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こころの測り方

次世代の統計ツールJASP

東京大学大学院教育学研究科 博士後期課程

北條 大樹(ほうじょう だいき)

Profile─北條 大樹
日本学術振興会特別研究員(DC1)。専門は心理統計学・ベイズ統計学。プロフィールの詳細は,https://dastatis.github.io/index.htmlを参照。

心理学者にとって統計分析は最も苦痛で避けたい時間かもしれません。私も学部当初の実験レポートを書く際はこの心持ちでありました。しかし,統計学の正用は素晴らしい心理学研究を行ううえでの最低条件の一つであり,避けて通ることはできません。これを実現するためには,心理統計学に関する知識だけでなく,高度なプログラミング能力もしくはお金が必要です。今回のこころの測り方では,新しい統計ソフトJASPを紹介したのち,これが生まれた背景,現在の心理統計に関する諸問題について考えてみたいと思います。

JASPについて

図1 JASPの操作画面(t検定)
図1 JASPの操作画面(t検定)

近年,RやPythonを始めとする様々なプログラミング言語が登場し,高度な統計分析を無料で実行することが可能になりました。これらを使用するためには,研究時間を割くほどの習得時間を要します。一方で,これを避けるために,高度な統計分析を手軽に実行できる環境を整えると,パソコンが1台買えてしまうほど高価な商用ソフト(SPSS等)を購入する必要があります。しかしながら,その費用に対して高価なソフトが研究で使われる時間はほんの一瞬です。もちろん,高度な分析を手軽に実行可能なフリーソフトもあります。しかしながら,私の知る限り,その多くは心理統計分析に特化したものではないため,結局,使い方の習得に多くの時間を取られてしまいがちです。唯一,関西学院大学の清水裕士氏によって作成されたHADのみが心理統計に特化しており,この上なく便利ですが,あくまでエクセルで作られているため,計算に時間がかかることや,Macでは一部機能が制限されてしまうといった弱点もあります。そんな中,近年,心理統計分析に特化したJASPと呼ばれるソフトが開発されました(図1)。

JASPは,フリー,フレンドリー,フレキシブルをテーマに開発された統計分析ソフトです。フリーは,その名の通り完全無料であることをさし,フレンドリーは,マウスで(GUIで)直感的かつ簡単に分析できることを表しています。そして,フレキシブルはユーザーの目的に応じて,頻度論に準じた分析とベイズ統計に準じた分析を分析者が選択可能であることを表しています。また,JASPは,OSを問わず使用可能で,最近では,Webブラウザ上で操作可能なアプリも登場しました。そのため,ユーザーのパソコン性能に依存することなく動作可能です。さらに,分析部分の多くはRで動いており,オープンコードなので,中身を確認することも可能です。現在,Rコードを生成する機能はありませんが,今後追加を検討しているとのことです。

JASPでは,t検定,分散分析,χ2検定,回帰分析といった心理学で多用される統計分析はもちろん,主成分分析,因子分析,SEMなどの多変量分析にも対応しています。因子分析と主成分分析では,簡易的なパス図を描くことも可能です。そして,ノンパラメトリック検定,階層線形モデル,メタ分析やネットワーク分析といった高度な統計分析も簡単なマウス操作で実行可能です。さらに,これらの統計分析の多くはベイズ統計の枠組みでも実行可能です。JASPでは,通常の分析とベイズの分析結果が同様のフォーマットで出力されますので,これらを見比べることでベイズの肌感覚をつかむことができます。この点は,これまでベイズへの興味はあったが,手を出せなかった方々に特にお勧めです。

JASPの利点の一つは,結果の可視化にもあります。SPSSやRで分析を行った際に,最終的にエクセルで結果をまとめる,もしくは細かいオプションを指定したコードを書く必要がありました。しかし,JASPでは,結果の図表が全てAPA形式で作成されます。このため,APAの論文作成では,無駄な手間なく,論文に貼りつけることが可能です。そして,JASPは通常の画像形式に加え,texに対応した画像形式で保存することも可能です。

また,JASPには,データの簡単なフィルター機能や前処理機能もついています。Rで行うほど高度な前処理は無理ですが,反応時間X秒以上をカットする,逆転項目処理を行って分析することはJASP上で簡単に実行可能です。そのほかにも研究の再現性を高めるためOpen Science Frameworkとの連係機能もあります。

JASPの狙い

このソフトはアムステルダム大学のワーゲンメーカー(Eric-Jan Wagenmakers)らによって製作されました。彼は,通称「コワい本」として有名なBayesian Cognitive Modelingの著者の一人であり,当該領域の最先端で研究しています。さらに,心理統計教育や心理学再現性といった話題にも関心がある研究者です。では,なぜベイズ統計モデリングを主に研究している彼らのチームが従来の帰無仮説検定主義に基づく統計分析ソフトを製作し,そこにベイズ的検定を導入したのでしょうか?

これまでの心理学研究の多くは帰無仮説検定に頼りすぎていました。もちろん,帰無仮説検定が悪いわけではありません。しかし,帰無仮説検定は多数ある方法論の一つでしかなく,容易に仮説のYes/Noを決定できる枠組みではありません。それにもかかわらず,心理学者は帰無仮説検定をYes/Noを決定できる唯一の方法だと言わんばかりにその枠組みに合わせた実験,調査設計を行うようになりました。その結果,心理学研究の多くが帰無仮説検定を目指す研究になってしまったのです。

一方,ワーゲンメーカーらのチームは,より自然な実験,調査環境で得られた心理学現象をデータに基づいて説明していく統計モデリングを研究法として推奨しています。つまり,従来の検定や分析の型に合わせた研究法から脱却し,調査や実験を通して得られたデータの構造や副次的に得られるデータを吟味することを重視します。そのうえで,適切な仮定に基づく分析を推奨しています。しかし,実際にこれを行うには分析者の考え方を大きく変える必要があり,ハードルは決して低くありません。そこで,彼らは従来の検定とベイズ的検定が同時に実行可能なソフトを製作し,心理学者のベイズへのハードルを下げたのです。それがJASPです。もちろんJASPのベイズ的検定のみでは仮説のYes/Noを決定することはできません。しかし,少なくともベイズ的検定のほうが従来よりも簡単かつ柔軟に仮説を検討することができます。

JASPが拓く心理学研究

私は,JASPが将来の心理学研究における統計の質,ないしは研究の質を向上させてくれると考えています。上述のように,心理学者はJASPで従来の帰無仮説検定を簡単に実行できます。まずは,その便利さを十分に実感してみてください。もしベイズ的検定に触れたければ,従来法と比較して実行してみてください。比較することでベイズ的検定の柔軟性や良さに気づいていただけると思います。そして,検定の枠組みを超えて,統計モデリングを行いたいと感じるならば,ぜひともR等でベイズ統計モデリングに挑戦してみてください。統計モデリングには,ベイズの知識と統計モデリングの基本的な考え方を知る必要があります。しかし,前者のベイズについてはJASPを触れたことで抵抗なく踏み込めると思います。あとは,研究者の想像力が統計モデリングを豊かにしてくれます。したがって,JASPは,帰無仮説検定からベイズ的検定へ,ベイズ的検定からベイズ統計モデリングへの案内役として最適なのです。

実際にJASPを触った研究者,学生の話をしたいと思います。私は,今年度の日本心理学会にてJASPのチュートリアルワークショップを行いました。参加者は,院生から統計を学生に教える研究者まで様々でした。短い時間でしたが,JASPの基本操作から各分析の実行法について説明しました。ワークショップ終了後,参加者から「便利で使いやすい」,「結果が見やすい」,「学生指導にぜひ使用したい」といった感想を頂きました。これを聞き,改めてJASPが良いツールであることを実感しました。その際の資料が以下にございますので,よろしければご覧ください(https://osf.io/2wfrj/)。

最後に,複雑な分析手法が多数提案され,めまぐるしく変動する近年の心理学研究において,心理学部もしくは心理に関わる部署に本当に必要なのは,高価な統計ソフトではなく,統計手法を適切に扱うことのできる心理統計学者だと私は考えています。そして,このような場面でJASPは心理学研究の質をさらに向上させる次世代の統計ツールになると思います。Enjoy!

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