巻頭言
感性と論理
三浦佳世(みうら かよ)
コロナ感染症が急速な拡大を見せ始めた頃,地元の知事がデータを示して話をするというので,緊急報道にチャンネルを合わせた。一枚の画面に,説明する知事の姿とグラフを同時に入れようとすると,グラフは小さくなりすぎて,軸名も単位も読み取れない。そこで,画面はズームされたのだが,拡大されたのは知事の顔であって,グラフではなかった。データは提示されないまま番組は終了し,報道の仕方に批判も出なかった。
心理学は「心や行動をデータに基づき,論理的に考察する学問」だとされる。心理学を早くから学ぶことで,客観的な根拠に基づいて,物事を論理的に捉える土壌が育つといいなと思う。
一方,論理に対置されるのが,感覚や感情,感性などの「感じること」である。私自身は主に感性を扱ってきたが,感性は物事に即して瞬時に行う総合的な判断だと考えている。「原理は直観され,命題は結論される」というパスカルの言葉のように,感性はより大きな「知」を生み出す可能性を内包している。論理的に考えるだけでなく,感じることを通して,物事を大局的,総合的に捉えることも望まれる。
感性を初めて科学研究の俎上に載せた工学者の辻三郎は,感性情報処理を知識情報処理と対置した。「知性」とではない。「知識」とである。AI技術の進展を考えると,彼の視点は慧眼であったと思う。AIは既存の知識や情報に基づき,論理的に素早く解を出すことに長けている。一方,ヒトが瞬時にできて,ときに創造的気づきをもたらすのは,感じることである。おやっ? あれっ? どこか変…,面白い!から,科学も社会の変革も始まる。感じることはすでに考えることを含み,新たな何かを生み出す契機を宿している。
感じることはまた,何より個人的なことである。他者の感じたことを真に共有することは誰にもできない。その意味で感じることは多様性の原点であり,自由の原点でもある。「それってあなたの感想ですよね」という小学生の流行り言葉は,感想のもっている知の芽を摘むだけでなく,論理もそれが依って立つ場によって変わりうるという多様性の視点を欠いている。もちろん,「感想」だけで動く個人や社会は危うい。個人にも社会にも,客観的な論理と主体的な感性が望まれる。それを身につけるのにも,知識としてではなく経験としての心理学を学ぶことが役に立つのではないかと「感じている」。
Profile─三浦佳世
1974年大阪大学文学部卒業,1979年大阪大学文学研究科博士課程満期退学,学術博士。専門は感性認知学,知覚心理学。樟蔭女子短期大学,神戸芸術工科大学を経て,1998年九州大学大学院人間環境学研究科教授。2016年九州大学名誉教授。日本心理学会国際賞功労賞受賞。著書に『知覚と感性の心理学』『視覚心理学が明かす名画の秘密』(ともに単著,岩波書店),『感性認知:アイステーシスの心理学』(編著,北大路書房),『美感:感と知の統合』(共著,勁草書房),『美しさと魅力の心理』(共編著,ミネルヴァ書房)ほか。
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