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心理学ライフ

バレエがつくる,わたしの時間

荘島 幸子
帝京平成大学健康メディカル学部心理学科 准教授

荘島 幸子(しょうじま さちこ)

Profile─荘島 幸子
専門は臨床心理学,発達心理学。博士(教育学)。臨床心理士,公認心理師。 著書に『〈よそおい〉の心理学:サバイブ技法としての身体装飾』(分担執筆,北大路書房)など。セクシュアリティやジェンダーをめぐる対話実践に関心を持つ。

もうこんな時間! 急いで帰宅,家族の簡単な夕食を準備しながら身支度,慌てて家を出る……。疲労困憊の重い身体も,まとわりつくストレスフルな空気も,どんと乗っかっている肩の荷もひとまず脇に置いて,「おはようございます」と一礼してスタジオに入ると,心と体のスイッチがすっと切り替わるのを感じます。理由は単純で,他のことを考えながら振りを覚えるほどの余裕がないからです。身体に意識を,いえ,正確には骨(骨盤,背骨のS字カーブなど)の位置と筋肉(腸腰筋,内転筋,腹横筋,骨盤底筋など)の使い方,関節の動きまで意識しないと,上達が見込めないからです。単純な動作でも,極端にいえばただ立っているだけの状態であっても,爪の先まで意識を持つ必要があるので,頭の中は常に全身をモニター→修正→モニターのPDCAサイクルを回し続けます。

おっと,書いているだけで,眉間にしわが寄ってきました。考えすぎると身体も表情も強張ってしまうので,呼吸を忘れず,音楽を聴き,リズムにのらないと……。一生懸命やっているように見せず身体を楽に使い,音と戯れ,魅せるクラシック・バレエができるようになる日は来ないでしょう(これができたらプロです)。悲しいかな,身体のしなやかさは加速度的に失われていくお年頃。つま先も甲も伸ばしきれないし,脚だって綺麗に上がりません。それでも,ふいに出会った言葉─ダンサーとして恵まれたプロポーションが美しいのではない,使えている身体こそが美しい(身体にコンプレックスを感じていた日本人バレエダンサーに向けたもの)─を胸に刻み,また,大人だからと容赦することなく厳しくかつ丁寧に指導してくださる先生やクラスの仲間たちに支えられながら,日々のレッスンに励んでいます。生き生きとした音を身体で奏でられる日を夢見て,1mmずつ成長がモットーです。そうしたらなんと,40歳を過ぎてから身長が9mm伸びました。思わぬバレエ効果ですね。パ(pas; ステップ)の言葉の由来を調べたり,YouTubeを見てストレッチしたり,理想のトゥシューズを追い求めてお店をめぐったり,加工してみたり。バレエがつくる,わたしの至福の時間です。

それにしても不思議なものです。子供の頃に習わされていたバレエは,ひたすら苦痛でした。「さっちゃん,脚!」と怒鳴られて叩かれる,昭和のバレエです。トゥシューズを脱ぐと血まみれになっていたことも。バレエの舞台鑑賞は好きでしたが,大人になって再び踊るなど想像もしませんでした。やはり「30代半ばになると人は踊りだす」仮説[1]が正しいのでしょうか。発表会には出ないと心に誓っていましたが,足かけ5年半で3回も出てしまいました(顔写真は悪の精「カラボス」役 in 眠りの森の美女)。不安や恥じらいはありましたが,それ以上に「届けたい」という想いが引き出されてきたように思います。バレエの演目には役柄があるので,踊りやマイム(mime; 身ぶり手ぶりで事物や感情を表現する技術)を通じて演じる要素があるのですが,振りをなぞる・形を作るだけでは想いは全く届かないのです。立ち上がる,指さす,視線を向けるという動作だけで何十回とやり直しがあり,音の取り方も細かく指導されます。路頭に迷う中,思わず手に取った書籍『劇へ─からだのバイエル』[2]に心震えました。そして,日頃いかに「届ける」ことを怠っていたのか,痛感させられました。今では,授業も舞台!の気持ちで,思いを新たに臨んでいます。バレエが第二の人生をつくってくれているようです。

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