哲学の領域から
河野 哲也(こうの てつや)
Profile─河野 哲也
専門は哲学(現象学,心の哲学,理論心理学),倫理学。博士(哲学)。『コロナ時代の身体コミュニケーション』(共編著,勁草書房)など。
私は,心の諸科学の基本概念と方法論,その倫理的問題について考察する科学哲学を第一の専門としております。心理学史もこの分野の重要なアプローチ方法で,本誌の「心理学史 諸国探訪」は,科学的活動が文化や歴史から切り離せないことに気付かせてくれますので,いつも楽しみに読んでいます。
これまで,私は心身関係や身体論についての研究を軸に据え,心理学者の方たちと共同研究してきました。自分の研究スタンスを,J・J・ギブソンの生態心理学と,メルロ=ポンティの現象学を総合した立場として「生態学的現象学」と名付けています。
現在は,「顔身体学」という,心理学,文化人類学,スポーツ学,哲学などの分野を横断する新しい領域の構築と発展に取り組んでいます。対人関係に目を向けると,身体の中でも顔のもつ表現力は突出しています。『心理学ワールド』では,89号(2020年)「顔」と90号(同年)「人を区別する」で関連するテーマが扱われています。90号では私の共同研究者である山口真美氏や田中彰吾氏が寄稿していますが,哲学では決して扱われることのない「顔の左右の表現の違い」(大久保街亜氏)や,「サカナの顔」(堀田崇氏)といった89号のテーマも非常に興味深いのです。フランスのユダヤ系哲学者であるE・レヴィナスは,人間の顔に倫理的行為の根拠を求めました。しかし,動物や魚類,昆虫など顔をもつ生物はたくさんいます。また,その顔なるものに変工を加える入れ墨や美容整形,化粧行動(「顔の化粧」木戸彩恵氏)は,どう理解すればいいのでしょうか。こうしたことを考えた時には,レヴィナスの倫理学は,古典的な男性ジェンダーに偏った立場であるかのようにも思えてきます。
倫理学は,道徳性について考察する哲学の一分野ですが,心理学と倫理学は興味深い関係にあります。倫理学は,「どうあるべきか」という規範性に関わり,心理学は「どうあるのか」という事実性に関わると言われます。倫理学では,規範性を事実性から峻別しようとする反自然主義と,その両者が明確な線引きができないと考える自然主義の間で議論が続いてきました。私は,「どうあるべきか」を,現状が「どうあるのか」から切り離して人々に要求することは,それ自体が倫理的問題を孕んでいると考えています。少なくとも,実際の私たち人間の行動を視野に入れなければ,実践的な規範を立ち上げられないと思います。
こうした観点からは,98号(2022年)の「『正しさ』を考える」は興味深い企画でした。公正性に関わる義憤と自己利益が関与する私憤との関係をめぐる上原俊介氏の議論は,哲学において,正義を感情に基づくと考える「道徳感情論」(現代の代表格は,M・C・ヌスバウム)と正義は感情に基づくべきではないと考えるカント的な「義務論」の対立に新しい観点をもたらしてくれます。感情のない人工知能は,正しい道徳的判断をもたらすのでしょうか。それ以前に,AIの判断はそもそも道徳的判断と呼べるのでしょうか。この点について谷辺哲史氏は鋭く問題提起しています。また,笹原和俊氏が論じているように,SNSなどで伝達される「情報」には,哲学の古典的な「真偽」の区別が当てはまらない面が含まれています。これまでの倫理学は,テクノロジーの発展を度外視してきましたが,心理学はこうした前提を問い直しています。
あるいは,動物をどのような道徳的配慮の対象にすべきかという動物倫理も,人間と動物の絆についての文化的・歴史的な関係を抜きにしては語れません。この点で,92号(2021年)の「動物との絆」についての特集は非常に重要なものでした。権利や義務についての抽象的な言葉に満ちた倫理学を,人間的行動の有する事実性に根付かせて論じていくには,心理学からのたくさんの助けが必要であると,私は考えています。
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