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心理学史諸国探訪【第2回】

サトウタツヤ
立命館大学総合心理学部教授。第2回目はインド。古くからの思想があるにもかかわらず,心理学において欧米の影響を受け続けているあり方は,意外にも日本と似ているかも。。。今回はインドの心理学者の写真を探すのが大変でした。

サトウタツヤ

インド

南アジアに位置するインド。インダス文明に遡る古い歴史を持つと同時に,現在では世界第二位の人口(12億人超)を誇る国。釈尊が悟りを開いたのは北インドで,仏教の母国でもある。国花は蓮。

インドには,近代心理学が流入する前から,人間の心に関する体系的な考え方が存在しており,心理についての固有な(indigenous)知的土壌は存在した。心身鍛練による解脱を目指す行法ヨガは現代においては宗教性を伴わない形でも広く実践されているとはいえ,心を対象化して実験を行うような近代心理学が生まれることはなかった。心を対象とした独立学問が生まれなかったのは日本や中国などアジアの国々に共通したことである。

そして,19世紀の初頭10年に一気に西洋の近代心理学が移植されることになった。まず1905年,カルカッタ大学の副学長・Sir Mukherjeeが心理学を博士課程の科目に取り入れシラバスも作られた。これは日本における心理学実験室設置が1903年だったことを考えると,大きな差は感じられない(ただし,この時,授業は行われなかった)。

1915年,カルカッタ大学のSen gupta(1889-1944)が実験心理学専攻の責任者となった。Sen guptaはハーバード大学でミュンスターバーグのもとで心理学を学んだ。ミュンスターバーグはヴントの弟子であるから,ヴント,キュルペ,エビングハウス,ジャストローの実験心理学がインドに取り入れられた。Sen guptaは1924年にインド心理学会を設立,翌年,『インド心理学研究』を創刊した。

その後,行動主義,ゲシュタルト,心理検査(ビネ式),精神分析も取り入れられた。行動主義,ゲシュタルトの影響が具体的研究に結びつかなかったのに対し,精神分析は極めてポピュラーになっていった。フロイトの著書『夢解釈』『日常の精神病理』などが広く読まれた。そして,Senguptaの後継者,Boseが1922年に精神分析学会を作り,国際精神分析学会の一員ともなり,専門的訓練の道をひらいた。

さて,インドは16世紀以降,帝国主義諸国の影響を受けて植民地化された。1858年以降はイギリス人が国王の地位についたこともあり,インド社会一般において,イギリスの大学の学位は影響力をもっていた。20世紀以降の心理学においては,ロンドン大学やケンブリッジ大学の心理学者,スピアマン,バート,バートレット,アイゼンクの影響を強く受けることになった。たとえば,イギリスで心理学を学びバートレットの教え子であったPrasadのインド大地震(1934)後のうわさに関する研究は,フェスティンガーの認知的不協和に影響を与えた。

1947年,イギリスからの独立を果たしたインドの初代首相はネルーであった。ネルーはユネスコに「インドにおける地方自治主義と社会的緊張の関係について」研究する者を派遣するように要請した。ユネスコが選んだのはアメリカの社会心理学者,マーフィーであった。1951年に6ヵ月間滞在したマーフィーはインドの社会的緊張について研究したのみならず多くの研究者の育成にも力を尽くした。研究報告は,ヒンズー教とイスラム教の間の緊張,カースト間の緊張,工業化や難民の問題など多岐にわたった。

マーフィーの他にもインドを訪れた心理学者たちは多い。インド独立前の1938年には,インド科学会議の一環としてユングやスピアマンが招かれた。ユングはフロイトの書に比べて自分の本が知られていないことにショックをうけたという逸話がある。1962年にはエリクソンが最初の滞在を果たし,インド独立の父・ガンディーにおける中年期の危機について考えを深め『ガンディーの危機』を出版した(1969)。

G. Bose(1886-1953)
G. Bose(1886-1953)
G. Murphy(1895-1979)
G. Murphy(1895-1979)

参考文献

  • Bhushan, B.(ed.)(2017)Eminent Indian psychologists-100 years of psychology in India. Sage

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