この人をたずねて
清水 裕士 氏(しみず ひろし)
Profile─清水 裕士 氏
2008年,大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。広島大学大学院総合科学研究科助教,関西学院大学社会学部准教授を経て,2018年より現職。専門は社会心理学。著書は『個人と集団のマルチレベル分析』(ナカニシヤ出版),『社会心理学のための統計学』(共著,誠信書房)など。
清水先生へのインタビュー
─先生の研究テーマについて教えてください。
社会の中で人々が価値や信念を共有するメカニズムに興味があります。大学院生の頃は恋愛関係や友人関係のような親密な対人関係における利他性の信念について研究をしていました。現在は,不平等な分配は望ましくないという価値観が成立する理由や,人々が右・左といった政治的イデオロギーを持つメカニズムなどについて研究しています。またこれらのテーマについて,数理・統計モデリング的なアプローチで研究するのが最近の関心です。
─先生が統計学に関心を持たれたきっかけを教えてください。
もともと数学は好きでしたが,計算間違いが多くてあまり得意ではありませんでした。実際,高校時代は文系で,学部も社会学部を選びました。ただ,数学や物理学が好きだったので,文系の中で理系的なことをしたいと思って社会心理学を選びました。社会心理学のゼミに入ってから,当時大学院生だった小杉考司さん(現・専修大学教授)から因子分析を人間関係分析に応用するという考えを聞いて影響を受けたのも大きいです。同世代で一番になれるものを伸ばせという小杉さんの言葉を真に受けて,因子分析や線形代数の勉強を始めました。素直な子だったので(笑)。その後,大学院で恋愛関係について研究しているときにマルチレベル分析と出会いました。マルチレベル分析ではペアが共有している分散を推定するのですが,これが因子分析と対人関係を結びつけるモデルであることに気づき,「これしかない」と感じました。マルチレベル分析について勉強する過程でいろいろな文献を読んでいるうちに統計に強くなり,今に至ります。個人的には,単に統計が好きというよりは,学問的な関心を数理的に表現するのに役立ったという印象です。
─清水先生はフリーの統計分析プログラムのHADを配布されていることでも有名ですが,HADを開発された経緯について教えてください。
大学院生のときに,マルチレベル分析を実行するためのデータの下処理(相関や平均値の計算,欠損値処理など)をするマクロを書いたのがHADの始まりです。その後,メルボルン大学に留学していたときに階層的重回帰分析のプログラムを書いてみたくなって,やってみたら意外とウケが良くて。それから広島大学に赴任して,院生に「分散分析もできないか」と言われたことをきっかけに分散分析の機能も追加しました。こんな感じで,自分の統計の勉強も兼ねてどんどん機能を追加していくうちに今のような形になりました。よく「車輪の再発見」だとかも言われましたけど,僕にとっては成長につながったので良かったと思っています。もともとマルチレベル分析の下処理のためのプログラムだったのに,最終的にはHADだけでマルチレベル分析ができるようになったというところが僕にとって結構エモいところです(笑)
─それはエモいですね! ところで,HADって何の略ですか?
諸説あります(笑)
─統計モデリングは心理学研究にどのように利用できますか?
因果効果があることが実験的に示されている現象のモデリングが一番やりやすいと思います。例えば遅延価値割引や,武藤さんがやっている心的回転あたりは好例ですね。主効果が出て終わり,というのが今までの実験心理学でしたが,その効果の背後にあるメカニズムを数学的に考えるのがモデリングです。ただし,モデリングだけでは重要な変数を見落としてしまったり,疑似相関の可能性が常にあります。そこで,モデリングで見出されたパラメータを実験的に操作したときに実際の行動が変化することを確かめるための新たな実験が必要となります。このように実験とモデリングを交互に繰り返すことで,詳細なメカニズムの探究と再現性の担保の両方を少しずつ実現できると考えています。複雑な実験計画を立てるよりも,シンプルな因果効果のメカニズムの詳細を明らかにしたほうが,他の社会科学者からの理解も得られやすくなると思います。
─これから統計学や統計モデリングをきちんと学びたい心理学者へのアドバイスをお願いします。
統計学を勉強するのはすごく大事なことです。最初は従来の心理統計の勉強から始めても問題ないと思います。その蓄積がその後のモデルの勉強につながります。最初の目標としては一般化線形混合モデル(generalized linear mixed model:GLMM)を勉強するのが良いと思います。加えて,モデリングをやりたい人は,まずは数学の基礎(とくに対数と指数)から勉強するのが大事です。これが今の心理学者にとっての大きな壁だと思っていて,ここを乗り越えると世界が広がります。あとは線形代数も重要ですね。
─研究が楽しいと感じるのはどのようなときですか?
筋の通ったロジックを思いついたときや,謎が解けるような仮説が浮かんだときですかね。統計モデリングや方法論で遊んでいて,ふと今まで解けなかった問題に使えることが分かると楽しくなります。例えば,潜在ランク理論で遊んでいて分布推定のアイディアが浮かんだり,遅延価値割引の考え方が不平等の研究にも使えることに気づいたり。いろいろな方法論の蓄積は,たとえるなら地面を掘るような感じで,この場所は固いなと思っても,別のところから掘れば,あるいは別の道具を使えば,意外に簡単に掘れることに気づくことがあります。「この道具を使えば掘れるかも」と気づいたときには興奮します。
─最後に,若手研究者へのメッセージをお願いします。
一つのテーマだけを追究して難問をごりごり掘っていけるのはほんの一握りの天才(生まれながらにレベル99の人)だけな気がします。凡人にできるのは,いろいろなことをやりながら自分のレベルを上げて,難しいダンジョンに挑む前に今攻略できるダンジョンで経験値を稼いで武器を集めながら進んでいくことです。そういう意味でも,若いうちから方法論や数学,(僕は苦手ですが)英語といった広い意味での共通言語を勉強しておくことはすごく大事だと思います。
インタビュアーの紹介
インタビューを終えて
私が初めて清水先生とお会いしたのは,2015年の夏に行われた,Bayesian cognitive modeling: A practical course(Cambridge University Press)の読書会に参加したときでした。自己紹介の際に清水先生から「好きな確率分布は?」と尋ねられたのをよく覚えています。その後,ベイズモデリングに関するワークショップや書籍『たのしいベイズモデリング』(北大路書房)の執筆など,一緒にお仕事をさせていただく機会が何度かありました。
私自身,数理モデルや統計学にはもともと強い関心を持っていたため,様々な統計手法や数理的なアプローチを取り入れながら心理学の研究をされている清水先生はまさに憧れの存在でした。今回のインタビューを通じて清水先生に語っていただいた研究哲学は,私自身の今後の道しるべでもあるように思います。
現在の研究テーマ
私は,人の空間的思考を支える認知メカニズムの解明を目指して研究を行っています。例えば,目の前に存在する物体が回転するところを想像する認知過程(物体の心的回転)や,自分とは異なる視点から見た物の見え方を想像する認知過程(視空間的視点取得)などについて,主に実験による検証を行っています。研究成果の一つとして,人がある種の視空間的視点取得を行うときに,取得する視点の位置まで自分自身の身体を移動させるような運動シミュレーションを実行していることを示す証拠を得ることに成功しています。また,空間的思考や記憶などを含む認知機能の加齢変化のメカニズムや機能を明らかにするために,高齢者を対象としたフィールド調査にも携わっています。
最近は,統計モデリングを用いた様々な認知過程の数理表現にも関心を持っています。先に述べた空間的思考に関する実験的研究や認知加齢の研究にも統計モデリングの手法を取り入れて様々な検証を行っています。
Profile─むとう ひろゆき
日本学術振興会特別研究員PD(立命館大学OIC総合研究機構)。2019年3月,大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。専門は知覚心理学,認知心理学。論文はSpatial perspective taking mediated by whole-body motor simulation(共著,J Exp Psychol Hum Percept Perform)など。
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