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Over Seas

ボーフム滞在の回想

松井 大
日本学術振興会 特別研究員(北海道大学 人間知・脳・AI研究教育センター)

松井 大(まつい ひろし)

Profile─松井 大
博士(心理学)。専門は比較認知科学,神経科学。日本学術振興会海外特別研究員(ルール大学ボーフム)を経て2021年より現職。主要論文にMatsui, H. & Izawa, E. I. (2019). Rapid adjustment of pecking trajectory to prism-induced visual shifts in crows as compared with pigeons. Journal of Experimental Biology, 222(4).

私は2019年から2年弱,ルール大学ボーフムに滞在しました。ボーフムは北西ドイツの地方都市です。特急列車は止まってくれるけど,大学の他にめぼしい施設はドイツ炭鉱博物館くらいで,大学の周りは深い森に囲まれている,そんな街です。私は,博士2年生のときにルール大学のオヌール・グントゥルクンの生物心理学研究室を見学する機会に恵まれ,留学を決めました。

オヌールの研究室は国際色豊かで,ドイツ人の他にトルコ,中国,アゼルバイジャン,イギリス,ニュージーランド,オランダ,フランス,スペイン,スロベニア,ベルギーと,各国から人が集まっていました。しかし,働き方はいかにもドイツ的で(オヌールはトルコ人ですが),朝早く研究室にきて,18時までにほぼみんな帰宅し,土日は休む人が多い研究室でした。私自身は,鳥類の学習や知覚の比較研究を行っていました。ただ,コロナ禍が酷かった頃は大学も閉鎖され,手持ち無沙汰になった時期もありました。これには参ってしまいました。とはいえ,泣き言も言っていられないので,私がとった方略は何かというと,「徹底的に暇そうにしてみる」というものでした。進捗報告で「今週は毎日,パスタを作っていました」などと,一歩間違えたら怒られかねない報告をしたこともあります。そういうことをやっていると,「あいつは今,手が空いているらしいぞ」という空気感が出てきて,共同研究の話が舞い込んでくるという次第なわけです。大きな話としては,オヌールが主導していた国際共同研究プロジェクトに参加するチャンスを得ました。他にも私が暇そうにしていると噂を聞きつけたルール大学の医学部の研究室やトルコのアンカラ獣医大学からもコンタクトをもらうことができて,現在論文としてまとめています。オヌールの研究室が人の繋がりを大切にする「ハブ」的な研究拠点であったから,このような僥倖に巡り会えたのだと思います。

また,私は当時,方向性に悩んでいて,そのことをオヌールに大学のカフェで打ち明けたことがありました。すると,彼はおもむろに「お前,動物の意識に興味はないか?」と尋ねてきました。そのときは「バラス・スキナーですら『私的事象』が重要であると言っているんだから,どんな心理学者でも興味くらいはあるだろう」と皮肉めいた返しをしたのですが,結果として,そのときの会話が現在の研究テーマに繋がっています。帰国する際には「生物心理学研究室に一度でも所属した者は,その後どこに行こうと生涯,生物心理学研究室のメンバーだ」と言われたのが印象に残っています。大学院生たちとの関わりも密で,オヌールの研究室では,ポスドクが院生の指導をするのが慣例です。私も博士院生2人と修士院生1人と組んでいました。指導と言っても,実際には持ちつ持たれつの関係で,私の方も生活周りでよく助力を乞うていました。例えば,銀行口座の開設,郵便,公共料金の支払いなどですね。この手のものは英語が通じないことが多く,ひとりで処理しようとすると大変です。非英語圏への留学に伴う不安として,よく聞かれるのですが,ポジティブに見れば,そんなふうに互いに頼り合うことが,親交を深めることに繋がったんじゃないかと思われます。私は恥ずかしげもなく人に泣きつける性分なので,その点はうまく作用しました(向こうもそう感じてくれていたらよいのですが…)。

振り返ると,この2年間は種蒔きの時期であったように感じます。オヌールとの議論の末,留学当初は想像もしなかったテーマについて考える運びになり,今,新所属で日々格闘しています。研究の交友関係も,世界中に広がりました。これらの経験がまた数年後,どんな帰結をもたらすのか,本人にも予想がつかず,楽しみです。自分自身にそんな希望を持てるようになったのが,ボーフムで得た財産のように思います。

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