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哲学の領域から

伊東 俊彦
相模女子大学 人間社会学部 教授

伊東 俊彦(いとう としひこ)

Profile─伊東 俊彦
専門は哲学,倫理学,社会思想史。博士(文学)。著書にConsidérations inactuelles : Bergson et la philosophie française du XIXe siècle(分担執筆, OLMS)。

哲学研究を行う上で,心理学の知見にどのように学ぶかというのは,本質的に重要なことである。そもそも,エドワード・リードが『魂(ソウル)から心(マインド)へ』で示唆しているように,現代哲学は,実験心理学のインパクトをどのように受け止めていくのか,その苦闘から生まれたとも言えるし,また,哲学のなかでも「心の哲学」のような領域では,現代心理学で得られた知見抜きではそもそも研究を進めていくこともできないほど,心理学との結びつきを強めている。

翻って,思想史研究ではどうだろう。現代でも多くの哲学研究者は,デカルトであれカントであれ,古典的な哲学者を研究対象に選び,その思想史的読解を進める中で哲学的なテーマを探求するという研究スタイルをとっている。私自身も19世紀から20世紀初頭にかけてフランスで活躍したアンリ・ベルクソン(1859–1941)という哲学者をメインの研究対象として選び研究を行っているが,こうした研究は心理学史と同様あくまで歴史的な関心に導かれた研究であって,現代の心理学との関わりは薄いと思う読者の方もいらっしゃるのではないだろうか。しかし,こうした古典的な哲学史研究を行う哲学研究者にとっても,現代心理学に学ぶことは重要なのだ。そして,そのためのガイドとして『心理学ワールド』はとても有益なガイドを果たしてくれているのである。

歴史的な哲学者は誰でも,その哲学者が生きた時代の科学と無縁でないが,私が研究するアンリ・ベルクソンという哲学者はとりわけ,同時代の諸科学に敏感だった哲学者である。私が主として研究しているのは,ベルクソンの最後の主著と言われる『道徳と宗教の二源泉』(1932年)という作品で,その名の通り,私たちに人間にとって道徳や宗教はそもそもどのようなものなのかを「閉じたもの」「開いたもの」という独特な二分法に従って分析している。そして,この著作は,当時の心理学の知見が縦横に活かされているのだ。ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』からの影響は顕著だし,フランスにおいてジェイムズ的な宗教心理学的アプローチでキリスト教神秘主義者の心理に迫ったアンリ・ドラクロワの業績も参照されている。フロイトと同時期に力動的心理学の研究を行っていたピエール・ジャネは主要な参照軸だ。

私たちは大概,自分の研究対象が大好きだ。だから,対象との距離感を測りかねて,そうした哲学者や彼に影響を与えた研究が今も十全に通用する知見をもたらしてくれると思いがちになる。けれども,研究の進展に伴い,どうしたって乗り越えられたり,異なる角度から見るべき問題も出てくるだろう。そうしたとき,例えば『心理学ワールド』59号(2012年)を開いてみる。そうすると,現在までの宗教心理学研究のトレンドを簡潔に辿れるだけでなく,スピリチュアリティという語の日本独特の含意を教えられたりする。そうして,今から100年も前の思想的所産から何を汲むべきで,何は距離感を持って読むべきか,その感覚を与えられるのである。

こうしたことも,『心理学ワールド』が多様な切り口から現代心理学で扱われているテーマを紹介してくれているからできることだ。98号の特集「『正しさ』を考える」(2022年)は行為の原因と道徳的理由との関係を教えてくれるが,これはベルクソンの道徳論を読むのに示唆を与えてくれるものだし,93号の小特集「変化への抵抗」(2021年)を読みながら,ベルクソンが論じた「閉じた社会」の特徴に改めて思いを致すこともできる。こうして私は,現代心理学の現場を窺い知ることのできる『心理学ワールド』を開くことで,科学と切り結びながら展開されてきた思想史の所産の意味を改めて考えさせられるのである。

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