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裏から読んでも心理学

歯ブラシ説を問う

慶應義塾大学文学部 教授

平石 界

「心理学理論は歯ブラシ」という説があるのです。心理学者は他人が提唱した理論を使うことを,他人の歯ブラシを使うのと同じくらい忌み嫌うって話です(Mischel, 2008)。米国では研究大学への就職に自前のオリジナル理論がほぼ必須だそうで,焦った駆け出し心理学者たちが名ばかりの「シン理論」を乱立させるんだよもう,とMischelさん嘆いています。「でもそんなのweirdな米国のご事情でしょう? 本邦はそんな妙な圧がなくてよかったね」と思われるかも知れませんが,心理尺度歯ブラシ説ってのもありまして(Elson et al., 2023),他人事とも言ってられない(仲嶺・上條, 2019)。これとそれとあれ,何が違うんですかって学生からもよく言われます。面白い比喩なんで気に入ってあちこちで披露していたんですが,ちょっと違うかもと思うことがあったので,今日はその話をさせて下さい。

きっかけは「ダンバー数を脱構築する」という論文を目にしたことでした(Lindenfors et al., 2021)。ダンバー数。大脳新皮質の相対サイズから計算すると,人間にとっての“自然”な集団サイズは150人くらいだよという理論です(Dunbar, 1992)。当時めちゃくちゃ流行って,30年後の今でも「SNSのフレンドは150人が最適か?」みたいな記事を見かけるくらいです。相乗効果でダンバー先生の「ヒトは噂話をするよう進化した」説も人気を博し,こちらも先日,公共放送でしたり顔をした大学教授が紹介していました。そのダンバー数を最新のデータと技術で再検証したら,ちょっとそんなこと言えないなぁというのです。しょんぼり。

それで気づいたんですが,世の中には皆からすごく愛される“歯ブラシ”があるってことなんです。ダンバー数のみならず,ウエストヒップ率とか(Singh, 1993),セロトニン関連の不安遺伝子とか(Caspi et al., 2003),ありとあらゆる人が群がってしゃぶり尽くす類の歯ブラシが存在する。尺度もそう。ほとんどが1,2回しか使ってもらえない中,1万回以上使われるお化け歯ブラシがある。BDIとか。本当の歯ブラシではそんなことないですよね。国民的スターの歯ブラシでも,皆で使い回そうとはしないはず。考えてみると,研究者にとって理論って時にアイデンティティにも関わるもので,歯ブラシってのは,ちと扱いが軽すぎるんじゃないか。もっとこう,例えばここぞの時の一張羅くらいの重みはあるように思うのです。ビスポークもあるけど,一世を風靡するスタイルもある,みたいな。

で。この手の万人に愛される理論には普遍的な魅力があるようで,否定する報告があってもしぶとく残りがち。それが証拠にダンバー数,脱構築されて3年,今もなお元気です(Dunbar & Shultz, 2023)。先日はひょんなところでセロトニン関連遺伝子の健在ぶりを確認しました。往時は週刊誌の見出しで大学教授が「日本は短い人が多いので国民性が云々」としたり顔に語るくらい流行った当該遺伝子ですが,情け容赦ないダメ出しがあって(Culverhouse et al., 2017; Border et al., 2019),事情を知るプロはしれっと手を引いてダンマリを決め込んでいたのに,学生がしたり顔でゼミで報告してきたのです。その話,何処で見つけたの?

最初のオーナーが手放しても古着として世間に流通し続けるあたり,やはり心理学理論は一張羅的ではないか。着こなしが微妙にアレンジされてたりするのも似ている気がします。ああでも,捨てたはずの歯ブラシに思いがけないところで再会して「お前さん,今は自転車のチェーンを磨いているのかい。ご苦労だねぇ」なんてこともありますから,歯ブラシ説でもいけるのか。皆さんはどう思われますか。

Profile─ひらいし かい
東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。東京大学,京都大学,安田女子大学を経て,2015年4月より慶應義塾大学。博士(学術)。専門は進化心理学。

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