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心理学史諸国探訪【第18回】

サトウタツヤ
本誌93号でもっと扱いたかったプエルトリコ,満を持して100号に登場!旧宗主国からの独立時期に心理学が導入されたことやスペインから女性心理学者が亡命したことなど,世界史的にもおもしろい。ちなみにPuertoは「港」,Ricoは「豊かな」という意味です。

サトウタツヤ

プエルトリコ

本連載第11回(本誌93号)では南米のコロンビアをとりあげ,同国の心理学がスペイン出身の女性心理学者メルセデス・ロドリゴ(Mercedes Rodrigo;1891–1982)によって作られたということを紹介しました。彼女はスペイン女性として最初の心理学者と呼ばれています。そしてスペインにおけるファシズムの台頭によりコロンビアに亡命し,そこでは性別に関係なく最初の心理学者として活躍していました。しかし,イエズス会の新聞が彼女がソ連を訪問したことを(共産主義者として)糾弾したことから彼女は居場所を失い,結果的にプエルトリコに亡命を余儀なくされ,1950 年からプエルトリコ大学で教育学の教授ならびにコンサルティング心理学者として働きはじめました。

プエルトリコでは第二次世界大戦後に大学進学を果たした退役軍人のオリエンテーションを行うセンターが1946年に設立されました。プエルトリコでの臨床心理学の始まりです。ロドリゴも1955年にジュリア病院というところで臨床心理士となり集団療法,個人療法を行うことになりました。

1957年にはプエルトリコ心理学会の会長に選ばれました。彼女がプエルトリコで活躍したことによってスペイン内乱で国内にとどまれなくなった若い心理学者たちがプエルトリコでスペイン語を用いて研究を行う機会を得たと言われています。彼女は1972年に引退しましたが直前の1971年には,かつて活躍したコロンビア心理学会にその先駆的活動を認められて第1回全国心理学賞を受賞しました。また,その後,心理学の最優秀論文に贈られる賞が「メルセデス・ロドリゴ賞」と名づけられることになりました。ちなみに妹のマリアはピアニスト兼作曲家であり,スペインで初めてオペラを上演した人でした。彼女も時代の波にのまれ,スペインからコロンビア,そしてプエルトリコと,姉メルセデスと共に暮らしていました。

さて,プエルトリコ心理学会(APPR)の設立は1954年でエフライン・サンチェス・イダルゴ(Efraín Sánchez Hidalgo) がAPPRの初代会長に選出されました(Roca de Torres, 1994)。彼はプエルトリコで生まれ,プエルトリコ大学で学士号(教育学)を得た後,コロンビア大学で修士号を得ました。彼が著した『教育心理学』はスペイン語圏で最も優れたテキストだという評価もあります。

Efraín Sánchez Hidalgo
Efraín Sánchez Hidalgo(1918–1974)
https://sites.google.com/site/drefrainsanchezhidalgo95/galeria-de-fotos/sala-efrain-sanchez-hidalgo

APPRの創立メンバーは25 名で,そのうち9名が臨床心理士,7 名が教育心理士,5名がカウンセラー,2名が心理測定心理士,2名が社会・産業心理士でした。つまり,臨床系の心理学者・心理士が活躍していたことがわかります。その多くはアメリカで訓練を受けていました。初期においては欧米の心理学を輸入する雰囲気が高く,知能検査などのプエルトリコ版が出版されて研究・実践に使用されていました。しかし,1960年代には,そうした手法ではプエルトリコに適していないという批判的な考え方も現れました。土着的心理学(indeginous psychology) 的な主張です。そうした主張をした一人がカルロス・アルビズ・ミランダ(Carlos Albizu Miranda) です。幼少期に家族とともにアメリカに渡った彼は,パデュー大学で博士号を得た後,プエルトリコに戻ります。ちなみに彼はプエルトリコ独立運動の指導者ペドロ・アルビズ・カンポス(Pedro Albizu Campos;1891–1965)のいとこにあたります。

Carlos Albizu Miranda
Carlos Albizu Miranda(1920–1984)
https://en.wikipedia.org/wiki/Carlos_Albizu_Miranda

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