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【小特集】
迷惑なお客様と遭遇したら…
顧客等からの不満や苦情は改善に向けた正当なものばかりではなく,悪質なクレームや不当な言いがかりは社会問題に。カスハラ対策マニュアルの検討など,時代に合わせて対応が進んでいます。接客の現場で働く人々が直面する実態を知り,今後の対応について探る機会になればと考えます。(山﨑真理子)
なぜカスハラは起こるのか─悪質クレームの現状と課題
池内 裕美(いけうち ひろみ)
Profile─池内 裕美
博士(社会学)。専門は社会心理学,消費心理学。2011年より現職。著書に『消費者心理学』(共編著,勁草書房),『消費者行動の心理学』(分担執筆,北大路書房),『暮らしの中の社会心理学』(分担執筆,ナカニシヤ出版)など。
はじめに:カスハラとは何か
「カスハラ」をご存知だろうか。現在,日本に数多く存在するハラスメントの一種「カスタマーハラスメント」の略称である。和製英語であり未だ正式な定義はないが,端的にいえば“顧客等からの著しい迷惑行為”となる。具体的には,暴言や暴力,不当な金品要求,長時間の拘束,土下座の強要等が該当し,その内容から度が過ぎた悪質なクレーム行為といえる[1]。
近年,カスハラが原因で心身に不調をきたす従業員が後を絶たず,深刻な社会問題となっている。事態を重く見た厚生労働省は,2022年2月「対策企業マニュアル」を作成[2],2023年9月には精神障害の労災認定基準に加えることを決定した。そして2024年2月,ついに東京都が防止条例制定の方針を明示した。顧客第一主義の理念が根深い日本のサービス業界では,すでに悪質クレームは横行していたのに,なぜ今,カスハラが注目されるのだろうか。
カスハラの実態
一つの契機としては,産業別労働組合「UAゼンセン」が実施した調査が挙げられる[3]。2017年,UAゼンセンは流通部門に属する組合員約5万人に悪質クレームに関する実態調査を行った。その結果,約7割の組合員が顧客から何らかの迷惑行為を受けた経験のあることが明るみに出て,世の中に大きな衝撃を与えた。その後,各種メディアがこぞって実態を報道し,一気に注目を集めるに至っている。
カスハラ増加の心理的・社会的背景
カスハラ増加の背景について,筆者は表1の6点に整理している。本稿では近年顕著な2点に注目する[4]。
過剰サービスによる過剰期待日本のサービス水準は世界でも最高レベルを誇る。しかし,同時に人々の期待水準も高め,万一期待が外れた場合は大きな不満を生むことがオリバーの「期待不一致モデル」からも示唆される[5]。たとえば配送サービスの際の細やかな時間指定は,満足と同時に遅延による不満をもたらす可能性もあり,この不満が苦情の源泉となることも認められている[6]。つまり消費者のための過剰サービスが,皮肉にもカスハラ化を促進させる一因になっているといえる。
社会全体の疲労と不寛容社会日本は今,多くの人が何らかのストレスを抱えているが,心身が疲労した状態では判断力が低下し,感情のコントロールが難しくなる。実際,筆者自身がコロナ禍に行ったサービス業従事者への調査では,“店員の態度が悪い”,“説明の仕方が悪い”等,些細なことで怒り,カスハラに発展するケースが散見された[7]。このように日本社会全体に心の余裕がなくなり,不寛容になったこともカスハラ増加と関連性があるといえる。
苦情生起の負のスパイラル
そもそもなぜ苦情は起きるのか。筆者は心理的・社会的背景を総括し,図1のように整理している[4]。
①まず,先述のように苦情の生起には不満の存在が前提となる。②その不満が顕現化されると怒りになり苦情につながるが,③ここで初動を誤ると人格否定等の「2次的苦情」に発展する。④なお,近年ではSNS等で不特定多数に情報発信し,⑤高速拡散する事例も多い。⑥多くの人が日常的に負の情報を目にすることで不安過剰になり不満を抱きやすくなる。⑦一方,炎上や苦情を恐れた企業が過剰サービス気味になると,⑧他社も追随し,業界全体の標準的なサービスが上昇する。⑨そうなると消費者の期待水準も高まり,⑩やがて期待を超えるサービスの提供が困難になる。その結果,①過剰サービスに慣れた消費者は不満を抱きやすくなる…というように循環モデルを用いて説明できる。
カスハラ行為者の特徴
では,どのような人がカスハラを起こしやすいのだろうか。個人特性については古くから研究例があり,高学歴で高所得,比較的社会階層の高い中年世代等が示唆されている[8]。筆者自身も“中高年男性”がカスハラを起こしやすいことを認め,行為者を5つに類型化している(表2) [7]。しかし,ストレスが蔓延する現代社会では,誰がいつ加害者になっても不思議ではないといえるだろう。
カスハラの予防と対策
カスハラの予防には,まず従業員が安心して働ける職場環境の整備が不可欠といえる[4]。具体的には,対応マニュアルの作成や組織のサポート体制の構築,被害を受けた従業員が相談しやすい組織風土づくりや専門窓口の設置等が挙げられる。日本は法制化が遅れているため,こうした「従業員保護」の対策や姿勢の表明はきわめて重要といえる。
また,カスハラの抑制には消費者側の意識改革も不可欠である。それには特権意識を捨てること,対応者側の気持ちも考え仕事の範囲を理解すること等が挙げられる。近年,カスハラ防止対策として,ポスターによる啓発活動や利用規約による対処の事前告知等の取り組みが始められている。しかし,まずは社会全体がカスハラに関心を持ち,元凶ともいえる「顧客第一主義」「過剰サービス」の風潮自体を見直すことが最優先の課題と考える。
- 1.クレームの類似概念に苦情があるが,苦情とクレームは厳密にはその意は異なる。たとえば「クレーム」(claim)は“問題解決を求める要求・請求”,「苦情」(complaint)は“不平・不満等の感情の処理”として捉えられる。しかし,両者は日常的に混同して用いられていることから本稿でも互換的に用いることにする。なお,「カスハラ」に関する詳細な説明は,後注の厚生労働省のマニュアルを参照のこと。
- 2.厚生労働省 (2022) カスタマーハラスメント対策企業マニュアル.カスタマーハラスメント対策マニュアル作成事業検討委員会
- 3.UAゼンセン (2017) 悪質クレーム対策(迷惑行為)アンケート調査結果.全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟
- 4.池内裕美 (2020) 情報の科学と技術, 70, 486-492.
- 5.Oliver, R. L. (1980) J Mark Res, 17, 460-469.
- 6.池内裕美 (2010) 社会心理学研究, 25, 188-198.
- 7.池内裕美 (2021) 誰が,なぜ苦情・クレームを訴えるのか.日本社会心理学会第62回大会発表資料
- 8.Liefeld, J. P. et al. (1975) J Consum Aff, 9, 73-80.
- *COI:本稿に関連して開示すべき利益相反はない。
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