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心理学ライフ
近年のマイペースな生き方改革
菅谷 渚(すがや なぎさ)
Profile─菅谷 渚
専門は心身医学,公衆衛生学。博士(人間科学)。2013年より現職。過敏性腸症候群などの心身症や各種依存症,ストレスバイオマーカー,近年ではCOVID–19流行下のメンタルヘルスなどをテーマに海外医学ジャーナルなどで発信。
今,娘の7歳の誕生日にこの原稿を執筆しています。特に狙ったわけでなく,前日に原稿締め切り日間近のご案内をいただき,文章化を始めたという冴えない事情です。私は娘を育てるなかで,自分自身の価値観への理解を深めることができ,それに従って世界を少し広げることができました。このコーナー,こんな話でもよいのだっけ?と若干気になりつつも,それしか差しあたって浮かぶネタがないので話を続けます。
この7年間,娘と向き合ううえで彼女ではなく私自身のコントロールを要することを実感することとなり,それが想像を超えて容易でないことも思い知りました。心理学領域の研究者の端くれとして自分の親としての行動についダメ出しすることもあり,その度に「親の自己肯定感を下げるような子育て系オンライン記事は断じて書いてはならない」と頼まれてもいないのに勝手に心に誓ったのでした。
そんなふうにして産後から娘だけでなく自身とも向き合うことが増え,今までいかに自分への理解を怠っていたかに気づきました。自身と仕事やプライベートのさまざまな要素との相関図の中に子という大きな要素が入ってきた時にその全体像が変容していきました。その過程で,これまで目の前のことに翻弄されて,自分の人生に何を必要としていて,そのためにどう行動したいのかといった基本的な価値観すら本当のところを突き詰めて理解してこなかったことに気づいたのです。
蓋を開ければ欲張りなもので,自分の生活に心から求めているものは山ほどありましたが,その一つがかつて大事な趣味であったはずの音楽でした。育休後の仕事も軌道に乗り始めたころ,タイミングよく高校時代の友人からバンド加入のお誘いがあったので二つ返事でありがたく引き受けました。とはいえ,仕事の量も達成したい水準も変わりませんし,子どもに使いたい時間も変わりません。だからこそ夜や休日の限られた隙間時間に,浪人時代の入試前日にすら発動されなかった集中力で曲作りを試み,この時間を無駄にしまいと経験のないツールにも躊躇なく手を伸ばすようになりました。そして,かつて常にのさばっていた「その空き時間に論文を書かねば」という思考はだいぶ控えめになった代わりに,趣味を成果が下がる原因にはしたくない一心でおのずと勤務時間内の作業効率が上がりました。さらに,そんな中で娘との関係にも余裕が増したことにも気づきました。おそらくは娘が生まれた時と同様に,自身と諸々の要素との相関図が変化したのでしょう。「この集中力と積極性が昔からあれば今ごろ」と思うところですが,子育て中のこの時期だからこそボンヤリした私ですら引っ張り出せたものと理解しています。
もう一つ,娘の人生を末永く見守りたいという思いから,自身の健康寿命に対する意識が急上昇しました。私は運動が苦手でつい敬遠しがち,結果的に慢性的な運動不足でした。健診での運動習慣に関する質問項目は何より侵襲的でした。そんな私が昨年度から娘の友達のお母さんがヨガのインストラクターを始めたと聞いて,思い切ってレッスンを受け始めました。かつてであれば「ヨガか,体幹弱いしやめとこ」となったところです。これも娘の存在が勇気を引っ張り出してくれたことによるものです。
私の世界は娘が紙風船に息を吹き込むように少しずつ膨らみ続けています。7年間,私を厳しくも温かく育ててくれた娘に感謝して,本稿を締めくくります。
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