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心理学史諸国探訪【第16回】

サトウタツヤ
パラグアイってどこだっけ?と言っているアナタ!南アメリカ大陸のブラジル・ボリビア・アルゼンチンに囲まれている内陸国,つまり海がない国です。次回もパラグアイを扱い,その後,キューバに目を向けます。完全に自己満足ですが,南アメリカの心理学史についてピースが埋まっていくのを楽しんでます。

サトウタツヤ

パラグアイ(その1)

パラグアイは,他の南アメリカ大陸諸国と同様に,スペインの植民地を経験した後に独立しました。1811年にラテンアメリカで最初に正式に独立を宣言した国でもあります。この時に指導的役割を果たしたのが,フランシア(José Gaspar Rodríguez de Francia y Velasco)です。彼はコルドバ大学(現在のアルゼンチン)で修士号を得たのち,帰郷しカレッジで哲学や神学を講じました。『エミール』の著者であるフランスのルソーに傾倒し,『社会契約論』の考え方に基づく社会を作りたいと考えました。スペインに支配されていた南アメリカ大陸の多くの国で,宗主国スペインの思想ではなく,自由・平等・博愛のフランス思想が取り入れられていたのは偶然ではないでしょう。

José Gaspar Rodríguez de Francia y Velasco
José Gaspar Rodríguez de Francia y Velasco(1766–1840)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ ファイル: José_Gaspar_Rodríguez_de_Francia.jpg

18世紀末に20年ほどパラグアイを拠点に南米に滞在したのがスペイン人のアザラ(Félix de Azara)です。彼はアルゼンチン,パラグアイ,ウルグアイ,ブラジルで鳥,爬虫類,哺乳類,植物などを丹念に観察・記述し結果的に数百種の目録を作りました。この自然史的・博物誌的業績は,進化論を唱えたダーウィンにも影響を与えたとされています。彼はまた,現地の人々の風俗や風習についても関心をもちました。ただし,残念ながら当時の欧州中心主義の悪影響を免れていなかったようです。

Félix de Azara
Félix de Azara(1746–1821)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル: Portrait_of_Félix_de_Azara_by_Goya.jpg

パラグアイでは,大学で心理学専攻がおかれるのは第二次世界大戦後ですが,教育に心理学を活用しようという動きは,タピア(Francisco Tapia,アルゼンチン国籍)によって19世紀後半に始められていました。教育の場においてタピアは実証主義的な哲学を奉じて教師養成にあたったのです。

その教え子の中にダールクイスト(Juan Ramón Dahlquist, 1884–1956)がいました。彼は心理学が教育学の基礎となるべきという考え方をもっており,子どものことを知ることが教育に重要だと考えていました。彼はローマで開かれた第5回国際心理学会(ICP)に出席し,アルゼンチンの心理学者インゲニエロス(José Ingenieros)の発表内容について紹介しました。哲学的な心理学と実証主義的な心理学という二つの立場が対立しており,自分自身は後者の立場にあることを報告しています。一方でパラグアイではまだデータに基づく子どもの発達研究がほとんどなされていないことを嘆いています。ダールクイストはキューバのアグアヨが自国の学術誌に発表した論文をパラグアイの学術誌に転載して,この領域の重要性を訴えました。その紹介文を読むとその思いがわかります。

アグアヨ博士がキューバに求めるものは,私たちがパラグアイに求めるものであり,専門職としての熱意が錯綜する中で,私たちもこのような研究所やクリニックの設立を長い間夢見てきたからである。私たちは,アグアヨ博士のように,パラグアイの子どもを深く研究し,わが国の教育制度の科学的基礎を築き,教育的ケアの欠如のために社会から失われた多くの不幸な子どもたちの不幸を軽減したいのだ。(拙訳)

ダールクイストの時代のパラグアイには心理学の研究が根づいておらず,先行するアルゼンチンやキューバの知見を必死に取り入れているということがわかります。

この思いを受け継いだ心理学者たちについては次号で扱います。

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