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【特集】

【教育領域】子どもの心理臨床と公認心理師

藤原 真一
公立教育相談センター 相談員

藤原 真一(ふじわら しんいち)

Profile─藤原 真一
専門は臨床心理学。公立学校でのスクールカウンセラーも兼任。大学院修了後,臨床心理士として教育領域での心理臨床に従事。不定期で企業の人事関連のアセスメントも行っている。公認心理師はGルートで受験。

まず教育臨床の分野に入った経緯から書くことにしよう。

大学院を卒業してから現在に至るまでこのフィールドにいる。子どもの臨床にことさら惹かれてというわけでも,不本意ながら……というわけでもなく,成り行き,たまたま,偶然である。偶然と言っても運命的な色彩はかなり乏しく,いくつかの出会いには恵まれたが現在まで至る道のりは大方散文的なものであった。

次にこの分野について簡単に紹介する。対象の多くは18歳くらいまでの子どもとその保護者である。主訴は一貫して不登校が最も多い。学業不振や落ち着きのなさ,発達上の問題,育てにくさ,情緒の問題などの他の主訴もあるが,不登校にはそれらの主訴の終着駅といった側面もあるように思う。業務の主な内容はアセスメントと面接,それに連携である。

アセスメントでは知能検査の要求が年々増えてきている。この傾向は当面弱まるようには思えない。知能検査の価値は否むべくもないが,Wechslerが言うようにあくまでも知能はパーソナリティの一部であるからできるだけその子の全体像が反映されるようなアセスメントをと心がけている(経済性の面で限界はあるけれども)。

子どもの臨床の特徴は相手が子どもだということだ。彼らとの面接の媒体は言葉であったり遊びであったり,大概の場合はその両方である。子どもたちは常に若いので,彼らを相手にする臨床家は子どもの心性を保ち続け易い(childlikenessだけではなく,childishnessも含まれてしまうのは残念であるが仕方ない)。他方で彼我の年齢差は開くばかりなので老いを意識することもまた多い。もちろん哀しくはあるのだけれど,容易に統合されないこの矛盾はなかなか面白い。子どもの臨床の魅力のひとつだろう。

連携は特に教員とのものが多い。次が福祉職である。同じ対象(子ども)に関わる職種とはいえ,捉え方やアプローチは違う。そのため異業種とのやり取りには幾分芝居っ気が必要になる。しかしこれがどうも難しい。場数はそれなりに踏んだはずなのだが舞台慣れには程遠い。言葉を発するといかにもセリフ然としてしまうか縺れてしまうことが多い。以前よりはややましになったが,思わぬ失策行為にしてやられることはちらほらある。

さて,ここからは公認心理師に期待することを書く。

長年,臨床心理士として働いてきたが,そこで求められてきたことと公認心理師として求められることとの間に大きな違いがあるようには思えない。もちろん待遇等で良い方向に転がることは希望しているが,世の中の人々が心理の人間に期待すること,そしてその期待の程度はこれまでこの仕事に携わってきた人たちに向けられたものと大きくは変わらないだろう。

ではそうした期待に応えるために必要なことはなんだろうか。自分ならどんな心理にみてもらいたいかと自問するとそれは明確になる。弱っている時に望んでいるのは安心と希望を与えてくれることであり,それをあてにできる善意である。この原稿で求められているのは感傷を排した,専門家としての意見だとは思うし,善意だけでは不十分であることは重々承知している。しかし,種々の思想や技法,診断名の消長を想うと,まずはより確実なものを強調せざるを得ないのである。幸い,これまで見てきた幾人もの同業者は,相当量の善意の持ち主であった。生きていく上でも,またこの仕事を続けていく上でも必要となる信頼感を得ることができたのである。

善意の次に来るのは現実感覚である。生活知や人間知とも言える。教養と言っても大きく外れないとは思うが,洗練された上質な部類の常識と言ったほうがしっくりくる(私見だが善意よりも現実感覚のほうが希少である)。心理の人間として「常識」や「生活」,その他それに類する言葉が持つ無神経さや権力性,抑圧性にはセンシティブでなければいけないとは思うが,クライアントの利益を考える時にそれらを抜きに考えることはできないのである。

専門性と言ってまず連想される学知はこれらの基盤に立たなければ無力である。これは資格の名称が何であれ変わらない。

残念なのは善意にせよ,現実感覚にせよ,制度化されたプログラムによる育成にはなじみにくいということだ。他方で経験と年齢を重ねることでおのずと身につくものでもない。現在のところ,見出した答えはそれぞれその都度のものと心得,自己との対話を続けていくことのほか道は思いつかない。

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