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【小特集】

アスリートの競技不安と認知行動療法

栗林 千聡
東京女子体育大学体育学部 講師

栗林 千聡(くりばやし ちさと)

Profile─栗林 千聡
専門は臨床スポーツ心理学,認知行動療法。博士(心理学)。関西学院大学大学院文学研究科博士後期課程修了後,信州大学大学院教育学研究科特任講師などを経て現職。著書に『アスリートのメンタルは強いのか?』(分担執筆,晶文社)など。

はじめに

プレッシャー下でのパフォーマンス低下を示すあがりの一因として,競技不安が挙げられます。 競技不安は,心理的スキルを身につけることによって対処することが可能です。うまく対処することができればパフォーマンス向上につながりますが,アスリートや周囲の関係者の適切な知識がなければ,メンタルヘルスやパフォーマンスを悪化させることにもつながります。例えば,競技不安はうつ病や不安症などの精神疾患とも密接に関連することが報告されています[1]

スポーツ特有の環境と競技不安

では,アスリートが感じる不安はアスリートでない人が感じる不安と何が異なるのでしょうか。私自身の過去をお話ししながら,アスリートの不安の背景にある環境の一例を説明したいと思います。

私は5歳からテニスを始め,プロテニスプレーヤーを目指し,大学までは競技者として生きてきました。全日本ジュニアテニス選手権で準優勝,世界大会にも出場し,当時は「努力すれば必ず結果が出て評価される」と信じて疑いませんでした。毎日過酷な練習をこなしながらアスリートとして生きてきましたが,キャリアの絶頂期に怪我をして突然歩けなくなり,競技ができなくなったことを契機に,私は幼少期からの夢であったプロを目指すことを諦めました。スポンサーや応援してくれていた人達は一斉に離れていき,時に厳しい言葉もかけられました。時間もお金もかけて取り組んできたテニスができなくなると,一度は自分の存在価値がなくなったように感じ,大きな不安で押しつぶされそうになったことを今も鮮明に覚えています。振り返れば,当時はテニス以外の世界を知らなかったことも大きかったと思います。

アスリートは常に評価される環境のなかで生きています。それにもかかわらず,「周りは気にせずに自分のパフォーマンスに集中しなさい」と言われるアンビバレントな環境に置かれているのです。いくら自分が努力しても,最大限のパフォーマンスを発揮しても,正当に評価してもらえるとは限りません。怪我や病気,周りの競技レベルが上がる,監督の采配などで結果が出せないこともあります。アスリートの支援を考えるときには,アスリートが表面的に訴える競技に対する不安だけではなく,その背景にあるスポーツ特有の環境まで理解しておくことが望まれます。

ジュニアアスリートの競技不安に対する認知行動療法プログラム[2]

民間テニスクラブのご協力のもと,ジュニアアスリートを対象とした心理プログラムに関する実践研究に取り組んできました。このプロジェクトでは,ジュニアアスリート向けの競技不安に対する認知行動療法プログラムを開発し,その有効性を予備的に検証しています。児童青年の不安症に対する認知行動療法プログラム[3]を参考にし,全4回の認知行動療法プログラムができました。全体のプログラムの目標は,競技不安そのものをなくすのではなく,競技不安に対する解釈と認知を柔軟にすることで,パフォーマンスの向上を目指します。例えば第1セッションでは,競技不安についての理解を促し,不安を感じることは悪いことではないことを知り,自分自身の感情への気づきを促すことを目標にしています(図1)。

図1 セッション1のスライド例
図1 セッション1のスライド例

ジュニアアスリートは,不安を感じることは悪いこと(自分の心の弱さ)であると捉え,不安な気持ちを感じないように回避し,自分の気持ちに気づいていないことがあります。そこで,ジュニアアスリートは,感情を表す言葉のリストを見ながら自分の経験したことのあるポジティブな感情とネガティブな感情を自由に表現し,感情を見つける課題を行います。

本プログラムを実践することで,パフォーマンスに関するセルフエフィカシーは,介入前と比較して介入後およびフォローアップにおいて高まることが示されました。さらに,介入前と比較して介入後において競技不安に対する解釈が変容し,達成感や楽しさに関連するジュニアアスリートに特徴的な思考(例:「がんばってきてよかった」「楽しい」)が増加することも示されています。プログラムを受講したジュニアアスリートからは,「今までは不安は悪いことだと思っていたけど,プログラムがその考えを変えてくれた」といった感想が報告されました。

本プロジェクトは,平成28–31年度 日本学術振興会 科学研究費補助金(特別研究員奨励費)「ジュニアアスリートの競技不安に対する認知行動療法 代表:栗林千聡」の助成を受けて実施しました。民間テニスクラブの支配人,アスリート,保護者の皆様のお力添えによって実現できたことを心から感謝しています。

トップアスリートの競技不安に対する心理的支援

私は東京オリンピック期間中,オンラインで選手村とつなぎ,トップアスリートの心理的サポートを実施していました。COVID–19の影響でオリンピック・パラリンピックが延期となり,今後の見通しが持てず,トップアスリートの不安も大きくなったように思います。アスリートのなかには,完璧なプランを立てて計画通りに練習していないとパフォーマンスが発揮できないと思い込み,気分の落ち込みが強くなっている人や,周りと比較して練習できていないことが不安になり,オーバートレーニングで怪我を繰り返している人もいました。ここでは,心理的サポートの一部をご紹介します。

①目標を柔軟に調整する

COVID–19の影響で今後のスケジュールの見通しが持てないなかでは,完璧なプランを立てることは難しい状況でした。そこで,「事前に立てたプランが崩れたら実際はどうなるのか?」を予想し,その都度,「プランが崩れても別の方法は見つけられるため,案外なんとかなる」という経験を積んでいくことで,結果的に認知を柔軟にすることを目指しました。アスリートを対象にした研究ではありませんが,目標内容の調整は多面的なウェルビーイングにポジティブな影響を与えることが報告されています。しかし,達成することができないとしてもその目標を追求し続ける“目標継続”は自己の成長や環境をコントロールできているという感覚を身に着ける一方で,抑うつ症状につながりやすく,諸刃の剣であることが報告されています[4]。目標に向かって努力することは大切ですが,ただがむしゃらに目標に固執して取り組むことが最善の方法ではありません。周囲の支援者は,柔軟に目標を修正し,試行錯誤しながらチャレンジするプロセスを支えていくことが重要ではないでしょうか。

②回避せずに感情を味わう

周りのパフォーマンスが上がってくると,「負けてしまうのではないか」と考えてしまうことがあります。焦りや不安は正常な反応ですし,自分のなかから起こってくる感情を止めることはできません。しかし,感情に振り回されないようになることはできます。怪我をして思うようなプレーができないことに直面化することを回避し,ただ練習をするのではなく,今の感情を味わい,環境を受け入れられるように支援していきました。そして,自分が変えられること(例:考え方,動き)と変えられないこと(例:対戦相手,ルール)を区別し,変えられることに注意を向けていくことを目指しました。

スポーツ界の未来

現在は根性論で不安をどうにかするのではなく,適切な対処が可能な時代です。そして,評価される過酷なスポーツ界だからこそ,我々支援者は,スポーツは人生の一部であり,スポーツ以外にも様々な世界や価値観があることをアスリートとともに考えていく必要があると考えています。

文献

  • 1.栗林千聡・武部匡也・佐藤寛 (2021) 「ジュニア選手の抑うつ症状および不安症状の実態調査:リスク要因としての競技不安」『スポーツ精神医学』18,46–53.
  • 2.栗林千聡 (2020) 「ジュニア選手の競技不安に対する認知行動療法」『日本心理学会大会発表論文集』84,L–001.
  • 3.石川信一 (2013) 『子どもの不安と抑うつに対する認知行動療法:理論と実践』金子書房
  • 4.外山美樹・長峯聖人 (2022) 「人は困難な目標にどう対処すべきか?:困難な目標への対処方略尺度を作成して」『心理学研究』92,543–553.
  • *COI:本稿に関連して開示すべき利益相反はない。

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