裏から読んでも心理学
説明不要。
平石 界
WEIRDという専門用語があります。Western, Educated, Industrialized, Rich, and Democraticの頭文字を取ってWEIRD。心理学研究のデータのほとんどが,西洋の,教育を受けた,産業社会の,裕福で,民主主義国家のサンプル(i.e., 米国大学生)から得られたものである状況を「どげんかせんといかん」と訴える論文で提案された略語です(Henrich et al., 2010)。「専門用語?」と思われた方は鋭い。weirdにはもともと「変な」という意味があります。つまり心理学研究のサンプルはWEIRDでweirdである,という言葉遊びなんですね。しかし残念ながらこの単語,恐らくはカジュアルすぎるために,日本の大学入試ではまず使われません。なので日本の学生はweirdなんて単語は知らず,しかしWEIRDな著者にはそういう現実はさっぱり見えておらず,ゆえに論文内で言葉遊びの説明をするはずもなく,上手いこと言ってやったと悦に入っているわけです。そういうところだぞ。
もっとも,自分にとっての常識を,説明するまでも無いものと思い込んでしまうのは良くあることです。京都では「室町通鞍馬口下る」みたいに住所表記するのですが,これが「さがる」なのか「くだる」なのか,ルビが振られているのを見たことがありません。関東人は何の断りもなく「神大(神奈川大)」と言いますし,関西人も何の断りもなく「神大(神戸大)」と言います。国際誌の論文なのに,「5セント硬貨」と書けば十分なところで,わざわざ米国在住者でもなければ分からない通称「ニッケル」を使ってしまう人もいます(Funder & Ozer, 2019)。
weirdやニッケルの話なら我々がぶつくさ文句を言いながら辞書を引けば良い話かも知れませんが,これが時に科学に悪影響を与えることもあります。WEIRDサンプルを用いた心理学研究は,論文タイトルにサンプルの国名を書かない傾向が高いというのです(Cheon et al., 2020)。非WEIRDサンプルだと「同調がマスク着用に与える影響:フィリピンでの調査」みたいにするところを,WEIRDサンプルだと「同調がマスク着用に与える効果」みたいになりがちということですね。WEIRDの常識イコール人類の常識という感覚が漏れ出ているのでしょうか。するとどうなるか。「論文タイトルでのサンプルの国名への言及は研究評価を歪める」という論文によると,サンプル国名がタイトルに入っている論文は,特殊な研究と受け取られて,読む対象から外される恐れが高まると言います(Kahalon et al., 2021)。研究の一般化可能性の限界を示す科学的な姿勢が,逆に研究の評価を低めかねない悲劇。なお当該の論文自体,タイトルに調査サンプルの国名(米独の大学生)が入ってないのですが,その意図は不明です。
自分の常識を世界の常識と捉えることの歪みは,他にもあります。マダガスカルでモチベーション測定尺度を作ったった!という論文があるのですが,そのTable 2が衝撃です(Sayanagi et al., 2021)。現地の農家の方々に農業開発プロジェクトへの参加動機を4段階(1: 全く当てはまらない~4: 強く当てはまる)で尋ねたのですが,なんと10中8の項目で標準偏差が0.00なんです。全回答者が同じ回答。おいおい。おいおい。何か不味いことが生じているのはほぼ明らかで,そこから始まる著者たちの奮闘と,読者の予想を尽く裏切るストーリー展開は,胸に迫るものがあります。リッカート法の使えない世界で心理学者は如何に闘ったのか。構想(おそらく)4年,全サイコロジストが泣いた感動の論文を,この冬,あなたに。
Profile─ひらいし かい
東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。東京大学,京都大学,安田女子大学を経て,2015年4月より慶應義塾大学。博士(学術)。専門は進化心理学。
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