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心理学の知見に基づく社会制度の設計にむけて
讃井 知(さない さと)
Profile─讃井 知
筑波大学システム情報工学研究科修了。博士(社会工学)。筑波大学システム情報系助教を経て2022年より現職。専門は社会心理学,社会工学。
心理学を学ぶ理由を学生に問うと,「自分や家族,友人のことを深く理解し,日常に活かしたい」「ニュースになった社会事象や,理解し難い集団行動のメカニズムについて知りたい」といった声が多い。自身を振り返っても,大学入学後,諸先生方の話を聞く中で,学問が世の理を鮮やかに説き,世界の見方を示すのを目の当たりにし,その豊かさと美しさになんとも心が震えたのを覚えている。
私の場合,心理学を志した時の感情は,「知らねばならない!」という使命感に近い,より切迫したものだった。学部時代は公共政策を学び,中でも子どもの貧困問題といった社会福祉政策を考える中で,人間の行動メカニズムを考慮した政策的介入・制度設計が必要だと強く感じたのがきっかけだった。支援制度があるのに支援が必要な家庭に届かない,家庭に支援が届いたとしても親から子に支援が届かない…。そうしている間に,大切な子ども時代の何年間が過ぎてゆき,その後の人生が少しずつ決まってゆく現状を目の当たりにし,この現状を変えるためには,制度が人間にとって使いやすいものとなるために,人間工学に基づくモノづくりのように,深い人間理解に基づく社会制度づくりが必要だと思い至ったのだった。
政策立案と心理学の関係については,立案過程から,合意形成,公共受容,行動変容にいたるまで心理学の貢献が期待され[1],関連した学術研究や実践が多く行われている。また,昨今のRRI(Responsible Research & Innovation)の議論においても,心理学の果たす役割は高いものと考えられる。RRIには研究成果の社会実装にむけて,成果の受容可能性,持続可能性,社会的な望ましさについて多様な関係者が互いの見解を交換し合うプロセスが求められるが[2],心理学はこれらの見解の把握や予測に資する学問分野であることから,科学技術の管理・運営上の文脈でも貢献可能性があるだろう。
一方で,心理学者が政策立案の現場に「招かれる」文脈によっては,政策立案者の意向の正当化に加担し,市民に誤った知見を提供してしまう危険性や,学者の関心に偏った知見が政策立案現場に提供される可能性も指摘されている[3]。行動科学の知見を用いて,市民の無意識的な認知・心理特性を利用した行動喚起を検討する場合には,常に倫理的な配慮と施策の正当性を支えるエビデンスを持つことが必要であろう。
こうした課題へのアプローチにおいては,政策立案者,活動者,受容する市民といった多様なステークホルダーとの継続的な対話(アクション・リサーチ)が重要であると考えられる。協働により,ニーズアセスメントやプログラム評価の文脈において,問題を抱えている個人や解決を試みる現場ベーストな問題意識が政策立案現場に提供されることが期待できるだろう。
私自身の犯罪予防をテーマに自治体と連携した研究[4]では,項目策定の際には約3か月にわたり,行政の複数部署の担当者と項目の内容や表現の調整を行い,行政ニーズと研究関心の両立を図った。しかし,それでも市民の実態やニーズは反映することができておらず,社会実装する上で考慮すべき要因をカバーできているとは言い難い。現実の社会課題の解決には,連携を超えた協働により仮説の検討段階から多様なステークホルダーの意見を取り込みフィールドの問題意識に沿った課題設定を行うこと,心理メカニズムを精緻に扱うだけでなく,政策立案の実務的な制約の中で,心理・行動要因を活かす方法を検討する必要があるだろう。
人にとって使いやすい,人に寄り添った社会制度をつくりたい。そのために心理学を学びたいと思い至ってから10年余り。研究活動を通じて,他者を思いやり,社会問題を解決しようと奮闘する政策立案者や活動者の思いを届ける支援ができたらと思っている。
文献
- 1.The British Psychological Society (2019) How can we embed psychology in public policy? The Psychologist, 32, 8–11.
- 2.Von Schomberg, R. (Ed.) (2011) Towards responsible research and innovation in the information and communication technologies and security technologies fields. Publications Office of the European Union.
- 3.Fischhoff, B. (1990) Psychology and public policy: Tool or toolmaker? American Psychologist, 45, 647–653.
- 4.讃井知・島田貴仁・雨宮護 (2021) 「詐欺電話接触時の夫婦間における相談行動意図の規定因」『心理学研究』92, 167–177.
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