せたかったと考えられる。具象的なかたちとは,そのものを見て,何かを連想できてはじめて理解される。大きさも色も質感も異なる自然物が何かに似ていると思うことは,のちに象徴を多用する私たちホモ・サピエンスの現代人的行動の根源といえよう。

次に,具象的なかたちを意図的に作った古い遺物として,7万5600年前のネアンデルタール人によるムスティエ文化のラ・ロッシュ=コタール遺跡(フランス・アンドル=エ=ロワール県)で出土したトナカイの骨を差し込んだ石が挙げられることがある(Lorblanchet, 1999)。そのかたちは人類の顔に見えるので,もしこれをネアンデルタール人が具象的なかたちを作り出す行為を行っていた証拠とすれば,具象的な立体物を作るのはホモ・サピエンスに限ったことではないことを示している。

フランスの心理学者リュッケ(1876-1965)は,旧石器時代美術を具象的でない装飾美術と装飾ではない具象美術に分けている。装飾美術には単純なものを美しく見せる美意識が見られ,身体や道具などに装飾を加えたり,それを変更したりという感覚的な楽しみが前提にあるが,具象美術を意図的に制作するには,制作欲すなわち制作する喜びという感情的な条件と表象化という知的な条件が必要であると考えた(Luquet, 1926)。単なる楽しみだけではなく,様々な要素が複合的に作用しなければ具象的な画像が生まれることはなかっただろう。

幾何学的な図形

フォン=ドゥ=ゴーム洞窟(フランス,ドル ドーニュ県)の赤い記号《テクティフォルム》。
図2 フォン=ドゥ=ゴーム洞窟(フランス,ドルドーニュ県)の赤い記号《テクティフォルム》。30センチ。およそ1 万5000 年前。筆者撮影

幾何学的な図形は,ヨーロッパの洞窟壁画以前に制作された証拠がある。最古の事例は,南アフリカのブロンボス遺跡で発見された格子模様が刻まれたオーカー片である(Henshilwood et al., 2003)。7万7000年前のホモ・サピエンスが作ったものである。その石片に線刻された線集合は,枠線の内側に等間隔に規則的に引かれているため,明らかに計画的に作られた図形である。

また,2014年にインドネシアで幾何学的な図形が刻まれた興味深い遺物が発見された。それは50万年前のホモ・エレクトスがムール貝に刻んだジグザグ模様である(Joordens et al.,2014)。この幾何学的な模様は,リズムを刻む楽しみが感じられるが,意図的に刻まれた記号かどうかは測りかねる。

ヨーロッパの洞窟壁画では,複雑な構造を持つ幾何学的な図形から,線や点からなる単純なものまでが残されているが,それらを総称して記号と呼んでいる(五十嵐, 2016)。それが槍や罠などの狩猟具の具象的なかたちを表しているのか,あるいは実在しないものを表しているのか,または抽象的な概念を指しているのかは不明である。しかし,記号を比較分析すると,いくつかのタイプに分類でき,それぞれ特性が異なっていることが明らかになる。テクティフォルム(屋根のかたちをした五角形)(図2)やクラヴィフォルム(垂直の棒に半円形が付属した形)など,集団のテリトリーを示すと考えることができる地域限定の記号もあれば,動物像に規則的に伴うV 字形などの記号類もあり,点状記号のように動物像とは重なる頻度が低い記号タイプも見られる。

ラスコー洞窟の「牡ウシの広間」左壁に描か れた《ユニコーン》と呼ばれる混成動物像(体はサ イ,体の目玉模様はネコ科動物,頸上部はクマ,ト ナカイあるいはネコ科動物,短い尻尾はシカ科,真っ 直ぐに伸びる長い角が特徴的である)。
図3 ラスコー洞窟の「牡ウシの広間」左壁に描かれた《ユニコーン》と呼ばれる混成動物像(体はサイ,体の目玉模様はネコ科動物,頸上部はクマ,トナカイあるいはネコ科動物,短い尻尾はシカ科,真っ 直ぐに伸びる長い角が特徴的である)。およそ2.6メートル。およそ2 万年前。Cliché N. Aujoulat:Centre National de Préhistoire:MCC

実在しないものを想像したのか?

レ・トロワ=フレール洞窟(フランス・アリエー ジュ県)の《呪術師》
図4 レ・トロワ=フレール洞窟(フランス・アリエージュ県)の《呪術師》。ブルイユによる模写。およそ1 万5000 年前。(Collectif, 1984)

ヨーロッパ旧石器時代には,具象的なかたちが実在する動物のみならず,実在しないものも制作したと思われる証拠がおよそ4万年前の遺跡から出土している。イタリア北部のフマーネ洞窟からは赤い顔料で《角が生えたヒト》が描かれた岩片や,ドイツ南西部のホーレンシュタイン=シュターデル洞窟からは《ライオンマン》と呼ばれるマンモス牙製小立像がある。この彫刻は二本足のヒトが直立した姿だが,頭はライオン,腕はトリの羽のかたちをしている。

ラスコー洞窟でも《トリ人間》と呼ばれる半人半獣像や《ユニコーン》と呼ばれる混成動物像(図3)が黒い輪郭線で描かれている。ピレネー山脈北に位置するレ・トロワ=フレール洞窟では,《呪術師》と呼ばれる半人半獣の壁画が3点知られている。トナカイの角,フクロウの顔あるいは仮面,キツネの尻尾,ネコ科動物の性器,ヒトの腕や肘,足を持つ半人半獣像1体(図4)と,頭部がバイソンで首から下がヒトの半人半獣像2体である。これらの混成像は壁画全体の1パーセントにも満たないが,怪しまれずに獲物に近づくために仮装したヒト,あるいはシャーマンであると解釈されることが多い。

認知考古学者のルイス=ウィリアムズは,トランス状態に陥ると,内在光の形象である幻視が見えるという神経生理学の研究を援用し,幻視の初期段階では幾何学的図形が見え,最終段階においては半人半獣などありえない存在が見えるため,洞窟壁画はトランス中の変性意識状態で見えたものが描かれた結果だと考える(Lewis-Williams, 2002)。このように,壁画に描かれる半人半獣像が想像ではなく幻視によるものだという説であるが,一つの仮説にすぎない。

先史学者ヴィアルーにとっては,当時の狩猟民には集団的な実体験に基づき,例えば英雄がバイソン,トナカイ,ヒトであったというような神話が存在していたため,半人半獣像が創造されたと考える(Vialou, 1987)。また,フランス・ロット県にあるペシュ=メルル洞窟には,オオツノジカ,アイベックス(野生ヤギ),ウマといった動物が混合した壁画が描かれている(図5)。先史学者ロールブランシェは,多くの岩面画があるオーストラリアの先住民の精霊ニジヘビをヒントに,混成動物の壁画は世界創造の神話を表していると考えている(Lorblanchet, 2016)。これらの仮説のように,半人半獣や混成動物が当時の神話に基づいて作り出されたとすると,実在しないものを想像して描いたことになる。

ペシュ=メルル洞窟(フランス,ロット 県)の混成動物像(全体的なシルエットはオオツ ノジカ,頭部はアイベックス,たてがみはウマ)。
図5 ペシュ=メルル洞窟(フランス,ロット県)の混成動物像(全体的なシルエットはオオツノジカ,頭部はアイベックス,たてがみはウマ)。1.3 メートル。およそ2 万5000 年前。Photo:M.Lorblanchet

おわりに

ラスコー洞窟では,壁画制作に人々が協力しながら労力を費やしていたようである(図1)。例えば,暗闇をランプで灯し,遠くから顔料を持ち込み,高いところに壁画を描くためには梯子をかけるなど,様々な工夫が必要であった。そんな洞窟の中で,自らの世界観や神話を反映させた壁画を描いたり,時には骨や牙を使った打楽器や笛を演奏したり,踊る人々もいたのかもしれない。

人類は,かたちを読み取り,伝えるという行為を発端として,積極的にかたちを作るようになり,様々な技術を伴い,美術造形表現が多様化・複雑化していったのではないだろうか。かたちを介したコミュニケーション能力を高めた人類は,ホモ・サピエンスが登場してからは神話を作り,実在しないものも想像するようになった。洞窟壁画は,具象的なかたち,幾何学的な図形,混成像が岩面上に構成された現存する最古の証といえよう。

文献

  • Collectif(1984) L’Art des Cavernes. Atlas des grottes ornées paléolithiques françaises. Ministère de la Culture. p.406.
  • Dart, R. A.(1974)The waterworn australopithecine pebble of many faces from Makapansgat. South African Journal of Science, 70 , 167-169.
  • Henshilwood, C. S. & Marean, C. W.(2003)The origin of modern human behavior. Current Anthropology,44 , 627-651.
  • 五十嵐ジャンヌ(2016)「5つのキーワードで知る洞窟壁画」海部陽介・五十嵐ジャンヌ・佐野勝宏『世界遺産ラスコー展』毎日新聞社・TBS テレビ,pp.90-102.
  • Joordens, J. C. et al.(2014)Homo erectus at Trinil on Java used shells for tool production and engraving. Nature, 518 , 228-231.
  • Lewis-Williams, D.(2002) The mind in the cave: Consciousness and the origins of art . Thames & Hudson.〔D. ルイス=ウィリアムズ/港千尋(訳)(2012)『洞窟のなかの心』講談社〕
  • Lorblanchet, M.(1999) La naissance de l’art. Genése de l’art préhistorique . Éditions Errance.
  • Lorblanchet, M.(2016)《Antilopes》 et serpent arcen-ciel. In Sacco, F. & Robert E.(eds.) L’origine des représentations: regards croisés sur l’art préhistorique . Ithaque. pp.51-55.
  • Luquet, G.-H.(1926) L’art et la religion des hommes fossiles . Masson.
  • Vialou, D.(1987) L’art des cavernes. Les sanctuaires de la Préhistoire . Le Rocher.

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