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【特集】

保育実践と発達心理学 ─相互の学びあいに向けて

木下 孝司
神戸大学大学院人間発達環境学研究科 教授

木下 孝司(きのした たかし)

Profile─木下 孝司
京都大学大学院教育学研究科博士後期課程学修認定退学。博士(教育学)。静岡大学教育学部助教授等を経て,現職。専門は発達心理学。著書は『乳幼児期における自己と「心の理解」の発達』(ナカニシヤ出版),『「気になる子」が変わるとき:困難をかかえる子どもの発達と保育』(かもがわ出版),『子どもの心的世界のゆらぎと発達:表象発達をめぐる不思議』(共編著,ミネルヴァ書房),『心の理論:第2世代の研究へ』(分担執筆,新曜社)など。

「だめだよ!おじさんにさせないと」

ある保育園で,子どもたちがカラーテープを三つ編みにして縄跳びの縄を作っていた。私も見よう見まねでやったのだが,無惨な状態。見かねた4歳児のユウが「教えてあげる」とやってきて,私のもっているテープを指さしつつ「こことここ,こっちやって」などと教えようとする。ただ,この不器用なおじさんにわかりやすく教えるのは至難の業だったようで,とうとう「やってあげる」と,テープを私から奪い取った。そのときのこと,この様子を見ていた5歳児のシュウが一言。

「だめだよ!おじさんにさせないと。自分でやらないとうまくならないよ」(そのとおり!おっしゃるとおり!)

シュウは私の横に座り,一つひとつの工程を区切って手本を示しながら教えてくれた。適当なところで,「じゃあ,あとはおじさん一人でやりな」と言って立ち去ったが,要所要所では黙って様子を見に来てくれた。

学生時代のアルバイト以来,保育現場ではこんな素敵な体験をさせていただいている。私にとって大事な場である。保育園でコミュニケーションや自他理解の発達研究を進め,保育園・幼稚園・療育施設において支援の難しい事例を保育者の方といっしょに考えるということを細々と続けてきている。その際,心理学の知見を実践に直接持ち込むことには慎重な姿勢でいる。二つの異なる専門領域が協働するためには,自身のできることとできないことを自覚しておく必要があり,そのことで相互に学びあえるものが増えるだろう。

心理学ワールドの輝かしい流れに乗りきれず,さりとて心理学を「卒業」できないでいる私自身が,保育実践から学んできたことをまずは振り返ってみたい。

知りたいのは「サリー」のことか?

保育に限ったことではないが,実践は複数の人がさまざまな社会−文化的な文脈のもとになされるものであり,諸要因が複雑に絡み合って成立している。要因統制を行い仮説検証的な研究スタイルから出発した私にとって,保育実践は考えるべき問題を投げかけてくる存在である。ある種の視野狭窄を矯正し,本当に光を当てるべきものは何かを教えてくれるものでもある。一つの研究テーマから具体的にみてみる。

「心の理論」は,この40年,発達心理学の主要テーマであり続けている。そして,「心の理論」といえば,サリー・アン課題に代表される誤信念課題で測定されるのが通例となっている。一つの事態について,自己と他者が異なる信念をもっていることを理解できているかどうかに着眼したのは,先人の大きな功績であったし,ある機能や能力を想定して,それを測定する方法を考案するのは心理学研究の王道である。

ただ,保育実践において話題になるのは,会ったことも見たこともない「サリー」のことではなく,大好きな保護者,先生やクラスの友だちとの出来事である。気になる友だちをいっしょに遊ぼうと誘ったのに,「イヤ」と言われたとか,友だちの手助けをありがた迷惑に感じて思わず拒絶したとか,子どもの日常生活ではさまざまなドラマが起こっている。保育者のお話や記録には,それぞれが独自の持ち味を有した子ども同士の世界が満載されている。

「そんなこともあるんだよね」

ある幼稚園でのお昼時,午前中にたっぷり遊んだ後のこと。それぞれのグループごとに配膳して昼食を食べているのに,一つのグループだけ用意ができていない。当番のフウヤが疲れたからやりたくないと,机に伏せたままでいたのだ。先生が友だちが困っていることを伝えて促すのだが,いっこうに動こうとしない。そんなやりとりを聞いて,別の女の子がぽつりと言ったのが,「そんなこともあるんだよね」。その声をきっかけに,同じグループのユウキが準備を始め,フウヤは自分から約束した次の日は張り切って当番をしたのだった。

(岡村・金田,2002)

私たちは,いつも合理的に判断できないし,いつでもがんばることはできない。この女児は,そんな厄介さや弱さを含めて人間を理解しつつある。ある意味"誇大広告"ではなく,「心」の理論というならば,こんな心持ちの理解まで及びたいところである。そこで,日常の一コマから,相互主観的なやりとりを拾うのは,有力なアプローチとなろう。あるいは,実験的方法を踏襲するとしても,心の移ろいゆく性質に焦点を当てる(木下,2008)のは有意義であると考える。

研究の単位の拡張から気づくこと

保育は,さまざまな活動から成り立っている。保育実践に即するならば,活動そのものが研究対象となり,自ずと研究の単位を拡張することになる。たとえば,冒頭で紹介した,教える行為もその一つである。子どもはおとなから教えられる存在としてみなされがちであるが,保育場面で出会う子どもたちは,実に教えたがりである。

この間,ヒトの教示行為は累進的な文化進化を推進するものとして,比較認知科学や行動遺伝学から関心が寄せられている(安藤,2018)。発達研究では,教えるためには他者の知識状態を理解する必要があるとして,もっぱら「心の理論」との関連が注目されてきている。そして,実際の研究では,ボードゲームのルールといった言語的に伝達される知識が題材となっている。確かに,言葉を使って何らかの知識を伝達するのは「教える」ことの典型例のように見える。しかしながら,こうした実験的場面は日常の保育場面と距離がある。

そこで,ある保育園において,年中児と年長児のクラスを観察して,子ども同士の教示行為エピソードを収集して,次のようなことがクリアになった(木下・久保,2010)。一つに,誰が教えるきっかけとなったのかを見てみると,教える側の子どもが「教えてあげようか」と申し出るエピソードが圧倒的に多かった。従来の研究では,研究者の「教示」によって子どもは教示を求められているのだが,あらためて教えたがる幼児の事実が明らかになった。

二つ目に,子どもが教える内容は手続き的知識に関わるものであり,その中でも跳び箱などの身体運動や,折り紙などの製作活動が多く,いずれもが言語的には伝えにくい技能を含むものであった。冒頭のエピソードのような,三つ編みの仕方など「技」の習得において,言葉による教示よりは,自分のしていることに注目させて観察学習を求めること(木下,2015)や,あえて直接教えないことも有効な方法となる。文化人類学によれば,教育行動が観察されない社会があることが知られているが,その社会で価値づけられた活動の特性によって,伝達の方法と経路が異なるのではないだろうか。活動の特性に注目することで,文化差の内実をさらに具体的にとらえられるだろう。

異国の地に赴くのと同じように,保育現場に行くことで,等閑視されてきた問題に気づくことができる。教示というと,近代的な学校教育の教授をモデルとし,さらにその前提として,「心の理論」研究は,他者理解を,表象としての心の理解に還元する表象主義に陥っている。私自身の場合でいえば,こうしたことについて考える契機を保育実践から与えてもらった。

保育現場にご縁のある者として

写真1 土を触る

発達科学部のゼミの出身者には,幼稚園教員や保育士(保育士資格は試験にて取得)として活躍している方々が細々とだが続いてきた。また,大学院修了者は発達研究を進めつつ,幼稚園教員養成や保育士養成に携わっている。そこに発達相談員として働く卒業者も交えて,子どもに関わるいろいろな話をしながら,発達研究の議論もできる環境に感謝している。

大学の教育では,子どもの姿に驚き,面白がる目のつけどころが少しでも伝わればと願っている。そうした教育での貢献に加えて,編集委員会から頂戴したテーマ「保育に対して心理学が貢献できること」について,まだ自分にはできていないことも含めて,述べてみたい。

知り合いの民間保育園の園長さんと顔を合わせると,保育士不足の話題となる。保育士資格を持ちながら,保育園等で働いていない潜在保育士は70万人以上いるという。その理由として,賃金の低さや休暇などの労働条件の悪さがあることは,多くの人に知られるところとなりつつある(図1)。キャリアアップ研修による給与改善も進められようとしているが,その制度設計には課題もあるようである。また,「幼児教育・保育の無償化」に関わって,保育の質をあげるために保育士の待遇改善も必ずセットで,という関係者の声は大きい。

自戒を込めていえば,心理学者は「心のありよう」や「心がけ」に集約される心理主義に流れやすい。「心がけ」だけでは変わらないものがあるし,数々の「心がけ」が保育者を追い詰めてしまうこともある。保育者が安定した生活ができ,安心して悩みながら実践できるための条件づくりに,それぞれの立場から発言・関与することは,「心理学者として」と言う以前に,保育現場にご縁のある者として考えたいことである。そして,大学で子どもの発達をともに学んだ人たちに,保育の仕事を長く続けて欲しい。

また,保育の責任の重さや事故への不安が,保育という仕事に向かいにくくしていることも看過できない。待機児解消の名目で,保育の基準が緩和され,保育士の配置や保育室の面積などの基準は切り下げられて,保育士の負担は増している。「叱らない」保育をしたいと思いながらも,安全面の配慮から,禁止や制約の保育をせざるを得ないという切実な訴えを聞くこともある。

そのような中,とりわけ認可外保育施設において乳幼児の死亡事故が後を絶たない。事案によっては,「乳幼児突然死症候群のため予見不可能」として,施設サイドの注意義務違反が法的に問われないものもあった。それに対して,真実を知りたいという遺族が,子どもの命をないがしろにする劣悪な保育条件の改善を求める関係者の支援のもとに裁判を起こし,施設の責任を明らかにしている。それは施設の法的責任を問うだけに留まらず,子ども,保護者,保育者が安心して過ごせる保育を築いていくための礎となっている。

その過程において,発達心理学のチーム(平沼博将氏(大阪電気通信大学),服部敬子氏(京都府立大学),田中真介氏(京都大学))がうつぶせ寝の危険性について,遺族を中心とする「赤ちゃんの急死を考える会」が作成した動画を発達的視点から解析することで研究的な支援を行っている。それによると,首が十分にすわっている4〜5ヵ月児であっても,うつぶせ姿勢でいったん頭が下がると数分でface downの状態に陥り,窒息のリスクが高いことなどを明らかにしている(平沼,2016)。保護者を支えながら,保育の条件を良くする取り組みも進め,発達心理学が保育実践に貢献をしている好例だといえる。

子どもが愛おしくなる発達論

厳しい労働環境にあっても,保育にやりがいを感じて実践している保育者は多い。その原動力の一つは,子どもを愛おしく思う気持ちであり,子どもの発達への感動であろう。ただ,実践がうまくいかず,ネガティブな子ども理解に陥ることもある。その際,私なりに,交通整理的な役割が果たせればと考えている。たとえば,保育で「気になる子」を考える際,①困った行動が起こる場面とそうでない場面を,複数の目で確認して話し合いをすること,②子どもとの関わり方といった関係論だけではなく,遊びや日課のあり方といった活動論からとらえて,問題を子どもの内的要因にのみ帰属させないことなどに留意している(木下,2018)。

発達心理学の立場から,保育者(学生も含めて)がよりいっそう子どもを愛おしく思う契機を作ることができればと願っている。ただ,それも道半ばであり,そのための私自身の課題は二つある。一つは,子どもの姿や発達を語る言葉を豊かにすることである。たとえば,「表象」は乳幼児期の発達を考える上で重要概念の一つであるが,1歳児が表象発生によって「思い当たる」ものに気づいて,感動とともにそれを命名する姿と結びつけて説明することができる。故・神田英雄氏は,保育実践を丹念に読み解き,発達研究の成果と結びつけながら,子どもと保育者が織りなす「ドラマ」を描いている(神田,2013等)。こうした神田氏の仕事に学び,子どもの発達を語る言葉を鍛えていきたい。

二つ目の課題は,発達論の再吟味である。精緻な実験や脳研究が進展したとはいえ,新しい自分を自らつくり出していく発達のメカニズムについてわかっていないことが多い。特に,保育・教育との関係で確認していきたいのは,次のことである。「今持てる力を発揮して,今の諸活動(生活)を充実させることが,大人には逸脱や脱線に見える行動となって現れることがあったとしても,結果的に,かけがえのない自分を築いていくことにつながる」。このことは個々の研究で実証するのは難しく,多くの研究を束ねて方向づける人間観・発達観と言ったほうがいいかもしれない。「今」の充実と子どもの発達については,幼児教育の先人が大切にしてきたことと重なると思われる。

経済効率原則が保育や教育にも浸透してきて,子どもの発達や実践をとらえる単位が短くなっている今日だからこそ,発達論の再吟味をすることは,保育者が安心して試行錯誤しながら実践できるために必要なことだろう。

文献

  • 安藤寿康(2018)『なぜヒトは学ぶのか:教育を生物学的に考える』講談社
  • 平沼博将(2016)「うつぶせ寝」の危険性と保育事故をなくす取り組み 平沼博将他(編)『子どもの命を守るために:保育事故裁判から保育を問い直す』クリエイツかもがわ
  • 神田英雄(2013)『0歳から3歳:保育・子育てと発達研究をむすぶ〈乳児編〉』ちいさいなかま社
  • 木下孝司(2008)『乳幼児期における自己と「心の理解」の発達』ナカニシヤ出版
  • 木下孝司・久保加奈(2010)幼児期における教示行為の発達:日常保育場面の観察による検討 心理科学,31,1-22.
  • 木下孝司(2015)幼児期における教示行為の発達:学習者の熟達を意図した教え方に注目して 発達心理学研究,26,248-257.
  • 木下孝司(2018)『「気になる子」が変わるとき:困難をかかえる子どもの発達と保育』かもがわ出版
  • 岡村由紀子・金田利子(2002)『4歳児の自我形成と保育:あおぞらキンダーガーデン・そらぐみの一年』ひとなる書房

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