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【特集】

リーダーは自らの権力とどう向き合うべきか

佐々木 秀綱
横浜国立大学大学院国際社会科学研究院・経営学部 准教授

佐々木 秀綱(ささき ひでつな)

Profile─佐々木 秀綱
一橋大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(商学)。一橋大学特任講師を経て,現職。専門は組織行動論。著書に『組織論レビューⅢ』(分担執筆,白桃書房),単著論文に「社会的勢力感が不確実性下の意思決定に与える影響」『組織科学』52,2018,「身内に甘い権力者:社会的勢力感が内集団ひいきの発現に及ぼす影響」『組織科学』53,2020など。

はじめに:権力者の心理

“権力は堕落するものであり,まして絶対の権力などは絶対に堕落する”(power tends to corrupts and absolute power corrupts absolutely)

イギリスの歴史家であるジョン・アクトンが記したとされるこの警句をご存じの方も多いだろう。権力は人を傲慢や悪徳に導くものだという信念は,今も昔も,幅広い文化圏で共有されている。確かに,民衆を虐げる専制国家の為政者から,「政治とカネ」の疑惑が絶えない政治家,出世した途端に態度が豹変した同僚に至るまで,世の多くの事例は権力の獲得が人に良からぬ変化をもたらすことを証明しているかのようにみえる。しかし,それはどこまで本当なのだろうか。

社会心理学の研究者たちは,権力者の心理やその影響について明らかにすべく,「社会的勢力感(sense of social power)」という概念を導入した。平たく言えば,「自分には他者を動かす力がある」と感じている状態のことである。人はそのような感覚を抱くこともあれば,逆に「他者から支配されている」と感じるときもあり,それを勢力感が高い・低い状態とみなすのである[1]

勢力感の変動,とりわけ勢力感が高まる場合に何が起こるかについては,主に実験などを通じて研究知見が積み上げられてきた。それらの実験では,参加者に対して過去に自分が権力を振るった経験を思い出させたり,自分の意思で場をコントロールできるよう設定されたゲームに取り組ませたりするなどして権力者の心理を疑似的に再現している。そこで明らかにされてきた「堕落」のあり方は,以下でみるように,実に多様なものであった。

権力を手にすることの影響

過去の研究が明らかにしてきたことの一つに,勢力感の高まりが利己的行動を促すという点があげられる。例えばある実験研究では,参加者に,チーム内での報酬分配について意思決定させた[2]。リーダー役である自分の取り分とフォロワー役である他の参加者たちの取り分について複数の組み合わせの中から一つを選ぶというこの課題では,自分の報酬を増やすほどチーム全体の報酬は減り,逆に平等に近づけると全体の報酬が最大化されるようになっている。参加者たちを複数の条件に割り当てて意思決定させたところ,利己的な選択肢を選ぶ者が最も多かったのは,大きな裁量と多くの部下を与えられた条件であった。この結果が示しているのは,権力を手にして勢力感が高まった者は,他者の利益を犠牲にしてでも自分の利益を求めようとするということである。

さらに,このようなお手盛りは自分自身だけでなく自分の親しい身内に向けられることもある。かつて筆者は,勢力感の高まりが「内集団バイアス(in-group favoritism)」を促進するか検証するための場面想定法実験を行った[3]。言い換えれば,権力を手にした者が身びいきをしやすくなるか調べるための実験である。この実験の参加者は,内集団他者と外集団他者に対する二者間の報酬分配課題に取り組んだ。参加者が内集団他者により多くの報酬を分配した場合は「内集団バイアスあり」として,両者に均等な報酬分配を行った場合は「内集団バイアスなし」としてコーディングされ,実験条件ごとにそれぞれの人数をカウントした。その結果,勢力感を高める操作を行った条件の参加者には,身内である内集団他者に対して多くの報酬を分配しやすい傾向がみられたのである(図1)。確かに,いつの時代も権力者は徒党を組んで仲間への利益誘導を盛んに行うものである。社内の有力者は子飼いの部下ばかりを重用し,それを見た周囲の者たちは従順なイエスマンと化していく─。こうした現象は,どこの会社でもみられる光景かもしれない。

図1 勢力感と内集団バイアス 文献3
図1 勢力感と内集団バイアス[3]

さて,このような利己的行動の発現には,勢力感の高まりによって生じる「特権意識(sense of entitlement)」が関係しているという。つまり,自分は他者を従わせられる特別な存在であり,ゆえに多くの利益を得るにふさわしい立場なのだと考えてしまうのである。そしてこの特権意識は,「道徳的偽善(moral hypocrisy)」にも影響する。

人は自他の間で異なる道徳基準を適用する。つまり,他者の悪い行いは非難する一方で,自分が同じことをする場合には何らかの事情を持ち出して正当化するのである。これは多かれ少なかれ万人に共通する傾向であるものの,ラマーズらの研究はそうした偽善傾向が勢力感の高まりによって強められることを明らかにした[4]。興味深いのは,その効果がみられたのは自らの権力を正当なものと捉えている場合だけであった点である。自分の権力が正当ならば,自他の区別もまた当然のことであり,堂々と自分自身を特別扱いできる。自らの優越的な立場を当然視する者が最も偽善的になるということを,この研究は示唆している。

加えて,勢力感の高まりは他者と人間らしい関係を結ぶことも困難にする。例えばヴァン・クリーフらの研究によれば,勢力感の高い個人は他者の悲しみや苦痛の表明に対する同情的反応が少ないという[5]。またガリンスキーらの研究では,勢力感を高められた人々は他者の表情から感情を読み取る精度が低くなることも示されている[6]。これらの研究は,権力の獲得が他者への思いやりや共感を喪失させることを支持するものだろう。さらに別の実験では,勢力感と他者の「非人間化(dehumanization)」との関係も検討されている[7]。この研究では,強い立場にある者が弱い立場の者を評価する際に,人間に特有の属性(「情熱的」,「共感的」,「無責任」,など)を認めにくい傾向がみられた。つまり,論文中の表現を借りるなら,「(相手を)動物的なものとして非人間的に捉えた」のである。権力を手にした者は,特別な存在である自分とその他大勢との間に,一線を引かずにはいられないものなのかもしれない。

一般にもよく知られた興味深い実験がある。上述のガリンスキーらの研究には,自分の額にアルファベットの「E」を描くという課題が含まれていた。この課題において,統制群の参加者は88%が正しい向きで書くことができていたのに対して(図2右側),勢力感を高められた参加者は67%しか正解できず,残りはみな「E」を左右逆に書いていたのである(図2左側)。試してみるとわかる通り,頭に浮かんだ表象をそのままなぞるように書くと,他の人からみて正しい向きの「E」にはならない。勢力感の高い者は,周りからどう見えるかを考えずに自分中心で行動してしまうために,このような結果に至ってしまうのである。

図2 勢力感と視点取得 文献6
図2 勢力感と視点取得[6]

こうした知見に鑑みれば,冒頭で述べたような権力についての通念は単なる思い込みではなく,ある程度の事実を反映していると言えるだろう。当然,組織において権力を持つ人々もこのような傾向を持つとすれば,マネジメント上の大きな問題となることは間違いない。自分と身内の利益にばかり貪欲で,他人に厳しいわりに自分に甘く,周囲への思いやりに欠け,他の人の目線で考えることができず─。このような人物が優れたリーダーシップを発揮できるとは,なかなか考えにくい。

では,勢力感の悪影響を避けるために,リーダーたちはどうすればよいのだろうか。この問いの答えを探るために,そもそも勢力感はどのような状況において高まりやすいかを考えてみよう。

権力者の心理に陥りやすいのは…

勢力感が高まりやすい状況とはどのようなものだろうか。素朴に考えれば,持っている(実際の)権力の大きさに比例して(主観的な)勢力感も高まりやすいように思われる。そして権力が大きいとは,大勢の人々の多様な行動に確実に影響を及ぼせる状態を指す[8]。それを踏まえて,会社や学校などといった組織に目を向けてみたい。

ふつう,組織で最も大きな権力を持つのは経営者である。とすると,組織において最も勢力感を高めやすいのは,企業のCEOや法人の理事長といったトップ層の人々であるように思われる。なるほど確かに,世の経営者たちの中には,さながら王様のごとき振る舞いをしている方々もいるようである。

しかし,例えば会社の社長の場合,社内の部下に指示を下す立場にあるからといって,社外の利害関係者に対してもそうであるとは限らない。むしろ,株主や債権者,大口取引先などに対しては,相手の意向に従わざるを得ない場面が数多く存在する。経営者たちの日常は,自分が優位な立場にあるときばかりではない。板挟みの状況になりがちであるという点では,中間管理職も組織のトップも,実はそれほど大きく変わらないのである。

このように,権力を行使する場面とされる場面とが頻繁に切り替わるような立場に置かれている人々は,いかに大きな権力を持っていても勢力感を高めづらいことが指摘されている。あちらでは力を振りかざし,こちらでは頭を下げ,ということの繰り返しがその人のアイデンティティを不安定なものにし,外界に対してより警戒的で慎重にさせてしまうのである[9]。とすれば,勢力感を左右するカギを握っているのは,持てる権力が大きいかどうかではなく,それが一方的なものかどうかということになる。

では,一方的な権力を振るうことのできるポジションとはどのようなものだろうか。会社組織について言えば,すでに一線を退いた旧経営陣が就く顧問や相談役などといった役職がそれに該当するかもしれない。こうした役職はしばしば名誉職であり,公式の権限はほとんど付与されないものの,助言や指導という形で会社の重要な意思決定に関与できる。と同時に,その企業の代表として矢面に立つ機会はそう多くはない。ゆえに,権力を行使される機会よりもする機会のほうが上回るポストと考えられるのである。実際,かつて経済産業省が実施した調査でも,現経営陣から顧問や相談役への忖度が働き,結果として院政を敷かれるような状況が生じてしまうことに懸念が表明されている[10]

また,必ずしも大きな権力がなくとも勢力感は高まるとすれば,権力に溺れる人は組織のあらゆる階層で現れるだろう。例えば小売店や飲食店などでは,長く勤めている従業員だけが作業の全体像を理解していたり,重要なノウハウやスキルを握っていたりすることがある。その人がいなければ業務が円滑に進まないとなると,現場の権力を握るのは入社間もない店長などではなく,古株のパート従業員であるかもしれない。また,企業組織に限らず学校の部活動などにおいても,閉鎖的なコミュニティで上下関係が固定化されてしまうことがしばしば起こる。このとき,学校側が状況を適切に把握し,必要に応じて介入することができなければ,監督やコーチ,上級生が絶対的な存在として君臨してしまうことになるのである。

このように,人は自分が行使できる何らかの権限や,他者を従わせられるだけの材料を手にしたとき,たとえそれがごく些細なものであっても容易に権力者の心理に陥ってしまう。はた目にはわずかにみえる権力も,ある狭いコミュニティの中でそれが一切の挑戦を受けることなく行使できるなら,私たちはいとも簡単にその力に溺れてしまうことに留意しなければならないだろう。

リーダーは自らの権力とどう向き合うべきか

ここで改めて本稿の根本の問いに立ち戻ろう。すなわち,リーダーとしての私たちは,自らの持つ権力とどのように向き合うべきなのだろうか。

何より心に留めておきたいのは,多くの普通の人々が勢力感の高まりによる影響を受ける可能性があるということである。権力に溺れるなどと言うと,私たちはつい,強烈な出世欲や功名心に駆られた野心家たちの話だと考えてしまう。しかし,ほんのわずかな時間だけ心理状態を操作されたに過ぎない実験参加者たちもまた,(悪い意味での)権力者らしい振る舞いを示したのである。さらに言えば,そうした傾向が生じるには必ずしも巨大な権力を必要としない。たとえ些細な権力であっても,それがある程度一方的に行使できるなら,個人の勢力感を高めるのには十分なものであるかもしれないのである。

「いや,私は与えられた権限を適切に運用している」「権力を濫用するなどあり得ない」─。もしかすると,そのように考える方もいるかもしれない。しかし過去の研究では,勢力感の高まりが楽観主義や自信過剰をもたらすことも指摘されている[11]。自分だけは大丈夫だという思考自体,勢力感の影響を受けているかもしれないという自覚を持つことが重要だろう。

とはいえ,権力に溺れる危険性を自覚しながらも,果断に物事を推し進めていくためのイニシアチブを握ることがリーダーとしての本分でもある。そこで大切なことは,最終的な決断を下すのはリーダーだとしても,その決断に至る過程をフォロワーたちと丁寧に共有する,ということである。この点に示唆を与えてくれるのが,「リーダーシップにおける謙虚さ(humility in leadership)」に注目した研究群である。

これらの研究では,リーダーが(1)自身の欠点や誤りを含めた正確な自己認識を抱き,(2)フォロワーの持つ強みや果たした貢献の価値を正しく認め,(3)新たな物事を学んでいこうとする姿勢を持つことが,チームを成功に導くとされている[12]。自他を分け隔てなく尊重し,フェアに「良いものは良い」「間違いは間違い」と受け容れるリーダーの度量の広さが,フォロワーたちの意欲や能力を引き出すことにつながるのである。実際,それによってチームの業績が向上したり,フォロワーたちの学習意欲や職務関与が高まったりすることが実証されている[13]。謙虚なリーダーは,周りの人々が持つ資源を結集することで,個人としてもチームとしても高い成果をあげるのである。

実は過去の研究において,勢力感の高まった個人は他者からの助言を聞き入れにくくなることが指摘されている[14]。これは当然,フォロワーたちと力を合わせて事を成すことを阻害するものである。だからこそ,リーダーは自分が裸の王様になってしまう危険性について常に自覚的でなければならない。もちろん,うわべだけ「何でも遠慮せず言いたまえ」などと傾聴の姿勢を示したところで,周りの人々は耳障りのいいことしか話さないだろう。耳の痛い情報も含めてやり取りできる信頼関係や,互いに敬意を払いつつも率直な意見表明をしあえる職場環境を築いていくために,目下の人間とこそ真摯に対話することが上に立つ者の責務である。そうした意味での謙虚さは,周囲にへつらって他人任せにする,単なる弱腰の謙虚さとは明確に区別されるものだろう。

おわりに:権力者としての責任

人々を率いる立場には必ず何かしらの権力が付随する。そしてどれだけ些細な権力も,自分以外の誰かに影響を及ぼすという意味で責任が伴う。自身が権力者として「堕落」してしまうことを防ぐには,自らの振る舞いによって影響を受ける誰かのことを思い浮かべ,彼ら・彼女らに対する責任を果たせているか自問しながら行動することが,何より大切なことなのかもしれない。

  • 1.Keltner, D. et al. (2003) Psychol Rev, 110, 265–284.
  • 2.Bendahan, S. et al. (2015) Leadersh Q, 26, 101–122.
  • 3.佐々木秀綱(2020)組織科学, 53, 36–48.
  • 4.Lammers, J. et al. (2010) Psychol Sci, 21, 737–744.
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  • 8.Kaplan, A. (1964) Power in perspective. In R. L. Kahn & E. Boulding (Eds.), Power and conflict in organizations (pp.11–32). Basic Books.
  • 9.Anicich, E. M., & Hirsh, J. B. (2017) Acad Manage Rev, 42, 659–682.
  • 10.経済産業省 (2018) 改訂版コーポレート・ガバナンス・システムに関する実務指針.
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  • 13.Owens, B. P. et al. (2013) Organ Sci, 24, 1517–1538.
  • 14.Tost, L. P. et al. (2012) Organ Behav Hum Decis Process, 117, 53–65.
  • *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。

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