感情の心理学
遠藤 利彦(えんどう としひこ)
Profile─遠藤 利彦
専門は発達心理学・感情心理学・進化心理学。博士(心理学)。編著に『情動発達の理論と支援』(金子書房),『入門アタッチメント理論:臨床・実践への架け橋』(日本評論社)など。
日常は感情にあふれている
今,この書を手にしているあなたの心の状態は,どのようなものでしょうか。ずっとできなかった数学の問題が解けて「うれしい」(喜),友達と言い争いになって「腹が立っている」(怒),愛用していたペンをどこかに落としてしまって「落ち込んでいる」(哀),朝から快晴の下,登校してきて「気持ちがいい」(楽)。私たちの日常は,こうした喜怒哀楽,そしてこの他にも,実に多種多様な感情に彩られていると言えます。
しかし,感情の中には,あまり経験したくない厄介なものも多々,あるはずです。例えば,何かに恐怖を感じていたり,先のことがわからず不安な気持ちが続いていたりすることは,ある意味,不幸な状態であり,できればそれらからずっと解放されていたいと思うのではないでしょうか。実際,人によってはこの恐怖や不安が極度に高じて,日々の生活がにっちもさっちも行かなくなり,それこそカウンセリングなどの心理的な治療や支援を要することもあるのです。
感情の重要な働き
けれども,なぜ,こうした厄介な感情も含め,私たちヒトにはたくさんの種類の感情が備わっているのでしょうか。近年,身体の構造や機能だけではなく,心の性質もまた生物の進化の産物であると見なす「進化心理学」がとても盛んになってきていますが,その仮定に従うならば,もし,ある心の性質が,生物としての適応性を脅かすものであれば,それは長い進化の過程でとっくの昔に淘汰されていたはずです。ということは,逆に言えば,私たちが「こんな感情なければいいのに」と密かに思っているようなネガティヴな感情も,生物種としてのヒトの生存や繁殖などに何らかの形で寄与してきたのだと考えることができます。恐れや不安も,確かに主観的にはすごくいやな状態かも知れませんが,恐れは何か危機に接した際にとっさに逃げるという行為を引き起こし,また,不安は予め危ないことを回避して堅実な行動をとらせるという意味で,私たちの生き残りに欠かせない役割を果たしていると考えることができます。
関係性を支える感情
さて,私たちヒトの感情の中には,とりわけ他者との関係性や集団状況において頻繁に経験される一群の感情があると言えます。変なたとえになりますが,あなたが部活の朝練か何かでお腹がペコペコになり,授業開始前に早弁してしまったとします。しかし,昼になればやはりまたお腹は空く訳で,あなたは早弁してしまったことを悔いることになります。そんな時,あなたの様子を察した隣席の友達が「自分の弁当,食べていいよ」と言って,弁当箱をあなたに差し出してくれるとします。そして,空腹のあなたはその言葉に甘え,即座にその弁当をガツガツ食べ始めます。しかし,ふと気がつくと,弁当の中身はほぼ半分にまで減ってしまっているではありませんか。そこで,あなたは「友達の食べる分がなくなってしまう,すまない」と罪悪感を覚え,そこで箸を止めてしまうかも知れません。それどころか「こんなにいい友達はいない,ありがとう」と心底,感謝の気持ちを抱き,「学校帰り,自分の小遣いを削って,この友達にとっておきのハンバーガーでもおごってあげよう」などと思うこともあるでしょう。
もちろん,罪悪感も感謝の気持ちも感情の一種であり,私たちにとっては身近な心の状態です。この状況においては,別に友達から「もう食べないで」と途中で制止されている訳ではないので,あなたは差し出された弁当をすべて食べ尽くすこともできるはずです。それなのに,罪悪感から自らその欲求にブレーキをかけてしまう。また,友達から「必ずお返ししてね」などと要求されている訳でもないのに,感謝の気持ちに突き動かされて「絶対,おごってあげなきゃ」という決意を固める。
穿った見方をすれば,罪悪感はまだまだ利益追求できそうなのにそれに歯止めをかけるという意味で,また感謝の気持ちは自分の利益をすり減らして相手に分与しようという意味で,ある意味,自らにあえて損を背負い込ませる働きをしていることになります。実はこの罪悪感や感謝に限らず,ヒトの感情の中には「今ここ」での損得という視点からすると,あえて利益から遠ざけ,むしろ損や害を被らせるものが少なからず存在していることが知られています。
ヒトの最大の強みは社会性
少なくとも短期的な利害という点から言えば,これらの感情は非合理そのものということになります。しかし,少し長期的な視座から見るとどうでしょうか。これらの感情があるからこそ,私たちは他者との関係を良好に保ち,集団の中で自分の適応的な立ち位置をちゃんと維持することができていると言えるのではないでしょうか。
言うまでもありませんが,ヒトは単体で見ると鋭い牙や爪を持っている訳ではなく,生物全体の中で闘争能力は決して高い方ではないはずです。かと言って速い足がある訳でもなく,逃走能力も相当に低いと言わざるを得ません。事実,単体としてのヒトはきわめて弱い存在なのです。しかし,ヒトは群れをなすと俄然,強くなると言うことができます。集団で協力し助け合う中で,大型獣などに対して高度な防御態勢を築き,またたくさんの人で一緒に狩猟や採集などをする中で,効率的に生活の糧を得てきたのです。
生物学者の中には,ヒトという生物種の最大の強みを高度な社会性,すなわち他者との関係や集団を広く深く形成し維持する力の中に見出す向きもあります。そして,その社会性を下支えしている心の性質の最たるものとして,まさにこうした一群の感情が存在していると言えるのです。
互恵性・公正性にこだわる心
もっとも,私たちはただのお人好し,すなわち自らに自己犠牲的な行動を強い,他者に利他的な行動を向けるだけの存在ではありません。時に相手に対して,自分への利他的な行動を期待し,現に求める存在でもあります。社会性の中心には,当然,こうした自他間の互恵的なやりとりがある訳で,これがうまく行っていない場合には,私たちは概して,憤りも含め,不快な思いにとらわれることが多いと言えます。いわゆるフリーライダー,つまりは自分は他者に協力も何もしないで,ただ利益にだけ与ろうとする者を見たりすると,不愉快な気分になり,何か罰したいような気持ちになるものです。
また,これに関連して言えば,社会性の基底には,公平性の原理も存在していると言えます。心理学で実際に行われてきた研究の一つに,いわゆる「最後通牒ゲーム」を用いたものがあります。それは,実験参加者2人にある一定額のお金が与えられ,2人の間でそれを配分するという設定になっており,コイン投げなどで,一方が自身がいくら取り,相手にいくら渡すかを決める提案者に,他方がそれでいいかどうかを1回だけ答える回答者の役割を割り当てられます。この実験の肝は,回答者が「いいよ」と言ってその提案を受け入れれば2人ともが提案通りの額を手にすることができるのですが,「いやだ」と言って受け入れなければ,両者,全くお金をもらえないということです。
純粋に経済的損得から言えば,仮に10万円の配分が,提案者が99,999円で,回答者が1円であっても,全くお金を手にできないよりは1円でも儲けが出た方が良い訳ですから,その提案には合理性があることになります。しかし,現実的にそうした提案をする者はほとんどいないようで,今では様々なデータから,提案者側がする一般的な提案は,限りなくフィフティ・フィフティに近いものであり,相手側の取り分を総額の20%未満と設定するような者は全体の5%にも満たないということが知られています[1]。そこには,自身の利己的な利益追求に歯止めをかけ,他者との利益バランスがより公平になるように仕向ける何らかの感情の介在を想定することができます。別の見方をすれば,私たちは,自身を含め,人が不公平な状況に置かれた際に,怒りの感情に駆られることをリアルに知っており,それを恐れて,できるだけ公平にふるまおうとするのかもしれません。
この小論では一見,厄介に思える感情が,私たちの日常,とりわけ他者との関係性や集団での社会生活において,とても重要な役割を果たしている可能性についてふれてきました。しかし,心理学における感情の研究は,無論,こうしたテーマに狭く留まる訳ではありません。例えば,感情は人の顔に表情となって表れます。また,それは心拍や体温などの生理的変化を伴うものでもあります。さらに,脳神経の働きとも分かちがたく結びついています。それぞれにおいて分厚くおもしろい研究が展開されています。最後に,感情研究の裾野はとても広いのだということを付言して,この論を結びたいと思います。
ブックガイド
- 『(一冊でわかる)感情』ディラン・エヴァンズ(著),岩波書店,2005年
感情心理学の主要テーマについて,研究知見だけではなく,身近な日常事例も交えた平易な解説がなされています。
文献
- 1.遠藤利彦 (2016) 「利己と利他のあわい:社会性を支える感情の仕組み」『エモーション・スタディーズ』(日本感情心理学会誌),2,1-6.
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