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こころの測り方
「思い出」の測り方─種間比較研究を通して
渡辺 安里依(わたなべ ありい)
Profile─渡辺 安里依
2013年,University of Cambridge (U.K.), PhD (Psychology)。2014~2016年,東京大学特任研究員。2016~2020年,千葉大学大学院人文科学研究院助教を経て2020年より現職。専門は比較認知科学。現在は,主にハトやネコを対象に,記憶,メタ認知,物理的認知などについて研究。
新生活をはじめた頃に訪れたペットショップで,偶然目が合った愛猫との運命の出会い。または,愛犬とビーチを駆けた,あの夏の日の思い出。ペットを飼っている人であれば,きっと彼らとともに経験したさまざまな出来事を鮮明に思い出せることでしょう。楽しかった思い出について,家族や友達と語り合い,共有するかもしれません。一方で,ペットのほうがそれらを覚えているかを知ることは,そう簡単なことではありません。比較認知科学では,行動実験を通して,言語を使わない動物における,出来事に関する記憶について研究されています。
エピソード記憶の定義
ヒトにおいて,出来事に関する記憶はエピソード記憶(episodic memory)と呼ばれ,一般的な知識などに関する意味記憶(semantic memory)と区別されます。例えば,先週の誕生日パーティーで起きた笑える出来事の記憶は前者にあたり,自分の誕生日の日付,パーティーがおこなわれたお店の住所,招待客の名前などの情報の記憶は後者にあたります。タルヴィング[1]が提唱したエピソード記憶の初期の定義は,特定の時間,特定の空間で起きた出来事に関する記憶とされていました。その後,定義は修正され,現在では,エピソード記憶には,その記憶が自分の記憶であるという自覚(autonoesis)と時間の流れに関する自覚(chronesthesia)が必要であるとされました[2]。タルヴィングは,これらの自覚を含むエピソード記憶はヒト特有のものであると主張しています。エピソード記憶を持つ私たちは,いつでも,過去に体験した出来事を頭の中で再体験することができ,さらに,それが幻覚や他人の視点ではなく,「自分の記憶の再現」であることを自覚しています。
エピソード記憶の行動的指標
エピソード記憶を行動実験に落とし込む手段として,クレイトンとディッキンソン[3]は,初期の定義で主張された時間と空間の重要性を元に,特定の出来事の内容(What),場所(Where),時間(When)を問うWWW記憶課題を提案しました。行動実験の対象として選ばれたのはアメリカカケスでした。アメリカカケスは貯食行動で知られており,余剰の食物を地面や岩陰などに埋めて隠し,後日記憶を頼りに探しに戻るという習性があります。
実験では,まず,砂が詰められた製氷皿にワーム(ムシの幼虫;高嗜好性)とピーナッツ(低嗜好性)を貯食させる訓練がおこなわれました。その後,製氷皿は実験者によって下げられ,遅延後に再度与えられ食物を回収できます。その際,遅延が4時間の場合はワームもピーナッツも食べられるが,遅延が124時間の場合はワームは劣化してしまうことを学習しました。アメリカカケスは,遅延が4時間のテスト条件では嗜好性の高いワームを探し,124時間の場合は,劣化したワームを避けるかのように,ピーナッツを探しました。これらのことから,アメリカカケスは貯食という出来事に関して,内容(食物の種類)と場所(食物を埋めた位置)と時間(貯食が何時間前であったか)の3つの要素を組み合わせて記憶し,状況に応じた行動をとることが分かりました。ちなみに,ワームが時間とともに劣化することを経験しなかった個体は,遅延にかかわらずワームを探したことから,上記でみられた遅延による行動の違いは,習性によるものではなく,その個体の知識に応じて柔軟に変化するものであるといえます。アメリカカケスの実験以降,WWW記憶課題を使った研究はさまざまな種を対象におこなわれるようになりました。
ヒト以外の動物において,WWW記憶の肯定的な結果がみられるようになると,タルヴィング[2]は,WWW記憶はあくまでエピソード記憶の初期の定義に沿ったものであり,自覚を必要条件とする修正版の定義には沿わないと主張しました。クレイトンとディッキンソン[3]も,自覚という主観的体験を検討することの難しさについて言及しており,WWW記憶はあくまで「エピソード記憶の行動的基準」とし,エピソード的記憶(episodic-like memory)と呼んでいました。
スプーンテスト
ここまでの流れで,タルヴィングが提唱するエピソード記憶を非言語的に調べることは不可能に近いと思われるかもしれませんが,実はタルヴィング本人がエピソード記憶の指標として使える行動課題を提案しています[2]。スプーンテストと呼ばれるその課題は,エストニアの昔話が元になっています。とある女の子が夢の中でパーティーに招待されますが,スプーンを持参しなかったためデザートを食べることができません。翌晩,夢の中のパーティーに戻った際には今度こそデザートが食べられるように,女の子はスプーンを握りながら眠りにつくのでした。この話の中の女の子は,スプーンを握る際に,過去に体験したパーティーを思い浮かべ,そして,未来に体験するであろうパーティーを思い浮かべています。このように,未来の状況に向けた準備を可能とすることが,エピソード記憶の進化的機能といわれています。
エピソード記憶の行動課題は,動物を対象とした研究だけでなく,ヒトの発達研究においても有用です。まだ言葉を話せない幼児はもちろんのこと,日常会話ができるような年齢の子どもであっても,自分の心的体験を適切に言語化するのは難しいからです。スカーフら[4]は,スプーンテストと同等の課題を使って3,4歳児におけるエピソード記憶を検討しました。まず,子どもたちは砂場での宝探しイベントの最中に,鍵のかかった宝箱を発見します。宝箱を開くことを諦めた子どもたちは,その後,実験者とともに砂場を去り,遅延の間は室内で違う認知課題に取り組みます。認知課題終了後,実験者は一緒に砂場へ戻ることを提案し,鍵と2つのおもちゃの中から1つ選ぶよう指示を出します。この子どもが宝探しイベントのエピソード記憶を保持しているのであれば,スプーンを選んだエストニアの女の子のように,鍵を選ぶと予想されます。実験の結果,大半の4歳児が鍵を選んだのに対し,鍵を選んだ3歳児は40%以下でした。遅延を挟まない条件ではその倍以上の3歳児が鍵を選んだことから,3歳児はエピソード記憶を記銘することはできるが,保持時間がきわめて短いことが示唆されました。
言語を使わない課題として,使い勝手の良さそうなスプーンテストですが,ヒト以外の種を対象とすると難易度が跳ね上がります。スカーフらの実験が成功したのは,3歳児が宝箱と鍵の関連をすでに知っていたからであり,動物においては,まずは道具の使い方から学習させる必要があります。さらに,この実験ではアイテム選択の際に,砂場に戻る旨を言語的に伝えていますが,最初の出来事を体験した場所に再び戻る機会があるということを非言語的に明示するには,そのようなルーチンを繰り返し経験させるしかありません。このような事前訓練は,報酬と道具や部屋の連合学習につながり,鍵に相当するアイテムを選ぶ行動をエピソード記憶以外で説明可能にしてしまいます。実際に,霊長類を対象としたスプーンテストの試みはあります[5]が,明確な結果が得られるまでにはもうしばらく研究者の苦労が続きそうです。もしかすると,その頃には,エピソード記憶に新たな条件が追加されているかもしれません。
移動するゴールテープ
比較認知科学において,ヒトとヒト以外の動物の認知能力を比較する際には,能力の定義を明確にする必要があり,その過程からヒト自身の認知の理解がさらに深まる,といった流れは珍しくありません。エピソード記憶に関しても,動物への要求を上げることを目的とせず,「思い出」という主観的現象をより的確に表すために再定義を繰り返すことで,ヒトは自分たちを含む,地球上の同志たちへの理解を深めることができます。あの夏の日のビーチの体験を,あなたならどのように行動的に表現しますか?
- 1.Tulving, E. (1972) Episodic and semantic memory. In E. Tulving & W. Donaldson (Eds.), Organisation of memory (pp.381-403). Academic Press.
- 2.Tulving, E. (2005) Episodic memory and autonoesis. In H. S. Terrace & J. Metcalfe (Eds.), The missing link in cognition (pp.3-56). Oxford University Press.
- 3.Clayton, N. S., & Dickinson, A. (1998) Nature, 395, 272-274.
- 4.Scarf, D. et al. (2013) Dev Psychobiol, 55, 125-132.
- 5.Mulcahy, N. J., & Call, J. (2006) Science, 312, 1038-1040.
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