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【小特集】

呼吸で動く心・整う心

自然に生じるけれどコントロールもできる。呼吸は心の働きと深く関係しています。息を吸うときと吐くときで世界の見え方がどう変わるのか。呼吸によって心を整えることは本当にできるのか。“息が止まるほど”おもしろい,研究の最前線をお楽しみください。(松田いづみ)

鼻から息を吸うと表情が識別しやすい

水原 啓太
大阪大学大学院人間科学研究科/日本学術振興会特別研究員(PD)

水原 啓太(みずはら けいた)

Profile─水原 啓太
2023年,大阪大学大学院人間科学研究科人間科学専攻博士後期課程修了。博士(人間科学)。専門は実験心理学。現在は,呼吸位相が情動刺激の知覚に及ぼす効果について研究。

はじめに

呼吸は人が生きていくうえで欠かせない活動の一つです。呼吸は息を吸うこと(吸気)と息を吐くこと(呼気)が周期性をもって繰り返されています。呼吸は心臓活動や血圧など,他の自律神経活動と密接に関連します。例えば,息を吸うと心拍数は上昇し,息を吐くと心拍数は減少します。呼吸はこのような生理学的な側面だけではなく,感情をはじめとする心理学的な側面とも関連します。恐怖や怒りによって呼吸が浅くかつ速くなるのはその一例です。

呼吸の深さや速さは比較的長期の時間スパンで変化しますが,呼吸位相(吸気・呼気)という短期的な変動も人間の心理・行動と関連します。例えば,重い荷物を持ち上げるときには,荷物を持つ前に息を吸い,持ち上げながら息を吐くことが多いと思います。このような関連は日常的に知られたことですが,科学的な実験研究が注目されてきたのは近年になってからです。本稿では,呼吸位相と知覚や認知との関連を報告した研究を紹介します。

呼吸位相と情動知覚

人は習慣的に鼻呼吸をしていますが,鼻づまりなどによって鼻呼吸が難しいときには口呼吸をすることがあります。これまでの研究から,呼吸経路によって呼吸位相が外界の知覚や認知に及ぼす影響が異なる可能性が示唆されています。

ゼラーノらは二つの実験を行い,鼻呼吸時における呼吸位相が感情判断に影響を及ぼすことを報告しました[1]。最初の実験では,てんかん患者の頭蓋内に電極を埋め込んで,呼吸に伴って脳活動がどのように変化するのかを調べました。すると,呼吸に同期して扁桃体の活動も変化することと,鼻から息を吐くときよりも鼻から息を吸うときのほうが扁桃体の活動が高まることが示されました。扁桃体は側頭葉の内側にある脳部位で,情動(とくに不安や恐怖)に深く関連しています。一方で,口呼吸をしているときには呼吸に伴った扁桃体の活動変化は観察されませんでした。次に,ゼラーノらは健常者を対象にした情動顔弁別課題を行いました。実験参加者はコンピュータ画面に提示された1枚の顔画像が恐怖顔か驚き顔かをすばやくかつ正確にキー押しで判断しました。実験の結果,鼻呼吸をしながら課題に取り組んだ参加者では,恐怖顔に対する反応時間は呼気位相よりも吸気位相で恐怖顔を提示したときのほうが短くなりました。この効果は驚き顔を提示したときには認められませんでした。さらに,口呼吸をしながら課題に取り組んだ参加者では,恐怖顔と驚き顔のどちらにおいても呼吸位相の効果はありませんでした。生理反応と行動成績を記録した二つの実験結果から,ゼラーノらは鼻から息を吸ったときには扁桃体の活動が高まるため,恐怖顔に対してすばやく反応できたと考察しました。

私たちは,鼻から息を吸ったときのほうが息を吐くときよりも,視覚刺激に含まれる微妙な手がかりから表情を正確に読みとれるようになると予想して検証しました[2]。実験では日本人の表情データベースから真顔と恐怖表情を用いました。コンピュータ画面の左右に真顔と恐怖表情が0.1秒間対提示され,実験参加者は恐怖表情だと思うほうをキー押しで回答しました。実験の結果,鼻から息を吸っているときに画像を提示すると,鼻から息を吐いているときよりも正しく恐怖表情を選ぶ割合が高くなることが示されました(図1,図2)。このことから,鼻から息を吸うと恐怖表情を検出するための扁桃体からの出力信号が強まることで,恐怖表情をより正確に検出できるようになると考えました。

図1 各参加者の正答率(正しく恐怖表情を選べた割合)を示した散布
図1 各参加者の正答率(正しく恐怖表情を選べた割合)を示した散布
図2 各呼吸位相における参加者全体での平均正答率の棒グラフ(エラーバーは95%信頼区間)
図2 各呼吸位相における参加者全体での平均正答率の棒グラフ(エラーバーは95%信頼区間)

呼吸位相と物体画像の認知処理

次に,情動性を含まない視覚刺激の認知処理における呼吸位相の影響を調べた研究を紹介します。パールらの二つの実験では,実験参加者に視空間課題を行わせました[3]。この課題では,コンピュータ画面の左右に三次元の物体画像が提示されました。二つの物体画像のうち,一つは実在可能な物体である可能物体,他方は一見実在するように見えるが三次元的に存在しえない物体である不可能物体でした。参加者の課題は,対提示された物体画像から可能物体をより正確に選ぶことでした。

実験1では,参加者が好きなタイミングでキー押しをすることによって物体画像が提示されました。その結果,参加者は鼻から息を吸い始めるのに合わせてボタンを押す傾向がありました。実験2では,鼻から息を吸い始めた,もしくは吐き始めた直後に物体画像が提示され,呼吸位相間で正しく可能物体を選べる割合が異なるのかについて検討されました。実験の結果,呼気位相よりも吸気位相で物体が提示されたときのほうが正答率は高くなりました。パールらは,吸気時には外界情報を取り込みやすく,物体情報の処理効率も高まるのだろうと考察しました。

呼吸位相に関する実験研究の課題

呼吸位相に関する実験研究は増えてきていますが,問題点もあります。例えば,呼吸の経路に関する問題です。呼吸位相に関する実験研究では,鼻呼吸のみで呼吸位相の影響が認められると報告した研究もあれば,口呼吸でも影響が認められると報告した研究もあります[1, 3]。これは呼吸経路によって呼吸位相の影響が変わる可能性を示していますが,実験時にその考慮がない場合には,口呼吸と鼻呼吸の影響がデータ中に混在して結果が不明瞭になるでしょう。一つの方法ですが,鼻クリップや口閉じテープを使用することによって鼻呼吸と口呼吸の混在を防ぎ,影響を分離することができるかもしれません。

おわりに

本稿では呼吸位相と知覚や認知との関連について報告した研究を紹介しました。紹介した研究のほかにも,記憶や随意運動といった他の心理機能における呼吸位相の影響について調べた研究もあります[4]。呼吸位相が外界の知覚や認知に影響を及ぼすという知見は,私たちが内的に構築している認知世界が時間的に一様なものではなく,刻一刻と変化するダイナミックなものであることを示唆しています。今後,さらに興味深い知見が報告されてくることが期待されます。

同時に,応用場面への拡張可能性を検討していくことも必要だと考えています。呼吸は他の自律神経系活動とは異なるユニークな特徴があります。それは,自律性(意識しなくても生じる)の活動でありながら,呼吸のペースや深さ,息の吸い始めや吐き始めのタイミングを随意的に制御できることです。もし,本稿で紹介した研究のように,自然呼吸時に認められた呼吸位相の影響が随意的な呼吸位相の調整時にも認められるのであれば,呼吸位相に関する実験研究の応用可能性が一段と高まり,さらに意義深いものとして発展していくでしょう。

  • 1.Zelano, C. et al. (2016) J Neurosci, 36, 12448–12467.
  • 2.Mizuhara, K., & Nittono, H. (2023) Psychophysiology, 60, e14261.
  • 3.Perl, O. et al. (2019) Nat Hum Behav, 3, 501–512.
  • 4.水原啓太・入戸野宏(2021)心理学評論,64,189–203.
  • *COI:本稿に関連して開示すべき利益相反はありません。

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