記憶の心理学
市川 伸一(いちかわ しんいち)
Profile─市川 伸一
東京大学文学部卒業。文学博士。専門は認知心理学,教育心理学。著書に『考えることの科学』(中公新書),『学ぶ意欲の心理学』(PHP新書),『勉強法が変わる本』(岩波ジュニア新書)など。
どうすれば,よく覚えられるか
近代心理学の創始された19世紀後半から,記憶や学習というのは心理学の中で大きくとりあげられてきたテーマです。と言うと,高校生からは,「勉強で覚えることが苦手なんですけど,どうすればいいですか」という質問がよく来ます。実は,その答えは,心理学の中でも時代により,立場により様々です。
一方の極には,何回も繰り返すことが大切だという考え方があります。20世紀半ばまでなら,多くの心理学者がそう答えたでしょう。そのころはランダムに並べた文字や単語のリストを暗記する実験が多かったのです。そこでは,「時間を分散して記憶したほうが効率がいい」「覚えたあとに急激に忘却が起こるので,早めに復習したほうがいい」というようなことが言われていました。
また,一方の極には,特殊な訓練をすることによってよく記憶できるという「記憶術」の研究があります。とくに,イメージを使って,一度聞いたことを素早く覚えてしまう方法は古くから知られています。1960年代には,こうした記憶術についての研究が盛んだった時期がありました。
しかし,その両極の間にこそ,私たちが日常的に行っている記憶があります。とくに,学校の教科の勉強のときにやっている記憶というのは,単純な反復だけでもなければ,特殊な記憶術を使うわけでもありません。1970年代以降,「認知心理学」と言われる分野では,こうした日常的な場面で行っている記憶のしくみと改善方法が研究されるようになります。
知識を使って,理解すること
簡単なデモ実験をやってみましょう。人間が一度聞いただけで覚えられる数字の個数は,7個程度だと言われています。これは,19世紀から「直後記憶の範囲」として知られているものです。では,次の数字列を覚えてみてください。
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明らかに直後記憶の範囲を超えていますから,とても無理だと思うでしょう。ところがすぐに「覚えました」という生徒が10人に1人くらいはいるものです。この数字列は「1の2乗,2の2乗,3の2乗,…」を並べたものだということに気づいたからです。
次は,文章バージョンです。図1を見て,だれがどんなことをしたのかという内容を覚えてください。いったい何のことか意味がわからず,とても覚えることができないのが普通です。ところが,これに「映画館でのデート」というタイトルがついていたらどうでしょう。おそらく簡単に覚えられるはずです。
何回もひたすら反復するだけでなく,特殊な記憶術訓練をするわけでもなく,私たちが日常生活でうまく記憶するときには,「記憶材料がもつ意味や構造を理解する」ということを行っています。ただし,そこで大切なのは,理解するためには,「すでにもっている知識を活用している」ということです。
数字列の例では,かけ算の知識を使っています。文章の例では,映画館やデートという場面に関する知識を使っています。その知識がなければ,いくらヒントを言われても理解や記憶はできません。また,知識があっても,それをうまく使うことができなければ,覚えることは失敗してしまいます。
人間の情報処理の特徴
図2は,1970年代以降の認知心理学が考えている人間の情報処理のモデルです。人間の記憶は,ICレコーダーやビデオカメラがやっているような「記録」ではありません。ICレコーダーは一字一句正確に再生してくれますが,内容の要約はできませんし,質問にも答えてくれません。音声を電気信号に変えて保存しているだけですから,意味はわかっていないのです。
知識を使って入力情報を理解(解釈)し,思い出すときには,また知識を使って再構成するというのが人間の本質的な特徴です。しかし,このことはまた,人間の記憶が時として誤りを起こすことの原因にもなりえます。知識が足りなかったり,推測や期待が入り込んで誤った解釈をしてしまったりすれば,想起された情報は誤りになります。
単語リストを反復させるような記憶実験が全盛だった20世紀前半に,イギリスの心理学者フレデリック・バートレットは,物語や絵を材料にした実験をしています。よくわけがわからないような物語は,再生するたびに筋の通ったわかりやすい話に変わっていってしまうのです。何を表しているのかあいまいな図形を人から人へと伝えていくと,たとえばネコのような日常的にはっきりしたものに変わってしまいます。人間が自分なりの解釈を行って記憶や伝達を行っていることの表れです。
目撃者の証言の信憑性をめぐっては,多くの心理学的研究があります。本人は嘘をつくつもりがなくても,経験したとき,あるいは,想起するときの思い込みや他者からの誘導によって,記憶が歪められてしまうことがあることがわかっています。これは,私たちの日常生活でもしばしば起こることですが,本人自身はなかなかそれに気づけないのです。
あらためて,よく覚えるには
世の中には,膨大な知識を記憶している人たちがたくさんいます。医師,法律家,研究者,学校の先生などはその典型ですが,だれしも自分の仕事や趣味についての知識は豊富にもっているものです。その知識とは,相互に関連づけられ,意味や構造をもっているもので,けっして,ただ反復して丸暗記したものではありません。
学校の教科の学習でも,それがうまくできるかどうかが,決定的に重要になってきます。認知心理学者の西林克彦さんの本には,次のような歴史の問題を,大学生に出した実験の話が出ています。「次の4つの歴史的事項を起こった順に並べなさい」というものです[1]。
①三世一身法
②荘園の成立
③班田収授法
④墾田永年私財法
高校までに習っていてその時は覚えていても,大学生になるとほとんどの人は忘れてしまってできないと言います。西林さんが調べたかったのは,これができた大学生とできなかった大学生が,それぞれ高校でどういう学習方略(勉強法)をとっていたかということでした。できなかった大学生は「年号の丸暗記や語呂合わせ」をしていたのに対して,できた大学生は,何が原因でどういうことが起こったかという歴史の流れをつかんで学習していたのです。
この例でいえば,時代が進むにつれて,人口が増えるし,政府は税収を増やしたいために,農地が足りなくなる。そこで新たに土地を開墾してほしいとなると,必然的に私有を認めていく方向になるので,③①④②の順であることがわかります。このような理解を重視する学習方略をとっていれば,そう忘れるものではありませんし,それは歴史に限ったことではないのです。
記憶の心理学は,私たちが無意識的に行っている情報処理のメカニズムを,理論的・実証的に明らかにするものです。日常生活での人間の記憶の特徴やしくみを見直し,改善していくために,高校生にもぜひ参考にしてほしいと思います。
ブックガイド
- 『勉強法の科学:心理学から学習を探る』(市川伸一著)岩波書店,2013年
記憶,理解,問題解決,学習意欲などの心理学的なしくみについて,教科の学習を例にして高校生向けに解説している。 - 『証言の心理学:記憶を信じる,記憶を疑う』(高木光太郎著)中公新書,2006年
心理学での実験的研究から,現実の裁判事例まで紹介しながら,目撃者証言の信憑性について広く考察している。
文献
- 1.西林克彦 (1994) 『間違いだらけの学習論』新曜社
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