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バンクーバーでの邂逅

野村 信威
明治学院大学心理学部 准教授

野村 信威(のむら のぶたけ)

Profile─野村 信威
同志社大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(心理学)。大阪人間科学大学助教,明治学院大学心理学部専任講師を経て現職。専門は生涯発達心理学,高齢者心理学,質的心理学。著書は『よくわかる高齢者心理学』(分担執筆,ミネルヴァ書房),『質問紙調査と心理測定尺度』(分担執筆,サイエンス社)など。

2017年4月から1年間カナダのバンクーバーで在外研究を行う貴重な機会を得ました。受け入れ先はランガラカレッジというコミュニティカレッジで,私の専門領域である高齢者の回想研究では有名なジェフリー・ウェブスター(Jeffrey Webster)先生が籍を置いています。

在外研究ではカナダに住むお年寄りから直接英語で思い出話を伺い,日本の高齢者の回想の語りとの文化的差異を検討したいと考えました。これまで海外の文献で述べられていることと自分自身が高齢者の語りに触れて体験したことの間にあるズレのようなものを,直接英語で語られる回想に耳を傾けることで少しでも埋めたいと考えたのです。

慣れない異国の土地でフィールド研究を行うことには,日本にいる時には予想もしなかったような障害や苦労がありましたが,ここでは紙幅の都合から割愛します。ウェブスター先生からの貴重なアドバイスや励ましのお陰もあり,結果として人種や民族的背景も多様な20名近いお年寄りに個人回想法による面接を行うことができました。その結果はいずれ論文にまとめて報告したいと考えています。

この取り組みを通じてさまざまな貴重な出会いを経験することができました。ここでは私が出会ったDさんという女性を紹介したいと思います。Dさんは前述した研究の参加者ではなく,私がバンクーバー滞在中にボランティアとして定期的に訪問していたナーシングホームの住人でした。私が訪問していた相手は基本的に日系カナダ人の高齢者でしたが(日本から帰化した高齢者の中には認知機能が低下すると英語で話しかけられても返事をすることが難しくなることがあり,母国語話者による訪問ボランティアのニーズがあるのです),彼女は以前はジャーナリズムの領域で活躍してきた研究者であり,施設の方が紹介してくれたのです。

Dさんはイギリス系カナダ人の90歳代の穏やかな物腰の女性で,一つひとつの言葉をとてもゆっくりと話す方でした。私は自分が日本から来た研究者で高齢者の回想を聞き取る研究に取り組んでいることを伝えて「思い出話を聞かせてほしい」と依頼すると,彼女は週に1回訪問して私と話をすることに同意してくれました。また彼女は自ら書き記した『あなたに話していないこと』というタイトルの自叙伝を私に貸してくれました。それ以降,その自叙伝を読み進めながら私は彼女の思い出話を聴かせてもらうために彼女を訪問しました。

あるときは彼女の少女時代の親友の住まいであり,現在では歴史的建築物として保存されている邸宅を本人の代わりに訪問し,その写真を撮影してプレゼントすると彼女はとても喜んでくれました。また若くして亡くなった彼女の妹について私が質問したときには,彼女はそれには答えずただにっこりと微笑みました。その時の悲しそうにも過去を懐かしむようにも見える彼女の笑顔は今でも忘れられません。

10月になり私の研究が本格的になると施設に頻繁に訪問することが難しくなり,私は訪問のキャンセルを依頼する連絡を何度か行いました。11月になり,ようやく訪問する時間を作れたのでその了解をもとめるメールを送ると,ほどなく彼女の息子さんからの返信を受け取りました。そして何でもない風邪をこじらせて数日前にDさんが亡くなったこと,本人の希望で葬儀は行わず,遺灰は山間部の小さな湖に散骨されたことを知りました。これまで研究を通して大勢のお年寄りの方とお会いしてきたとはいえ,この知らせはとても衝撃的で,私は彼女の訪問のキャンセルを重ねたことを後悔しました。Dさんの回想は途中までしか伺えませんでしたが,(息子さんの計らいで)彼女の自叙伝のPDFは今でも私の手元にあります。私はときどきその自叙伝を眺めて彼女が話してくれた思い出について思い巡らせます。

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