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【小特集】
“身心”の自己調整における呼吸の活用
坂入 洋右(さかいり ようすけ)
Profile─坂入 洋右
博士(心理学),臨床心理士。2012年より現職。専門はスポーツ健康心理学。著書に『身心の自己調整:こころのダイアグラムとからだのモニタリング』(編著,誠信書房),『たくましい心とかしこい体:身心統合のスポーツサイエンス』(共編著,大修館書店)など。
自己調整の中核となるキーフレーズ
仕事や試験やスポーツなどであがらずに実力を発揮するため,あるいは健康のために,心と身体のコンディションを良好な状態に調えたいと,多くの人が願っているだろう。しかし実際は,なかなか思うように調整できない。本稿では,どうしたら心と身体を適切に調えられるのか,呼吸の活用を中心に解説する。キーフレーズは次の2つである。
- ① 身体から心へ(“身心”)
- ② 見守る(マインドフルネス)
どのような調整でも,現状を観察・測定して正しく理解するモニタリングと,それを適切な状態に変動させるコントロールが必要になるが,その際に重要となるポイントが,この2つなのである。
コントロールは「身体から心へ」
たとえば,スポーツで選手が緊張している時に,コーチが「リラックスしていけ~」などと怒鳴ることは逆効果である。選手はリラックスしなくてはと焦って,余計肩に力が入って,自滅してしまうかもしれない。自己調整に失敗する原因は,コントロール困難なことを無理にコントロールする点にある。
心と身体を調える伝統的技法である坐禅のやり方を説明する言葉に,「調身→調息→調心」があるが,身(行動と姿勢:随意系)を調え,息(呼吸:随意系→自律系)を調えて,心を観察(モニタリング)していれば,心と身体は,自ずから調ってくるということを意味している。この順番が大切で,コントロールが容易な順に調整していかないとうまく行かない。いきなり心を冷静にしようとしたり,ドキドキした心拍(自律系)を抑制しようとしても無理だし,逆効果になってしまう(図1)。
心と身体の興奮や緊張を調整しているのは自律神経系であり,大脳ではなく間脳の視床下部において,サルなどと共通の古いプログラムに従って機能している。図1に示したように,何もしなくて良い時には,自律的に副交感神経系が優位になってリラックスするが,何かを頑張ろうとすると,「戦おう」とか「逃げよう」とする時だけでなく,「眠ろう」とか「リラックスしよう」とする時でも,自律的に交感神経系が活性化して,落ち着きたいという願いとは逆に興奮してしまうのである。
このことを深く理解している一流のスポーツ選手は,難しい自律系や心を調整することは諦めて,自分の意志でコントロール可能な随意系である筋や行動を調えることに全力で取り組む。たとえば野球の打者では,松井秀喜選手は,打席に立つと肩を動かして筋緊張を緩めているし,イチロー選手は,打席に入るまでの行動をルーティン化して調えることで,結果的に平常心を保つことに成功している。自分を調えたければ,心の調整からではなく,まず体を調整することから始めるというのが,「身体から心へ」を意味する“身心”の自己調整の重要ポイントである。
呼吸の活用
“身心”の自己調整のために,行動や筋だけでなく,呼吸を活用することがとても有効である。自律的に機能している各種の身体反応の中で,呼吸だけは,息を止めたり深呼吸したり,随意的にコントロールすることも可能なため,調整に適している。
身心の緊張や興奮の状態は,呼吸とともに常に変動している。息を吸っている吸気時には,胸筋や横隔膜が緊張するとともに心拍数が増加して興奮し,息を吐いている呼気時には,全身の筋弛緩とともに心拍数が減少して沈静化する。そこで,呼吸のリズムとして,吸気を長めにして,呼気を強めに短くすれば興奮するし,呼気の方を静かに長くすればリラックスしていく。何秒吐いたら良いかなどは,各自の肺活量によっても異なるので,自分の呼吸とそれに伴って生じる身心の状態の変動を毎回観察して,各自の個性や目的に適した呼吸の仕方を見つけてほしい。
スポーツ心理学などで従来用いられてきた覚醒水準の逆U字仮説では,呼吸とともに興奮と沈静の状態が変動するだけだが,覚醒水準の横軸に快-不快の縦軸を加えた「心理状態の二次元モデル」[1]を活用すれば,呼吸法によって身心を快適な状態に調整することが可能になる[2]。
これは,興奮した状態を示す覚醒の因子を,活気・元気などのポジティブな状態と関連する快適な興奮を示すエネルギー覚醒(活性度)と,不安や過緊張などのネガティブな状態と関連する不快な興奮を示す緊張覚醒(この逆が安定度)の2因子に分けたモデルである。このような二次元モデルを採用することにより,心理状態の特徴とその変動の過程を,図2に示した「こころのダイアグラム」[3]として,視覚的に表示することが可能になる。
呼吸に伴う身体的な覚醒水準の変動とともに,心理的にも,吸気時に快適な興奮であるエネルギー覚醒が上昇し,呼気時に不快な興奮である緊張覚醒が低下する。そこで,息を吸う時には,フレッシュな酸素とともに活気や元気などの快適な興奮のエネルギーを吸い込み,息を吐く時には,不要になった二酸化炭素とともに不安や過緊張などの不快な興奮のエネルギーを吐き出すようなイメージで呼吸を続けていくと,自然に心理状態が快適になっていく。
モニタリングは「見守る」
一時的にリラックスしたり元気になったりするためには,呼吸によるコントロールが有効であるが,人生で直面する問題の多くは,そのような単純なものではない。問題を改善しようとして無理にコントロールすると逆効果になるので,何かを変えようとせず,ひたすら真剣に見守ること(モニタリング)が必要になる。
仏教では,数息観や安般念などの呼吸法が実践されているが,これらはコントロール法ではなく,自己の身心を観察するモニタリング法であり,呼吸は,観察の対象なのである。元来,瞑想法の目的は自己客観視であり,ハタヨーガなどでポーズをとる目的は,さまざまな筋感覚を観察するためである。観察(モニタリング)するだけで,制御(コントロール)しようとしないことが重要であり,このような「手出し口出しせず,ただ真剣に見守る態度」をマインドフルネスという。このようなマインドフルネスのスキルを身につけるためのトレーニング法として,呼吸の観察が行われているのである。
実は,自分の身体をマインドフルに観察する際の対象としては,呼吸の観察が最も難しい。随意系であればコントロールすることが可能で,逆に,心拍や血流のような自律系であればコントロールすることを諦められるが,自律的に機能しているにもかかわらずコントロールすることもできる呼吸を,あるがままに見守り続けることは難しく,不自然な呼吸になったり息苦しくなったりしてしまう。「見守る力」を身につけるために,呼吸の観察は,タフだがとても有効なトレーニングである。
自己理解・他者理解と信頼関係
自分自身のコントロール以上に難しいのが,他人をコントロールすることであり,無理に変えようとしても反発されてうまく行かない。相手を信頼して見守るマインドフルな態度を身につけることは,教師やコーチやカウンセラーなどの対人援助職にとっては,不可欠な要素であろう。
このことは自分自身に対しても同様であり,呼吸法や自律訓練法などを実践して,自分の身心を信頼して,真剣に見守る体験を日々積み重ねていくと,ありのままの自分を受け入れやすくなり,無条件の自己受容が高まっていくという報告がある[4]。
- 1.Thayer, R. E. (2001) Calm energy. Oxford University Press.
- 2.坂入洋右他(2022)身心の自己調整:こころのダイアグラムとからだのモニタリング.誠信書房
- 3.坂入洋右他(2019)こころのダイアグラム:二次元気分尺度(TDMS)2項目版.アイエムエフ
- 4.吉田昌宏他(2020) J Health Psychol Res, 32, 43-54.
- *COI:本稿に関連して申告すべき利益相反はない。
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