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ホースセラピーの領域から
滝坂 信一(たきさか しんいち)
Profile─滝坂 信一
東京学芸大学大学院修士課程修了。専門は臨床心理学,教育方法。独立行政法人国際協力機構横浜センター技術顧問を兼任。
馬という動物を「パートナー」に心理や教育にかかわる実践をしていると,そこに起きる豊かな事実を拾い/に気づき,それを次の実践に活かすということに夢中になってしまう。「実践」ってそういうことなんだとつくづく思う。
さて,残念なことに「特集」や「小特集」の多くは私の「好奇心」を触発しなかった。その内容から,「シンリガクケンキュウシャ」ご自身の自己表出というか,活き活きした姿が感じられない,社会とのつながりがイメージできない,そんなことが理由かもしれない。執筆者の皆さん,ごめんなさい。もちろん「触発」されるかどうかは相対的なことだから,皆さんの内容から大いに「触発される」人もいるだろう。だから,これは「私にとって」という但し書き付きである。また,私自身55号に記事「馬との交流が私たちにもたらすもの」(2011年)を書かせていただいていて,その内容がどれだけ読者の方々を「触発」したかをさておいてこのようなことを言うのはひどい話でもある。なお,「人を触発しない」ということは,その研究に意味がないとか取り組む必要がないということを全く意味していない。
やまだようこ氏が中谷宇一郎氏を引いて「科学とは『ほんとうかどうか』を問う学問である」とし,「科学にとって最も重要なのは『再現可能性』である」と述べている(51号「新しい質的心理学の方法論を求めて」2010年)。私は「科学とは価値の相対化である」と考えている。これは友人の遺伝学徒,斎藤成也氏(国立遺伝学研究所)が今から40年近く前に放った言葉だ。私なりにこれをいい換えると,「当たり前(絶対)だとしていた事象を対象化し新たな意味に気づく」ということだ。最近本人に確かめたら「え,私そんなこと言いましたか?」って言っていたから,その時の言葉の勢いだったのかもしれない。しかし,私にとってこの言葉は「研究」を行ううえでずっと「鏡」になってきた。塩見昌裕氏の言う「外在化」(98号「ロボットによる触れ合いの外在化に向けて」2022年)の作業がこれに関連している。これに取り組むことになるきっかけは,「どうして?」や「えっ? それ本当?」「これ(この現象)ってナーニ?」といった気づきや疑問である。先頃小学生の皆さんに「『ナンデ?』って思うこと」を聞いてみた。ご想像の通り,本当にたくさん出てきた。そして,「なるほど!!」と気づかされる内容で溢れていた。
話を戻そう。心理学という領域,それは「人(その他の動物)の内的過程と行動現象との関連を科学する」ということになるだろうか。その方法は統計的な手法もあればナラティブな手法もあろう。もっと他にだってあるように思うし見つかるかもしれない。
四本裕子氏は「疑似心理学」の蔓延を懸念している(96号「社会における心理学の誤用とどう向き合うか」2022年)が,これは「真性心理学」が「疑似心理学」の説を相対化できていない,言い換えれば「疑似心理学」が「真性心理学」に勝っているのである。平石界氏が98号(裏から読んでも心理学「5%と10%の間で」2022年)で「査読攻撃を躱す技」としての英語表現を紹介している。対象は医学論文だけれど,これは「疑似」が「真性」を装おうとしている? 果たしてそうなのか? なぜ,このようなことが起きるのか?
そういえば,池田謙一氏が,「初めは何かな,ヘンだな,と気づいたことをじっくり発酵させてください。直観が先で論理の神様は後からやってきます」ってエールを送っている(97号「ふしぎの国の民主主義の通文化的構図─統治の不安概念を育てる」2022年)。直感のずっとあとからやってきた「シンリガク」の制度(規範)に絡めとられてしまったら,「心理学」の未来は暗い。
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